9 林間学校、行ってみる? 9
足がガクガクする。あれから何分経っただろうか。痛みと熱さと渇きと重さに責め抜かれ、俺の体は限界寸前だった。体感的には3時間にも4時間にも感じる。
「武岡くん、武岡くん」
「……」
聞こえているのに返答する余裕が無い。それほど俺は焦りと辛さでテンパっていた。俺一人なら良い。だが、秋月さんをこのまま遭難させるわけには絶対いかない。その覚悟が逆に判断を鈍らせていた。
「武岡くん、聞こえますか……今直接あなたの脳内にペースト状にしたふりかけを流し込んでいます」
「やめろや!」
俺は息も絶え絶えにつっこんだ。
「とにかく、もう一回座ろう、私、休憩したい」
秋月さんが俺を気遣って「休憩したい」と言ってくれたことにさえ気付かないくらい、体力的に限界が近かった。
出来る限り秋月さんをゆっくり下ろした後、俺は座り込んでしまった。もう一歩も動けない気さえする。
「武岡くん、これ、飲んで」
秋月さんが再びお茶を差し出してきた。
「要らない。元の道に戻ればあるから」
俺は下を向いたまま答える。
「その元の場所に戻れなくなったんじゃないの?」
「……」
返す言葉もない。ただただ恥ずかしいし申し訳ない。
「別に武岡くんを責めてないし、あのままじっとしてた方が変にあるき回るより良かったんじゃないかな、とか思ってないよ」
「やっぱ責めてるよね?」
「責めてないよ。このままだと武岡くんが脱水症状になっちゃうから飲んで。これが最後の一杯なの」
「じゃあ尚更飲めない。秋月さんが飲むべきだ」
「じゃは半分こしよ」
「要らない」
「今回は青酸カリは入れてないよ」
「そんなの関係な、っておい! その言い方だと入れたことあるみたいじゃねえか!」
「それほどでもない」
「あるのかよ!」
「いいから飲んで。私は武岡くんが脱水症状の天日干しになるところなんて少しも見たくない」
「どんだけじっくり時間をかけて観察するつもりなんだよ! 脱水症状になりそうなのは秋月さんも同じだろ! 病人なんだから、しっかり水分補給しなきゃ駄目だ!」
さっきからちょいちょいボケを挟んでくる秋月さんを、いつもなら受け流せるのだが、余裕がなくて少し大声を出してしまった。自己嫌悪で余計に気持ち悪くなる。
「俺は男だから、これくらい大丈夫だよ」
「駄目、飲まないと危ないんだから、『ほら武ちゃん、飲んでなくない? wow wow』」
「何でコール入ってるんだよ!」
しかし秋月さんはタンバリン片手にコールを続行する。何でタンバリン山登りに持ってきたのか。
「飲ーんで飲んで飲んで、飲んでー飲んで飲んで」
「止めろぉ! 俺は女子供の分の水を飲んでいくらいなら死んだほうがマシなんだよ! 絶対飲まないからな!」
ついに怒鳴ってしまった。この状況の厳しさと、ここに来てバリエーションを増す秋月さんのボケのレパートリーに俺の脳みそが対処しきれなくなったのだ。
秋月さんは流石にコールを止め、じっと俺を見つめている。その顔は心做しか悲しそうに見えた。
「分かった」
秋月さんは静かにお茶を口に含んだ。罪悪感がこみ上げてくるが、今はしょげてる場合でもない。というか、しょげたいのは秋月さんの方だろう。
「それを飲んだら、もうちょっと歩いてみ……」
不意に両頬をガッチリ掴まれた。
突然のことに俺は機能停止して動けないところに、秋月さんの顔がどんどん近づいてくる。
え? 嘘だろ? まさか。
唇が触れる。
秋月さんの舌が、俺の唇をこじ開ける。
生暖かく、柔らかい感触が俺の口腔内に流れ込む。お茶だ。秋月さんの口から、お茶が流れ込んで来た。状況の飲み込めなさよりも、驚きよりも、水分を渇望していた俺は喉を鳴らしてそれを胃に送り込んでいた。
その一瞬が俺には永遠のように感じられた。
「こうでもしないと、飲んでくれないと思ったから」
秋月さんは俺からゆっくり離れ、口を拭いながら言った。その瞬間、何が起こったのかハッキリと脳みそが理解した。
秋月さんが俺に口移しでお茶を飲ませてくれたのだ。
つま先から頭の天辺までくまなく沸騰しそうだった。あまりに予想外の展開に、俺は脇腹の痛みも今までの疲れも忘れて、鯉のようにパクパク口呼吸していた。
俺、秋月さんと、キスしちゃった……?
「な、な、な」
「さっき落ちる前、『どうしてペアに自分を選んだのか』って私に聞いたよね」
熱があるためか足元がおぼつかない足で、しかし何事も無かったかのように秋月さんは立ち上がった。そして言葉を継ぐ。
「武岡くんがいつも私を守ってくれるからだよ。いつも私を気にかけて、助けてくれるから、何があっても武岡くんとなら大丈夫って思ったの。だから、今ここで貴方を見捨てたくない。まだこれからご飯も作ってもらいたいと思ってるし存分に寄生した、いや、家事をやってもらいたいと思っている」
「本性表したね」
後半本音ダダ漏れじゃねえか。
でもーー。
でも、秋月さんは俺に対して「頼りになる」って思ってくれてたんだ。貴重なお茶の最後の一杯を俺に分けてくれるくらいには重要な存在だと思ってくれてたんだ。いつも無表情で、無口で、口を開けばBLのことばかりだから気付かなかったけど。
いつの間にか、俺たちは互いに気遣える関係になっていたらしい。
そう思うとミャクミャク力が湧いてきた。それにさっきのファーストキスが新鮮すぎて、一切の疲れが吹っ飛んでいた。今なら秋月さんを担いだまま頂上まで登れそうだ。行けるぞ俺、やれるぞ俺。
「さ、行こう。秋月さん。ここからは声を出しながら進もう。そうすればきっと見つけてもらえるよ」
「何て叫べば良いの? 『たーまやー』とか?」
「花火か」
「けつあな確定ーとか?」
「その言葉こだまで跳ね返ってきた時どんな気分で聴けば良いんだよ」
「待って、なにか聞こえる」
「えっ!?」
「け…つ…」
「ウソつけ!」
と思いつつ耳を澄ますと、
「おーい」
という声が、かすかに遠くから聞こえてくる。もっと注意深く聞いていると「武岡」「秋月」など俺たちの名前も呼ばれている。
きっと誰かが異変を察知して助けを呼んでくれたんだ!
「おおおおおおおおおおおおおおい!!!」
俺は腹の底の底の底の底から声を振り絞っていた。
助け出された後で聞いたことだが、先生たちに俺たちのことを知らせてくれたのは住吉だったそうだ。あいつは俺たちのすぐ後からスタートしたのだが、俺のリュックが道端に投げ捨てられているのを見て、すぐに異変を察知した。そしてペアの女の子を近くの二人組に預け、急いで山を下り、助けを求めた。
その後は先生たちと一緒に再び山に入り、誰よりも必死に俺たちのことを探してくれていたという。
帰りのバスではずっと、みんな俺達が遭難したことよりも、住吉の武功を称える話で持ち切りだった。
結局最後まで住吉の世話になりっぱなしだったのは癪だが、助けてくれたことには心から感謝する。本当に助かった。
話を聞いた後すぐ住吉に礼を言うと「無事で良かった」と頭ポンポンされた。やだ、かっこいい……と思ったのだが、隣で秋月さんの目が1000wくらいの明るさでギラギラし始めたので、俺はそういった気持をおくびにも出さなかった。
色々あったが、本当に無事で良かったし、秋月さんが無傷だったのが何よりだ。体を張って守ったからというのもあるが、秋月さんが俺を頼りにしてくれていたことが嬉しくて、その期待に応えられたことに俺は深い満足を感じていた。
まあ、一つ問題は、俺の脇腹の骨に本当にヒビが入っていたことと、秋月さんから風邪をうつされたため、入院先の病院で咳をする度激痛で三日間くらいまともに眠れなかったことである。
……早く、良くなるといいな!
林間学校編 おわり




