12 プール掃除しよ? 2
放課後、俺は学校指定の水着に着替え、上にパーカーを羽織ってプールへと向かった。遠くから運動部員達の声が響いてくる中、太陽で熱せられたタイルの上をひょこひょこと歩いていくと、プール場へたどり着く。運動部の盛んな私立高校のプールにしては寂しい25mプールで、水色の塗装もところどころ剥げ、歴史を感じさせてくれる。
だが25mプールと言えど、三人でやろうと思ったらとんでもない重労働だ。これは覚悟しとかないと……と思っていると、中からデッキブラシを使う音が聞こえてくる。
住吉か秋月さんが先に来ていたのかと思ったが、そこに居たのは意外な人物だった。
「遅いぞ武岡、罰として校庭一万週させるぞ」
プールの隅の方を擦っていたのは、担任の幸田先生だった。
「先生、どうして?」
「いやお前らだけじゃ終わらんだろうからな、俺も手伝ってやる」
せ、先生……!
普段は心底やる気無さそうに授業しているのに、そんな生徒思いのところがあったなんて!
「それに俺が擦ったプールをこれから女子が泳ぐと思うと『ぐへへ、ほぉら先生のデッキブラシで擦ってあげようか?』って気分になって興奮するしな!」
前言撤回。こいつはただの変態だ。
この人は絶対秋月さんに近づけないようにしなければならない。
「おーっす、早いな武岡」
後ろからオレの肩をぽんと叩いたのは住吉だった。相変わらずでかい。それに加えて、水着にTシャツという軽装をしているため、体中の筋肉が鮮明に見える。体育のときにも思ってたけど、やっぱりこいつは生粋のフィジカルエリートだ。バスケじゃなくてどんなスポーツをしていたとしても一流の選手になれるだろう。
「まー、やることになったのは仕方ねえ。さっさとと終わらせようぜ!」
住吉はいつもの笑顔で腕を回している。こいつはこの件に関して無関係なのに愚痴一つ言わない。薄々気付いていたけど、住吉って結構良いやつなのかもしれない。それが腹立つ。
「そういえば武岡、秋月さんは?」
「もうすぐ来ると思うんだけど……」
「おまたせ」
噂をすれば秋月さんの声がした。自分のせいでプール掃除することになってるのに一番遅く来るとは流石秋月さん。
「遅いよ、秋月さ……」
言いかけた瞬間、ある事象に俺の脳の容量が激しく圧迫され、故に発声出来なくなった。
ある事象、それはつまり秋月さんの胸である。普段から一緒に生活しているので多少は見慣れているものの、今日は様子が違う。水着だ。学校指定のスクール水着なので露出面は少ないが、彼女の肌にピッチリ張り付いた布がそのシルエットを浮かび上がらせ、暴力的なサイズの双丘を顕にしているのである。
勿論のことながら、これは思春期真っ盛りの男子高校生にとって劇物に等しいものだ。普段この女の子と一緒に暮らして理性を保っている俺を誰か褒めてくれ。いや、国が表彰すべきだ。
「よし、全員揃ったな! じゃあ降りようぜ」
俺が何も言えないでいる中、住吉はいつも通りひょうひょうとしている。流石住吉、女子の胸くらいじゃ動揺しないらしい。
「待って、住吉くん」
プールに降りていこうとする住吉を秋月さんが呼び止めた。
「どうしたの?」
笑顔で振り返る住吉に、秋月さんはもじもじしながら近づいていく。
「住吉くん、ごめん、私のせいで……」
秋月さんはうつむいたままもごもごと喋る。へー、彼女が罪悪感を感じることもあるんだなあ。っていうか住吉に謝罪するんなら先ず俺に謝るべきじゃないか? 俺なんて自分のケツの音を学校中に流されたんだぞ。風流なことこの上ない。
「別に良いって! 間違うことは誰にでもあるから」
間違いは誰にでもあるかもしれないが、オオアリクイが人の尻を叩く音を学校中に福音のごとく響かせるのは秋月さんだけだ。
「だから、お詫びと言っては何だけど……」
秋月さんが顔を上げた。その瞳は湖面のように潤んでいた。
「だから住吉くん、腹筋見せてもらえない、かな?」
要求じゃねえか。何がお詫びだよ図々しい。
「だ、駄目ならせめて、触らせて欲しい」
何でエスカレートしてんるんだよ。
「それも駄目なら乳首でも良い」
「そろそろ自重しようか秋月さん」
「腹筋ね、全然良いよ!」
秋月さんの欲望丸出しのリクエストにも関わらず、住吉は勢いよくTシャツをたくし上げた。
「「おー」」
住吉の腹筋を見て思わず、俺と秋月さんは同時に声を上げてしまっていた。あまり男の身体を描写したくはないが、それは古代ギリシアに象られたダビデ像のようだった。筋肉が綺麗に割れていて、それでいて実用的な厚みがある。住吉の呼吸で波打ち、生命の脈動を感じさせる。……何を描写させてくれてるんだよ。
そして住吉の腹筋を至近距離で凝視していた秋月さんがぽつりと言った。
「武岡くん」
「何?」
「私、もう死んでも良い」
「早まるな」
「これ、どうにか神棚に祀れないかな」
「新たな宗教始めようとしてる?」
「お前ら、早くしないと先生帰るぞー!」
バカやってたところに幸田先生の拗ねた声がして、ようやく俺たちはプール掃除を開始した。




