危うき純真
翌朝。
まだ日が昇って間もない時間にエステルは目覚めた。
騎士登用試験の日は寝坊しそうになったが、本来の彼女は非常に早起きで寝覚めもよい。
「…………はて?」
目覚めた直後の第一声がそれだった。
彼女は何か違和感を覚えたのだが、それが何なのかは直ぐに分かった。
大きすぎると思っていたベッドに、彼女は一人で寝ていたはずなのだが……今は誰かを抱きしめているのだ。
(クレイ……じゃないよね?)
宿に泊まっていたとき、彼女は何回か寝ぼけてクレイのベッドに潜り込んでしまったのだが、彼とは気配が違うと思ったのだ。
しかし、その正体は直ぐに分かった。
「アルド陛下……?」
そう、エステルが抱きついていたのはアルドである。
昨日エステルに捕まってベッドに引きずり込まれた彼だったが、結局抜け出すことができずにそのまま眠ってしまったらしい。
想いを寄せている少女に抱きしめられて悶々としながら、劣情を抱いても拘束されてどうすることもできず……結局生殺しのまま、最終的には眠気に負けてしまったようだ。
「どうしてここに?………………ん、あったかくて気持ちいい……」
当然わけが分からない彼女だったが、温もりが心地よくてそのまま二度寝の態勢に入った。
ふと、エステルは彼の顔を見た。
「…………綺麗」
ポツリとつぶやく。
彼女は普段、自分も含めて容姿の美醜には興味を持たないのだが……アルドの寝顔は素直に美しいと感じた。
しばらくそうしていると、アルドの瞼が震え……
青い瞳がエステルを射抜いた。
「あ、おはよ〜ございます!」
「…………おはよう。…………っ!?す、すまん!!」
起きた直後は一瞬思考が定まらなかったアルドだが、直ぐに状況を把握して謝りながら飛び起きた。
「あ……」
掛け布が払われ冷たい空気が肌を刺す。
そして、アルドの温もりが離れていくと、エステルから少し寂しそうな声が漏れた。
アルドはそれには気が付かずにベッドから離れて、少し乱れていた服を直す。
昨夜は執務の合間にやって来たので、当然ながら寝間着などではない。
そして、ずっとエステルに抱き締められて身体が凝り固まっていたのだろう、首や肩を回して強張りを解きほぐしている。
「なんでアルド陛下が私のベッドに……?」
当然、エステルはその疑問を口にする。
しかし、自分の知らぬ間に男と一緒に寝ていた割にはあまり気にした様子はない。
彼女とて男女の営みの何たるかは流石に知っている。
しかし、自分がアルドにそれをされたなどとは微塵も思っていないようだ。
彼女は自分の人を見る目を信じていて、『良い人』と思った相手には無警戒になるところがある。
更に言えば、男女の機微には全く疎いので、自身がそういう目で見られているとも思っていないのだ。
危うい娘である。
アルドはエステルが落ち着いて騒ぎ出さない事に安堵し、言い訳を始めた。
「いや……昨夜、君に会いに来たのだが、既に寝たあとだったんだ。それで……せめて顔を見たいと思ってここに来たんだが……」
「あ〜、もしかして……私が抱きついちゃいました?」
「う、うむ……」
「えへへ……すみません、私って寝るときに何かに抱きついてないと眠れなくて。よく妹とか弟と一緒に寝てたんで」
「そ、そうか」
『クレイも……か?』と言う言葉は既のところで飲み込んだ。
「とにかく、すまなかった。無断で女性の寝室に入るべきではなかったな。直ぐに出ていこう」
クレハの許可は貰ったが、部屋の主であるエステルの許可も得ずに入ったのはやはり不味かった、とアルドは反省する。
ここは後宮であるのだから本来はそのようなこと気にする必要もないはずなのだが……エステルはそのつもりでここに居るわけではない、とアルドは自分に言い聞かせる。
だがいずれは……とも。
だが、そんな複雑なアルドの心情を察することができないエステルは……
「いえ〜、お気になさらず〜。お陰でよく眠れたので、いつでも来てください」
などと無自覚に言うのだ。
そんな事を言われたアルドは、自分がまだ男と思われていない事に複雑な表情を浮かべるのだった。