誤解
エステルが宿でクレイと話をしている頃。
国王アルドは朝早くから執務室で書類と格闘していた。
今夜もまたエステルに会いに行こうと思い、なるべく早く仕事を片付けたいと思ったからだ。
熱めのお茶を淹れてもらい、時々それを口に含んで眠気を覚ましながら決裁を進めていく。
コンコン……
「失礼します」
そこへ宰相フレイがやって来る。
彼は入室するなり、挨拶もそこそこに切り出した。
「陛下……」
「ん?……どうした、そんな険しい顔をして?」
まあ、フレイのそれは割とよく見せる表情なので、そう聞きながらもアルドはそれほど気にせずに、書類を眺めながらカップを口に運ぶ。
「陛下……あまり関心しませんね」
「?……何がだ?後宮の中庭のことなら……」
「それもそうですが……。私が言いたいのは、その……これまでの事を思えば、女性に積極的になるのは良い事だと思います」
「……?」
「しかし、数日前に出会ったばかりのエステル嬢に手を付けるのは、いくらなんでも早急すぎるのではないでしょうか」
「ブフーーーッ!?」
少し遠慮がちに……しかしはっきり言われた言葉に、思わず口に含んだお茶を盛大に噴くアルド。
「な、な……何を言ってるんだ!?」
「……違うのですか?」
「違うわ!!……一体どこからの情報なんだ、それは……」
「エステル嬢の世話人が……エステル嬢が、それはそれは嬉しそうに『陛下と一戦交えた』と言っていた……と。ドリスから報告がありました」
「あ〜……」
その報告にアルドは額に手を当てて天を仰いだ。
どうやら大きな誤解が生じているようだ……と。
「……それは言葉通りの意味だ。隠語ではない」
「そうですか。まぁ、そんな事だろうとは思ってました」
「…………」
何だか言外に『ヘタレ』と言われた気がしてアルドは複雑そうな表情だ。
「それはともかく……彼女にちゃんと事情は説明されたのですか?」
フレイは更に聞くが、こちらの方が本題だろう。
「とりあえず、俺が画策して後宮審査会を受けさせたことは話したが……」
「……何だか歯切れが悪いですね?」
「ん、まぁな……。実は……」
そうして、アルドはフレイに昨夜の経緯を説明する。
あのエステルの盛大な勘違いと、二人で手合わせしたことを。
「……はあ。『極秘任務』……ですか」
「すまん。俺には否定できなかったよ。ああも嬉しそうにされるとな……」
「……別にそれはよろしいのでは。実際のところ、後宮の警護体制については課題となってましたし。エステル嬢ほどの達人がいてくれればこちらとしても助かりますね」
「そうだな。近々、騎士団から女性騎士を選抜して……彼女に引き合わせるか。……本当は普通に後宮に迎えたかったんだが」
「良いではないですか。むしろお互いを理解するための時間ができたと思えば良いのですよ」
「そう……だな。その通りだ」
フレイの言葉を受け、自分に言い聞かせるように呟くアルド。
そして、エステルの妄想の産物に過ぎなかった『極秘任務』であるが……どうやら本当に体制が組まれる事になるようだ。
嘘から出た実とはこの事だろう。
「そう言えば……後宮入り候補の中にはレジーナ様もいらっしゃる、とか……」
「ああ。ミレー侯爵家令嬢とともに、エステルとも大分打ち解けているように見えたな」
「……エステル嬢が彼らの娘であることは?」
「知らないはず……とは思うが。……何だ?不安なのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……少々、因縁めいたものを感じたので」
フレイはそう言うが、その表情には隠しきれない不安の色が僅かに見えた。
「因縁……か。確かにそうかもしれん。だが、前も言った通りもう既に終わった事。彼女たちには関係ない。そうだろう?」
「……ええ、そうですね」
それきり二人は押し黙る。
それは内心で自らに言い聞かせているようにも見えた。
だが……一度感じてしまった不安の火種は、このあとも彼らの心の奥底で燻り続ける事になる。




