7 幽霊、出るらしいよ? 2
この日も秋月さんはやって来た。
ふふっ、この後悲惨な目に合うとも知らず……。
「ごちそうさま。今日のシチューも美味しかったよ」
いつものように俺の料理を平らげ、立ち上がろうとする秋月さんを俺は手で制した。
「ちょっと待って秋月さん」
「何?」
「最近、秋月さんの身の回りで何か変なこと起こってない?」
「変なこと……ショートパンツをお尻に食い込ませて自撮りする誰かさんを見つけたことくらいかな」
「いやそれは普通に起こりうることだ」
「そう?」
秋月さんと向かい合って座っていた俺は、机に肘を乗せ、ずいっと彼女の方に頭を近付けた。
「秋月さん、秋月さんが住んでた以前の住人、どうして出ていったか知ってる?」
秋月さんは表情を変えず、首を傾げた。
「その人もショートパンツの変態を見てしまったのでは?」
「もう許してよお!!!」
俺は頭を抱えて机の上に突っ伏した。
「で、前の人はどうして出て行ったの」
「それなんだけどさ」
体勢を立て直し、話を続ける俺。
「出るんだよ」
「やっぱり?」
「俺じゃないよ」
「じゃあ、出るって何が?」
俺は両手で幽霊のポーズを取り、言った。
「これだよ」
「カマキリ?」
「違うよ」
「カマキリのポーズをしながら尻にショートパンツを食い込ませる変態?」
「もう勘弁して本当に」
「本当に分からないわ。何が出るの?」
「幽霊」
その瞬間俺も秋月さんも無言になり、ダイニングは急に静まり返った。ただ、キッチンの方から、水道水がシンクを打つ音が、規則正しく聞こえてくるだけだ。
「幽霊?」
沈黙を破ったのは秋月さんだった。俺は鷹揚に頷いた。
「以前の住人さん……Aさんとしようか。Aさんがここに引っ越してきた時はとても明るい女性だった。俺が挨拶するといつも笑顔で返してくれて、すごく感じの良い人だったよ。だけど彼女は日が立つに連れ、どんどん笑顔が減っていき、どんどん暗い表情になっていった」
秋月さんの顔を確認するが、今の所何の変化も見られない。
「Aさんに何があったの? AAAさんになったの?」
「何で分裂するんだよ。で、俺は流石に不安になって、『何かあったんですか?』と聞いたんだ。そうしたら、Aさんはもうすぐ引っ越すんだと言う」
「幽霊が出るから?」
「そう」
再び沈黙が降った。
俺も秋月さんも、じっと見つめ合ったまま動かなかった。
「具体的には何が起こったの? 男二人の絡み合ううめき声が聞こえるとか?」
「違うよ」
「じゃあ三人」
「オークションか。えー、怪奇現象が始まったのは、引っ越して来てすぐだったそうだよ。最初はどこかから、『パン、パン』っていう正体不明の音が聞こえてきた。その時はマンションの構造上鳴る音だと考えてたらしい」
俺は一度水を飲み下し、続ける。
「だが不審な現象は続いた。夜、仕事から帰ってくると黒い人影がスーッと、ダイニングから自分の寝室に移動していくのが見えた。怖くなったAさんは知人を呼んで、寝室を確認してみた。だけど、寝室を開けても誰も居ない」
「Aさんの知人はBさんなの? それともCさんなの?」
「そこに食いつかなくていいから。で、何とか眠りに就こうとしたAさんだったんだけど、その日はそれで終わらなかった。金縛りにあったんだ」
俺は足をゆっくり組み直した。
「Aさんはそれまでも金縛りには遭ったことはあったらしいんだけど、その時はいつもと様子が違った。ベッドの横から、髪の長い女がAさんを覗き込んでいたんだ。
Aさんは必死に動こうとした。だけど全く身体が言うことを聞かない。それでも女の顔はどんどんAさんに迫ってくる!
そして女の口が耳元に当たり、こう言った。『この部屋に住み着く女は全員殺してやる』と」
俺はテーブルに付いていた肘を上げ、両手を広げてみせた。
「これが隣の部屋で本当に起こった怪奇現象だよ」
無論、嘘である。
そもそも俺がこのマンションに引っ越してきたのは高校に入学してから、つまりここに来てから一ヶ月も経過していないのだ。俺が引っ越す前から隣の部屋は空いていたし、このマンションで怪奇現象が起こるなんて噂でも聞いたことがない。
全ては秋月さんを怖がらせ、出て行ってもらうための作り話なのだ。
「それだけ?」
秋月さんは眼鏡を掛け直しながら言った。
「え? まあ、俺が聞いたのはそれだけだけど……」
「それなら何も怖がることは無い。だって」
「だって?」
「だって、それはBL幽霊だから」
「……は?」
秋月さんは目を輝かせている。




