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彼だけのカミ様

作者: 三日月蜜柑

※必読※


この話には、少しですが流血・人体の欠損描写が含まれたりしています。

また、言葉だけですが登場人物に性犯罪の前科がある事をほのめかしています。

(ネタばれ・欠損するのはこいつらです)


少しでも不快になる要素があると感じたら、ブラウザバックをお願いいたします。



 異世界だって、夜道が危ないことに変わりないことは分かっていたけど、こうも露骨に襲われるとは思っていなかった。

 暗くなってから人通りが少ない道を通っている私も悪いと思うけど、仕方ないのだ。隠れ家のようにひっそりと建つ私の家までの道のりで、陽が落ちるとほぼ人通りがなくなるこの道は避けられない。だから明るいうちに帰りたかったけど、久しぶりの買い出しは予想以上に時間がかかってしまった。


「だからさぁ、一緒に気持ちよくなろうよ? 今なら金貨一枚でいいよ」


 ニコニコ、よりニヤニヤした男二人組を胡乱な目で見る。

 人通りがなくなった道に入って、急に声をかけてきた二人組。ごろつきです、と見た目で名乗っているかのような風体だ。

 この男達は、私に娼婦の真似をしろと言っている。但し、お金を払うのはこっち。

 おかしいだろう。


「そんな大金持ってないです」

「またまたぁー。さっき、金貨で買い物してたでしょ?」


 ちっ、見られてたか。

 出店通りで買い物をしていた時点で目をつけられていたらしい。そこから今に至るまで二、三時間は歩き回っていたはずだけど、根気強いな。その忍耐を必要とされる職がきっとあるから、真っ当に稼いで欲しい。


「使い切っちゃったのでないです」

「家に帰ればあるの? 送っていくよ」


 じゃあお金はいいから、とはならないのか。なっても困るが。でもせめて、性犯罪をしたいのか、強盗をしたいのかどっちかにしろと言いたい。欲張るな。

 しかしこのごろつき共に家までついてこられるのは困る。どうしよう。

 紋所の見せ所だろうか。この世界の救世主、彼と同じ世界から来た異世界人だという紋所を――。


「――カナさん?」


 私と、不逞の輩二人。三人しかいなかったこの場に、もう一人増えた。三人同時に、声の主を振り返る。


「シスさん」


 声の主を、私は知っていた。

 ひょろりと背の高い男が、月明かりの下、闇から浮き出るようにして立っている。黒い髪は肩より長く、軽くまとめられている。服装から靴まで全て真っ黒なので、肌の白さが悪い意味で目立ち、今の状況も相まって不気味さを感じさせた。


「どうされたのです?」


 シスさんは長い足でずかずかと歩いて、あっという間に私の隣に立った。ついついその挙動を眺めていた男達がハッとする。


「おい、この女は俺らが先に目をつけたんだぞ」

「どうしてもって言うなら金払って順番待ちしな」


 なんか勝手な事言われてるな……。そして思った以上にがめつい。

 でも、もう関係ない。シスさんが来てしまった。


「何だ、それとも彼氏か? 悪いな。お前の彼女、これから俺達といっぱい気持ちよくなるから」


 反応しないシスさんに、男達がまたニヤニヤと笑い出した。そのうちの一人が、私の腕を掴もうと自分の腕を伸ばして、肘から先を失くした。


「えっ? うっ、いでええええええええ!!!」


 混乱、のち、絶叫。

 相方の絶叫に驚いたもう一人の男の顔に血飛沫が飛ぶ。男だけではなく、私にも、シスさんにも平等に飛んだ。


「な? て、てめ」


 何が起こったか分からないなりに、本能的な危険を感じ取ったのか。

 シスさんに殴りかかろうとしたもう一人も、やはり腕を失くしてしまった。今度は肩から。


「ぐうあああああっ!!!」


 二人ともが膝から頽れて、地面に伏す。私は男達の挙動を追うようにしながら、その実、シスさんの影を見ていた。

 長く伸びたシスさんの影は、誰よりも黒く濃い。まるで地面を直接塗り潰そうとしているかのように。比喩でもない、本当に彼の影は、私や男達よりも濃い。

 何故なら彼の影は、厳密には影の形をした深淵への入り口なのだ。ここから伸びたものが、男達の腕を切り落とした。切り落とされた腕はそのまま深淵へ引き摺り込まれて、もうこの世界には存在しない。


「あなた方如きがカナさんに触れようなどと、許されることではありませんよ?」


 片腕ずつ失くした男二人のうち一人はまだ泣き叫んでいて、もう一人は震えながらシスさんを見上げている。その顔は、私に迫っていた時のニヤニヤしていた顔からかけ離れて恐怖に染まっていた。


「その罪は、命を以て償いましょうね」


 影の触手――そうとしか表現できないモノがシスさんの影から伸びて、男達を取り囲む。男達は触手に気づいていないようだが、絶望的な状況である事は分かっているようだ。


 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 「いだいいぃぃ……いやだぁぁぁ……いだいいだいいだい……」


 念仏を唱えるかのように懺悔し続ける男と、痛みに全てを支配されている男。

 残念ながら、私はこの男達に同情してやることはできなかったし、情けをかけてやろうとも思えなかった。

 今回は手痛いしっぺ返しを食らって未遂に終わったが、こいつらは、金を巻き上げて女の子に乱暴することに慣れている。常習犯なのだ。これまでに何人が被害に遭ったのか分からない。ここでこいつらが死んでおけば、この先、安心できる要素が一つ増える。


 「待って、シスさん」


 でも私には、それよりもっと大事なことがある。

 シスさんに、手を汚させない事だ。


 「カナさん。どうして止めるのですか?」


 笑みを貼り付けて私を見下ろすシスさんは、はっきり言って怖い。この人は本当に怒っている。笑顔で取り繕おうとしているが、その怒気は隠せていない。いや、隠す気がない。


 「これ以上はやり過ぎだよ」

 「……こいつらはカナさんに不埒な事をしようとしました」

 「そうだけど、まだ指一本触れられてないよ」

 「触れられてたらもう殺してます」


 多分、嘘じゃない。本当に殺していただろう。


 「この人達が私にしようとした事については、シスさんが罰を受けさせたよ。余罪に関しては、きちんと法で取り締まられるべきだと思う」


 正直、過剰防衛にあたると思うが……余罪への断罪にちょっと足が出た、という事にしてもらおう。


 「……」


 シスさんは明らかに不満そうだった。影の触手も、男達を囲んだまま、引っ込む様子がない。

 仕方がない、奥の手を使おう。私は肩にかかった髪を大げさに払って、不機嫌な表情を作った。


 「私が信じられない?」


 

 シスさんはぽかんと口を開けた間の抜けた表情を見せたが、それは恍惚とした表情へ変わっていく。

 こうかはばつぐんだ! ただし、私は精神にダメージを受けた。


 「ああ――滅相もありません」


 影の触手がシスさんの影へと収まっていく。よし、当面の脅威は消えた。男達を見下ろす。男達は命の危機が去ったことに気付きもせず、怯えて震えるだけだった。

 

 「ありがとう、シスさん。この人達を騎士団に引き渡すの、手伝ってくれる?」

 「もちろんです。私の神様」


 そう、私はシスさんの神様。一年ほど前から、そういうことになっている。



 事の始まりは、三年前。

 私、ウツロイ カナは、タカナシ アキラ君と一緒にこの世界――異世界へ召喚された。高三の夏だった。学校の教室にいたはずなのに、気付いたらお城の大広間にいた。召喚成功を喜ぶ人達に囲まれて。

 彼らは、異世界から救世主を召喚したとのこと。私は、救世主であるタカナシ君の召喚に巻き込まれたという話だった。

 異世界アースワン。創造神アーステラただ一柱のみが神として存在し、アース教として信仰されている。

 創造神に見守られた世界は平和を享受していたが、ここ数年、不穏な気配が蔓延り始めた。明らかに異形の存在が現れ始めたのだ。

 それらは、世界の裏側――深淵から零れ落ちたものだという。深淵とは、アースワンが世界を創造した時に不要だと判断したものを捨てた場所、らしい。そこから滲み出たモノが世界を侵食し、遂には世界樹という、この世界にとっての御神木のようなものに寄生してしまった。この世界の者には切除できない為、死に物狂いで研究し、異世界の人間を召喚したらしい。それがタカナシ君なんだって。

 ちなみに魔法は深淵に捨てられた力の為、この世界の人達には使えない技術。深淵から零れたものを少しずつ集めて研究して、どうにか本の記述でしかなかった異世界からの召喚を達成したとか。よって帰る方法は確立されていないらしい。ふざけるなよ。

 私もタカナシ君も、怒って帰る方法をさっさと見つけろって言っていいものだと思うのだけど、タカナシ君は異世界の人達に同情し、世界樹を目指すことになった。

 確かに、異世界の人達が可哀想だとは思う。自分達の力ではどうしようもないモノが出てきて、そのせいで土地が汚染されたり、疫病が流行ったりで皆が苦しんで、亡くなっている人の数も増えてきているって話だから。

 でもそれってこの世界の人達がどうにかすべき事じゃないの?

 私はそう言った。血も涙もない奴だと思われたかもしれない。

 私の言い分もよく分かるけど……と言いながら、タカナシ君は世界樹を目指して旅立つことになった。この時、お人よし過ぎる彼が心配になった私は、彼についていくつもりでいた。たった二人の同郷だし、なんか騙されそうで心配だった。

 その考えを改めたのは、旅の前に、祝福とやらを授けてもらうために王都の大聖堂へ立ち寄った時のこと。


 「初めまして、異世界からの救世主様」


 アース教がいかに大切にされているのかよく分かる、荘厳で美しい大聖堂で私達を出迎えた、アース教のナンバー2。


 「私はアース教の枢機卿の一人、シスと申します。教皇様に代わり、あなた方へ祝福を贈らせていただきます」


 それがシスさんだった。

 二十代半ばを超えたあたりにしか見えない、端正な顔立ちの男性。

 教皇は高齢で、体調が芳しくなく、寝たきりの日の方が多い。その為、枢機卿であり教皇の補佐を務めるシスさんが実務のほとんどを担っており、実質ナンバー2なのだという。若すぎるナンバー2への不信感は、このすぐ後に決定的になった。

 この人と目が合った瞬間、私は直感した。「この人やばいな」と。

 空虚な目。黒曜石のように美しい黒い目は、それこそ本物の宝石が嵌まっているかのように感情が読み取れなかった。何もかもに興味がない。たとえ今、彼の前に立つ全員が目の前で殺されるようなことがあったとしても、眉一つ動かさないだろう。

 そんなシスさんに、ただ一度、感情が垣間見えた瞬間が、タカナシ君の背中を見つめている時だった。心底疎ましそうな目。なぜ今すぐ排除しないのか不思議なくらい、とんでもない目を向けていた。

 どの面を下げて聖職者をやっているのか知らないが、こいつに祝福の祝詞を唱えられたところで、きっと効果なんてないだろう。魔法がないこの世界で、祝福は目に見えて何かが変わるわけではない。要は気持ちの問題なわけだが、それにしたってこの男は、ない。むしろタカナシ君の失敗を祈っていそうだ。

 シスさんが祝福を授ける、となった時に、私はやっぱり旅へついていくのをやめる、と言ってここに残ることにした。シスさんを監視するべきだという私の本能に従ったのだ。

 タカナシ君もシスさんも、その他大勢も私の突然の心変わりを不思議がったが、反対はしなかった。巻き込まれただけの一般人だから。

 私は王家の庇護を受けて仮の住まいとして市井に家を貰い、旅立つタカナシ君を見送って、神殿に通い詰めた。

 シスさんは私を邪険にはしなかったが、興味もなさそうだった。私の質問には丁寧に答えてくれるが、私には何も聞かない。私も、彼に怪しまれないように当たり障りない話をしては帰る。それを一ヶ月近く繰り返したところで、私は勝負に出た。


 「ところで、この世界の神様は、アーステラ神だけなんですよね。私の世界ではたくさん神様がいたから、なんだか不思議な感じです」


 何でもない事のように呟いた私は、ちらりとシスさんを見る。彼は目を見開いて、私を凝視していた。何も気付かないふりをして視線を逸らし、手元の本をパラパラと読むふりをする。アース教の教義が書かれた聖典らしいが、この世界の文字はほとんど読めない。


 「そのお話、詳しく聞かせてください」


 興奮を隠し切れないような抑えた声音に、私は勝負に勝ったことを理解した。意外そうな表情を作って顔を上げると、見たことがないほど瞳を輝かせたシスさんと目が合った。路傍の石も人間も同じように見ていたシスさんの目が、私への興味に満ち溢れている。

 シスさんに信仰心は存在しない。毎日交流を続けて、私が得た結論だ。

 枢機卿という立場でありながら、この人は神への信仰心を持ち合わせていない。アース教について尋ねれば答えてくれるが、尋ねなければ何も言わない。答えてくれるそれらも全てがただの説明で、熱意や信心深さと言ったものは感じられなかった。試しに他の神官に話を聞きに行ってみたが、彼らは皆、アーステラがいかに素晴らしい神なのか、こちらがもういいと言ってもやめてくれないくらい延々と語ってくれた。

 彼らよりも高い地位にいながら頼まれないと教義を語らない枢機卿。

 さすがに皆の前ではもっとうまく取り繕っているのだろう。異世界人であり、アーステラの信者ではない私にまで取り繕うのが面倒だ、という事なのだろうが。それにしたって露骨すぎる。私のことを、考えない葦か何かだと思っているのだろうか。

 アーステラの信者ではないのに枢機卿という地位を得て、暗躍する男。

 金目当てとかなら、まだいい。私には全く関係がない。でも、そうでなかった場合。

 タカナシ君を見送った時の、あの疎ましそうな目。彼にまで何かされては困る。タカナシ君とは特別親しいわけではないが、全くの他人でもない。何かあっては寝覚めが悪い。

 それから私は、シスさんに自分の世界の神話を色々と語った。日本神話、ギリシャ神話、北欧神話その他諸々。シスさんは、全てに興味津々で耳を傾けていた。その目の輝きは、アーステラについて語っていた時にはなかったものだ。

 シスさんへ話を聞かせる傍ら、私は調査にも精を出した。深淵に関する調査と、アーステラについて。それから、シスさんの動向。異世界召喚の巻き込まれ事故から約二年、私はこれらの調査に全力を注いだ。他にやることがなかっただけとも言う。文字も読めるようになった。

 そして調査の結果を何度も精査して私の中で結論が固まり始めた頃、一報が届いた。タカナシ君が間も無く世界樹へ辿り着くという。

 世界樹に寄生した深淵から来たモノを切除する、彼がこの世界へ来た意味を果たす時が近い。

 この時が来た。私は随分と長く居座っている仮住まいの家を飛び出して、大聖堂を目指した。

 アース教は王家に並ぶほどの権威を持つ。王家を通じて私のところに届いたこの報せが、彼の元へ届いていないはずがない。



 


「シスさん」


 夜明け前、誰もいない礼拝堂。燭台だけが光源だから、広い礼拝堂は薄暗い。

 前方に設置されたアーステラの像は、昼間は背後のステンドグラスを透かした極彩色の光を受けて美しく神々しくも見えたが、今、低い位置から燭台の灯りで照らされているアーステラ像は不気味にしか見えなかった。

 燭台に灯りが入っているのは、人がいるからだ。アーステラ像同様、燭台の灯りにぼんやりと照らされたその人は、平素の枢機卿の証である白いローブとではなく真っ黒のカソックを身に纏っていた。闇の中、白い顔が浮かび上がって見える。

 振り返ったシスさんは、枢機卿としての営業スマイルを貼り付けていた。


「……カナさん。こんな時間にどうされました?」

「灯りが見えたので」


 嘘である。燭台の灯りは最低限で、外から見ただけでは灯りが入っているのか分からなかった。確信をもって鍵が掛かっているはずの扉を開けようとしない限り、気付かないだろう。私はシスさんがいると確信があったから開けた。


「そうですか。ご心配をおかけしたようで申し訳ありません。少し一人で考え事をしたくて、つい。――私はもう少しここに残りますので、よろしければ、ご自宅まで送りますよ」

「大丈夫です。明かりがついているのが見えたから、シスさんがいたらいいなと思って来たんです。少し、話がしたくて」

「私とですか? こんな夜中、いえ、夜明け前に?」


 首を傾げるシスさんに、頷く。そう、事は一刻を争うのだ。


「……」


 シスさんは、顎に手をやって暫し沈黙した。彼はきっと、心の中で秤にかけているはずだ。自分の計画を早く実行したい欲求と、私の与太話に少しばかり耳を傾けてもいいか、という打算的な欲求。

 やがて、彼はにっこりと笑った。


 「分かりました。カナさんのお話を先に伺いましょう」

 「ありがとうございます、シスさん」


 彼は乗ってくるという私の予想が当たった。私は彼に有益な話をたくさんしたから、この土壇場でも耳を傾ける価値があると判断されると予想しての賭けだった。彼が、時間をかけて計画する忍耐があり、勝負を急がない人だという読みも当たったようで何より。

 時間がないから、手札は早々に切っていく。


 「じゃあ、早速。この世界の危機についてなんですけど。深淵からあれこれが零れてるせいだっていう話。それがどうしてかは原因不明と聞いてますが、あれはシスさんのせいですよね」


 シスさんの笑顔が凍り付いた。


「あなたが深淵とこの世界を繋げたから、様々なものが零れて滲んで、世界が危機に陥っているんですよね」

 「……どうして、そのように考えたのですか」


 温度のない声で、彼は問うた。いつの間にか彼の顔は陰になっていて、その表情を窺う事はできない。


「あなたはアーステラへの信仰心はない。でも枢機卿で、私の世界の神様にはすごく興味がある」


 その他にも色々調査して、なんなら王族しか入れない書庫への立ち入りを特例で許可してもらって、禁書とかいうのまで調べたけど字が読めなくて大変でそっちの勉強と並行して――割愛。とにかく様々な角度から調査をして出した結論。


「シスさんは、新しい神様を創ろうとしたんじゃないですか。その為に、深淵に干渉した」


 アーステラ一人しか神様がいないこのアースワンで、全く新しい神様を創る。

 深淵について改めて調べたところ、それはアースワンの、あるいはアーステラのごみ箱といってよかった。アーステラが「いらないモノ」と判断したものが、深淵へと放り込まれる。

 例えば、かつてアースワンでは「魔法」が存在した。世界が魔法で溢れて文明が大いに発展する兆しを見せた頃、アーステラは魔法を深淵へ捨てた。これによってアースワンから魔法は失われた。アースワンの人達は、アーステラによって深淵に葬られたモノを忌み嫌う。魔法は文字通り「黒歴史」となり、人々は魔法なんて存在しなかったかのように振る舞う。そんなことが何度繰り返されたのか知らないが、この世界の文明レベルが低い理由は、推して知るべしである。

 深淵には、魔法以外にも様々な物が打ち捨てられている、とされている。「神の御業」と例えられるような物は、大抵が深淵行きになっている。つまり、人間にはできない事、神の如き、なんて事をするなら、深淵について調べるのが一番手っ取り早い。この人は、私と同じ結論に達したんだと思う。


「……正直、驚いています」


 暗闇からの返答は、笑っているように聞こえた。


「異邦人であるあなたが、今まさに悲願を達成しようとする私の前に立つとは」


 燭台が揺らいだ。シスさんが、手に持ったそれを自分の顔に近付けたのだ。彼は笑っていた。営業スマイルではない、嘲るような笑み。勿論、目は笑っていない。


「聞かせて下さい。なぜ、ここまで辿り着いたのですか?」


 少し驚いた。そんな事を聞かれるとは。そんな、分かりきっている事を。


「あなたが、私を舐めていたからです」


 それ以外、何があるというのだろう。

 この人は私に興味がなかった。だから、私に対しての取り繕い方が雑だったし、何だったら取り繕っている気すらなかったのかもしれない。

 この世界の価値観でいえば、アーステラを信仰していないことは大罪だ。信仰しないという考えが、そもそもない。

 シスさんは、文字通りの異端者だった。異端であるこの人は、世界全てを欺いて、信仰心の篤い枢機卿を演じていた。

 シスさんは、最初こそ、タカナシ君と一緒に行く事を取りやめて、毎日のように自分のところへ通ってくる私を怪しんだだろう。私も、警戒されていると感じた。でもそれも、私が自分の世界の話をするまでだった。

 私が自分の世界の話――神がたくさんいて、信仰も人それぞれだという話をしてからは、私への注意を、自分の目的の方へと傾けていった。タカナシ君の動向は気にしても、私の事は気にも留めなかった。毎日のように顔を出していたのが途絶えても、特に気にされない。

 私はシスさんに、「気にしなくていい」と判断されたという事だ。あからさまに探りを入れていた私は、彼の脅威として認識されなかった。舐められたのだ。

 私も始めは、タカナシ君が心配だったから、タカナシ君を邪魔そうに見ていたシスさんを警戒した。でも探りを入れるうちに、この人は全く違う所を見ていて、私の事は全く眼中にないと分かった。

 どうでもいいと思いながら片手間に相手をして煙に巻く――巻けると思われた。それがちょっとムカついた。


「だから、ちょっと意地悪したくなりました」


 性格悪い自覚はある。タカナシ君に危害を加えさせない事はもちろんだが、私は途中からシスさんの邪魔をしたいという思いが強くなった。明け透けなく言えば、この人が私への興味を失うほど、私はこの人へ執着したのだ。うーん、自分で言っていて嫌だな。


「意地悪……ですか。そんな事の為に、貴重な時間を私に費やしたのですか」

「えぇ、まぁ。暇だったので」

「それはまた、羨ましい事で」


 完全な嘲笑だった。もう、隠すつもりもないらしい。


 「ただの馬鹿だと思っていましたが、ただの馬鹿ではない馬鹿だったということですね。勉強になりました。お礼に、補足をしてあげましょう」


 馬鹿馬鹿言い過ぎだ。腹立つ。でも続きが聞きたいので、黙ってあげることにした。


「確かに私は、新しい神を創るつもりです。ですがそれは、私の目的の通過点です」


 なぜ新しい神が欲しいのか。私には分からなかった部分だ。きっと本人にしか分からない。

 知りたかったことをいきなり教えてくれるなんて、親切な人だ。


「是非教えて下さい」

「……。有史以来、アーステラが姿を見せたという記録はありません」

「はい」

「あらゆるモノが深淵へと打ち捨てられたことは確かでしょう。でもそれは、アーステラが自らお出ましになって手を下されたという証にはならない。実際、魔法が失われた時も、緩やかに魔法が使えなくなっていったという記録が残されています。魔法の資源が失われたことを、深淵へ捨てられて失われたと喩えたのかも」


 確かに、歴史書にはそう書かれていたものもあった。

 アーステラの慈悲とか、警告とか、そういう書かれ方をしていたが、要は、魔法はある日突然失われたわけではないということ。ある日突然全く使えなくなったのなら、神の御業を疑うこともできる。だが徐々に使えなくなっていったのなら、それは資源の枯渇と考えた方が自然だ。時の為政者が、神がやったことにして非難を免れようとしたのかもしれない。


「誰も姿を見たことがない、直接何かをしてくれるわけでもない。――それは、いないと同義ではないでしょうか」

「……」


「私は、いない神を信仰することが理解できなかった。おかしいでしょうか?」

「……多分、おかしくないんじゃないですか」

「ご理解いただきありがとうございます。この世界で、あなただけですよ」


 でも、と続けるつもりだった言葉は呑み込んだ。シスさんが心から感謝を述べているように思えたからだ。水を差すような真似は、少なくとも今は控えた方がいいだろう。


 「私は、私だけの神が欲しかったのです。私だけを見守り、私だけを愛し、私だけを律し、私だけを導く神様が」


 将来の夢を語る子供のように、彼の瞳はキラキラしていた。

 どんな夢物語でも、言ったもの勝ち。具体的にどうやって実現するのかなんて考えなくていい。それを考える頃には、夢物語は現実に塗り潰されていく。夢を抱き続け、それを実際に叶えられる者はほんの一握り、いるかどうか。

 彼の夢は、現実に負けなかった。逆に現実を侵食した。

 

 

「アーステラにそれは望めない。あの神は何もしない、いてもいなくても変わらない神だから。だから自分で創ることにしたのです」


 自分の望みを果たす神がいないから創ろうなんて発想、普通は湧かないと思う。だがシスさんは思い至り、本当に実現した。いや、今は実現の一歩手前だけど。


「枢機卿になったのは、都合がいいからですか?」

「そうです。深淵について調べるにしても何をするにしても、立場があると便利なので」


 シスさんは即答した。便利だから。それ以外、この世界の人間全てが敬い尊敬する自分の立場に価値を感じていないのは明白だった。


「ここに来るまで、私のこれまでの人生全てを賭けたと言っても、過言ではありません」


 風もないのに、燭台の火が揺らいだ。いや。

 足元に伸びたシスさんの影から、何かが這い出てきた。それらはすぐに周囲の闇に溶け込んで見えなくなった。でも感じる。ずるずると、大聖堂を覆うように何かが動いているのを。私を取り囲むように。


「その甲斐あって、私は深淵と繋がる事に成功しました。世界に影響が出る事も想定済み。救世主を喚ばれたのは驚きましたが、それも可能性として想定はしていました。彼が世界樹へ辿り着く頃には、私は目的を達成しているから問題ないという結論も得た」


 強がりでもなんでもない。彼が述べたことは全て事実だ。

 事実、シスさんは今まさに、最後の仕上げに取り掛かるつもりだったのだろう。私が来なければ、とっくに始めていたはずだ。


 「カナさん、どうされますか?」

 「何がですか?」

 「私の神が誕生する瞬間を見届けるか、どうか。あなたは私の唯一の理解者ですから、そのつもりがあるなら席をご用意しますよ。そうではない場合、お別れですが」


 この人は自分だけの神に見守られながら生きることが目的なのだから、神を創った後なら全てが明るみに出ていわけではない。むしろ、何事もなかったかのように振る舞わなければならないのだ。

 シスさんだけの神様は、シスさんが死んでしまえば信者を失い信仰を失う。彼は死ぬわけにはいかない。異端者として排除される可能性を潰すには、ここで私を殺すのが手っ取り早い。お別れとはそういうことだ。

 

 「タカナシ君はどうするつもりですか?」

 「どうもしません。救世主の仕事が世界樹に寄生したモノの切除だというのなら、彼が仕事を終える前に、モノの方が先に消えますから。彼は私の障害にはならない。――私が何かをしなければならないのは、あなただけです」

 「……深淵から零れたモノは、勝手に消えていくということですか」

 「さぁ、どうなるのか。……そこが気になるなら説明しますが、私が深淵から自ら取り出したのは、世界樹に寄生しているモノだけです。後は勝手に零れただけ。ですから私が神を創れば世界樹のモノは消えますが、他については私にも分からない。勝手に消えるのか、いつまでも蔓延るのかもね」


 なるほど、無責任だ。世界がどうなっても構わない、と言っているようにも聞こえたがとりあえず置いておこう。


 「知りたいことは終わりですか? どうするか、決まりましたか?」


 闇が動いた。正確には、闇の中の何かが。私の逃げ場をなくして、私の命を盗もうとしている。

 イケメンに迫られてる……!? とか、そんな場合じゃない。私に迫っているのは命の危機である。

 タカナシ君に何もしないなら、私がこの人をどうこうする理由もなくなる。意地悪をするという目的も一応は達成したし、神の誕生を見届けて命拾いをしようかと考えるが、それよりも。


 「いえ、もう一つ。シスさんは自分だけの神様を創って、神様に見守られて生きたいと言っていましたが、あなたが創るそれは、本当にあなたが望む神様ですか?」

 「は?」


 今の「は?」は、「聞こえませんでした、もう一度お願いします」の「は?」ではなく、「何ふざけたこと言ってんだこいつ」の「は?」だった。

 怖っ。顔がいいんだから真顔にならないでほしい。余計に怖い。でもとりあえず、言いたいことは言おう。


 「シスさんが創った時点で、その神様にシスさんの意思が全く反映されていないと言い切れますか? あなたを理解して導いてくれるのではなく、あなたが深層心理で望んだことをそのまま返してくれるだけの鏡のような、ただの願望機なんじゃないですか」


 創造物に、創造者の意思が一切介入しないのは難しい。

 介入していてもしていなくても、その証明をすることが難しいのだ。

 「ある」と断言はできないが、「ない」とも言い切れない。


 シスさんは私を凝視している。だから怖いってば。

 でもこの反応、シスさん自身も、一度も考えなかったわけではないらしい。敢えて目を逸らしていたんだろう。考えてもきりがないから。


 「……」


 シスさんは何も言わない。でも、背筋がぞわぞわする。私を殺そうかどうか、本気で悩んでいる。殺すか見逃すかではなく、八つ裂きにするか磔にするかを悩んでいる、みたいな感じ。

 うーん、死ぬかも。いいや、やるだけやってみよう。


 「すいません、長々と。ここからが、私からの提案なんですけど」

 「……」


 シスさんは反応しない。視線で人が殺せるなら、きっと私はとっくに死んで体も残っていないだろう。ええい、ままよ。


 「シスさんの神様って、特別な力は何もいらないんですよね? アーステラへの信仰が全くなくて、ちゃんと実在して、シスさんを目に見える形で見守ってくれる」

 「……だったら何だというんです」


 声が、明らかに低い。怒ってる怒ってる。でも、図星だと感じているから変に反論してこないんだろう。逆ギレタイプだったら終わってた。違うなら、まだ希望がある。


 「だったら、私があなたの神様ではいけませんか?」

 「は?」


 あ、今度は「もう一度お願いします」に近い「は?」だった。


 「私は異邦人ですからアーステラへの信仰はないし加護もないです。ちゃんとここにいるし、シスさんのこと、いつでも見ていてあげられますよ」

 「……」


 「どんな愛でもよければあなたを愛せます。今シスさんを止めているように、あなたの意に反して叱ることもします。迷っていれば相談に……まぁ、導きます。新しい神様を創らなくても、私があなたの神様になってあげますよ」

 「……」


 「どうですか?」

 「頭、大丈夫ですか?」


 なんてこと言うんだこいつ。


 「なんてこと言うんですか」

 「いや、いや。おかしいでしょう。私の神になるって、正気ですか?」

 「もちろん正気ですよ。何が駄目ですか? やっぱり、神様っぽい全知全能の力、みたいなの持っていないと駄目ですか?」

 「駄目とか……そういう問題ではありません」

 「じゃあどういう問題なんですか?」

 「……」


 シスさんは黙り込んでいる。でも、場を満たしているのは今にも襲われそうな殺気ではなく混乱だった。声のトーンも戻っている。彼は本当に混乱し、狼狽している。


 「シスさんが創った神様は、シスさんの意思が介入している可能性がある。でも私だったら、絶対にそんなことはありませんよ。間違いなく私の意思で、あなたを導く神様になります」


 シスさんが、私をまじまじと見つめている。そこでようやく、シスさんの顔がよく見えることに気付いた。燭台に照らされていなくても、彼の顔色が窺えるようになっている。顔を上げると、窓の外が薄っすらと明るくなり始めているのが見えた。夜が明けるのだ。それにしては、私が立っている位置は暗すぎる。どうしてだろうとふと天井を見上げて、ぎょっとする。

 窓の外に比べて、暗すぎる大聖堂内。それは、シスさんの影から出てきたモノが、大聖堂全体を覆うように伸びているからだった。そしてそれは私を中心として広がっているように見える。夜闇が晴れ始めても尚、居座る闇。これが深淵の闇。

 私の周囲だけが暗すぎて気付かなかったが、夜明けが近いということは、眠りについていた人たちが起きだすということ。特に、神に仕える人々の朝は早い。ここにも、もうじき人がやってくるだろう。

 そうなれば、シスさんは目的を達成できない。シスさんが私の提案を蹴るにしろ吞むにしろ、彼を阻止するという私の目的のほうは、今日のところは達成されたと言っていいだろう。

 

 「今日のところはお互い引き揚げましょう」、そう提案するつもりだった。しかし私が口を開くよりも、僅かな差でシスさんの方が先に口を開いた。


 「……本当に」

 「え?」

 「本当に、私の神様になってくださいますか?」

 

 驚いた。素で驚いた。自分で言っておいてアレだけど、絶対に採用されないと思った。というか、完全に時間稼ぎのつもりだった。

 私が思っていたより余程、自分が創る神への疑念を抱いていたということか。

 とりあえず、彼の気を引くために何か答えねば。


 「もちろんです。信じる者なくして神は存在できない。あなたが私を信じてくれる限り、私はあなたの神様です」

 


 咄嗟の答えにしては、神っぽいことを言えた気がする。

 自分の返しにちょっとだけ満足していると、周囲の闇が引いていくのを感じた。潮が引くように闇が引いていき、燭台のそばを通ると火がフッと消える。

 闇が引くと同時に燭台の火が消えて、大聖堂に朝日が射し込んだ。本来の明るさを取り戻していく。どこかホッとした気持ちでシスさんを見て、絶句した。


 「ああ――神様」


 ステンドグラスを背負って立つシスさんがいた。極彩色を背負いながら祈りを捧げるように指を組み、端正な顔立ちに恍惚とした表情を浮かべて私を見つめている。


 ――それは、狂気的でありながら神秘的でもある光景だった。

 いっそ、彼の方が神様なのではないかと錯覚するくらいには、神秘的で美しい。この瞬間を切り取って、宗教画として飾りたいくらいだ。この世界にカメラがないのが口惜しい。もっとも、私を崇める信徒の絵では宗教画としての価値はないに等しいものだろうが。

 そう、私の信徒。

 


 この時から、私はシスさんにとって唯一無二の神様になったのだ。

 


 それからのこと。

 タカナシ君は、英雄として帰還した。

 タカナシ君が言うには、世界樹へ辿り着いた時にはどこにも異常がなく、不完全燃焼のまま、彼の冒険は終わった。帰還した彼は役目を果たしたとは言えないと訴えたが、彼を英雄として求心力を求める王家は、その訴えに耳を塞いだ。結果としてタカナシ君は救世主にしかできないと言われた役目を果たせないまま、アースワンの救世主として持て囃されることになった。

 私がこの裏事情を知ったのは、納得がいかない、と旅から帰還したタカナシ君が私に会いに来て、直接教えてくれたからだ。そんなタカナシ君の傍には四人の美少女がいた。旅の途中で知り合った仲間だという。それぞれタイプの違う美少女だが、私を見る目の厳しさは一緒だった。

 絵に描いたようなハーレムを築いてくるとは……やるな、タカナシ君。


 「当初の目的は果たせなかったとしても、それまでの旅路は噓でも無駄でもありません。あなたのおかげで救われた人が大勢いるのです。あなたは間違いなく英雄ですよ」

 「シスさん……ありがとうございます。シスさんの祝福のおかげです」

 「とんでもない。あなたの努力が、正しく実を結んだ結果です」


 いけしゃあしゃあとのたまうシスさんは、私の隣でタカナシ君を褒めちぎった。

 シスさんこそが、世界樹の異物を取り除いた張本人であるなど、誰も思うまい。厳密にいえば寄生させたのもシスさんなので、マッチポンプだが。

 タカナシ君が英雄になってくれれば、シスさん自らが世界樹から取り除いたモノについて深く言及されることはない。彼を英雄に祭り上げることは、王家にとってもシスさんにとっても都合がいいことだった。

 

「なんだかシスさんに言われると、本当にそんな気がしてきちゃいます」


 そうだろうな。この人、本当に神の祝福なんてないと思っているし、そう考えながら適当にフリだけをしたってことになるんだし。タカナシ君が残した結果は、神の加護などではなく彼の努力の賜物だと、誰よりも理解している。

 

 タカナシ君は、恐縮しながらも満更ではなさそうだった。取り巻きの女の子たちもうんうんと頷いて、ここぞとばかりにタカナシ君を褒めちぎった。彼女らはシスさんの顔立ちに見惚れはしたものの、すぐにタカナシ君にくっついて取り合っていた。

 顔が良くて地位もある初対面の男よりも苦楽を共にした仲間である男を取る。それなりに好感が持てるハーレムだ。ハーレムに好感って何だろう。

 女の子達に囲まれていたタカナシ君が、そういえば、と声を上げた。


 「シスさん、枢機卿を辞めたって聞きましたけど、本当なんですか?」

 「えぇ、そうです。色々ありまして」


 そう。シスさんは枢機卿を辞めた。

 枢機卿の中でも頭一つ抜けた立場で、教団のナンバー2として働いていたシスさん。次期教皇とまで言われ、史上最年少の教皇になるのでは、と囁かれていたシスさんが枢機卿を辞した事は、王侯貴族のみならず国中が騒然とした。

 シスさんを慕う神官や彼を信奉する信徒、さらには教皇までが彼を引き留めたそうだが、シスさんはそれらの声には耳を貸さず、きっぱりと辞めた。

 理由を問われれば曖昧にはぐらかしていたが、私は知っている。

 彼が枢機卿を辞めたのは私の為だ。私の為というか、自分の信仰を守る為。

 私がシスさんの神様になった今、彼の信仰は私にある。信仰していない神様――アーステラを信仰する教団の枢機卿をやっている暇なんてない、ということだ。もちろん、そんなこと誰にも言えないから私とシスさんだけの秘密だ。


 「残念です……シスさんが話を聞いてくれると安心できたのに」

 「別に枢機卿でなくても、話くらいはいつでも聞きますよ。私はカナさんと暮らすことになるので、カナさんを訪ねてくれればいつでも会えます」

 「そうなの?」


 タカナシ君が驚いたように私を振り向いた。私は頷く。


 「まぁね」


 詳しくは聞かないでほしい、と視線を逸らすと、タカナシ君は察してくれたらしい。「そうなんだ」と呟いて、この話題を終わらせた。この際、彼が私とシスさんの関係をどのように勘違いしていてもどうでもいい。

 神様と信者――狂信者と説明するよりも悪いことにはならないだろう。

 さっさと話題を変えてしまうことにする。


 「タカナシ君、元の世界には帰らないんだって?」

 「え? あ、うん。そうだよ。まだできることがあるかもしれないから。ウツロイさんもそうだってことでしょ?」

 「うん、まぁ。私も、色々とやりたいことがあって」


 神様になったから信者を置いていけない、とは言わない。


 「そっか。じゃあ、お互いに頑張ろうね」


 タカナシ君は存外、あっさりと引き下がった。私も彼のことを言及しないから、倣ってくれたのだろう。ありがたい。もとより、私とタカナシ君は同級生、という間柄でしかない。互いに顔は知っていて、存在を認知しているという程度の関係。だからこそ、あまりお互いのことを根掘り葉掘り聞かないようにする。なんて楽な関係。

 こうして、事故のように異世界へ召喚された私とタカナシ君は、元の世界には帰らず異世界アースワンに残留することとなった。……そもそも帰る方法は見つかっていないのだが、もうどうでもいいことだ。


 タカナシ君はハーレムの女性たちを引き連れて、旅を続けている。

 世界樹へ寄生したモノは消えても、まだ深淵の影響を受けているものは多くある。彼は苦しんでいる人達を救うために旅立った。英雄の鑑だ。

 私はと言えば、仮住まいから永住の地になりそうな家でシスさんと暮らしながら、やっぱり深淵の置き土産を片付けることを目的にている。

 元はと言えば私の信者が撒いた種、自分で片付けさせるのが道理だろう。そう説けば、シスさんは思し召しのままに、と嬉しそうに従った。

 シスさんは、とんでもないことから些細なことまで、様々私に報告してきた。私はそれを褒めたり、叱ったりする。彼が迷っていれば助言をした。あの大聖堂での問答以来、私は神様らしい振る舞いなんか気にせず、すっかり素で接しているが、シスさん的に問題ないらしい。

 そうと分かってからの神様は肩肘張らずにできてよかったが、日々を重ねるごとに思う。


 ――これは神様ではなく、お母さんなのでは。


 いいことをしたら褒めて、悪いことをしたら叱る。困っていたり、悩んでいたらアドバイスをする、手を貸す。これ、神様じゃなくても、お母さんでもいいんじゃないかな。この人が欲しかったのは信仰を捧げる神様ではなく、ともに寄り添って愛情を傾けてくれる人だったのではないだろうか。

 シスさんの生い立ちなんて聞いたことないから、この人が愛情に飢えた人生を送っていたのか、それを信仰と履き違えていたのかは分からない。

 でも、彼が私を見る目には、ただただ崇敬の念がある。少なくとも、彼が私に愛情を抱いておらず、信仰を捧げる過激な信者であることには間違いない。私の方は彼のことを敬虔な信者と受け取ってはいないけど。

 シスさんに向ける自分の情を、何と呼べばいいのかいまだに分からない。当分、分からなくていいのだろう。

 互いの命がある限り、寄り添いあうと誓った仲だ。この先、神様と狂信者以外に名前がつく関係になったとしてもおかしくないのだから。



 ――そう思ってから一年を過ぎた。

 私とシスさんの関係に大きな変化はない。私達は変わらず、神様と信徒である。ただ、私がシスさんへ抱く思いは変わった。私はシスさんのお母さんだったけど、ちょっと色気づいて、この人が好きだな、と思う時間が増えた。

 年頃の男女が一つ屋根の下で暮らしていたら自然の成り行きじゃない? と言い訳するが、シスさんの方は全く変化がないから、この言い訳は通用しないのだった。おのれ聖職者。

 シスさんは相変わらず私を神として信仰し、自身の信仰である私を守る為に、過保護になりつつある。相変わらず深淵とは繋がっていて、私を守る為なら、深淵の力も結構簡単に使う。あのごろつきがいい例だ。やりすぎのきらいがあるが、これは何度言っても治らない。「私の神の安全には代えられない」と言われてしまうので、私が自衛手段を持つしかないか、と考えたが、今度はそれも「私という信徒がお守りするのだからそんなものは不要」と止められる。神様、結構不自由なの。

 いいけどね。心配されるのは嫌いじゃない。


 「カナさん」


 シスさんが私を呼ぶ。ごろつきを騎士団に突き出して、ようやく家に着いた頃だった。ポストから一通の手紙を取り出したシスさんが、それを私に差し出す。


 「お手紙ですよ。読めない字で書いてあるから、タカナシさんでは?」


 受け取って、宛名と差出人を読む。



『空居 神無 様』 『小鳥遊 光明』


 私達の世界の文字で書かれた、私と小鳥遊君にしか読めない文字。


 「うん、小鳥遊君からだ」

 「不思議な字ですよね。一つ一つに意味がある、と聞きました。どんな意味なんですか?」


 私は言ったことがないから、小鳥遊君に聞いたのだろう。


 「……小鳥遊君の名前、「あきら」っていうのは、光明って意味です。アースワンの希望の光になった小鳥遊君にぴったりですね」

 「あはは、そうですね」

 「ねー、本当に」


 小鳥遊君が召喚された原因である男がわざとらしく笑う。私もにこやかな笑顔を返してやった。

 

 「――では、カナさんは? あなたの名前はどんな意味を持つのです?」

 「――」


 神は無し。

 神などいない。私は神の存在を否定する。でも私は、シスさんの神様だ。


 「内緒です。でも、私の名前には、「神」って意味を持つ字が入っているんです」


 私の回答にもシスさんは目を見開き、そして美しく微笑んだ。


 「素晴らしい。あなたによく似合う」

 「ありがとう」


 私は神の存在を否定する。

 でも、私は彼のカミ様。

 つまり、この世界にカミは私一人でいいって事。他には誰もいらない。


 シスさんがそうでいいって言ってくれたから、今日も私は、彼だけのカミ様。

お読みいただきありがとうございました。

このお話は狂信者を書きたくて書きました。

カナには特殊な力は一切なく、文字通り休みなく自分の力で調査しました。

シスさんがカナを歯牙にもかけなかったおかげです。



ちなみにこの世界ではどんな事件があってもシスさんが無双するので、お話になりません。

あいつ一人でいいんじゃないかななので。

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