真夜中の手合わせ
愛剣を返してもらったエステルは、その調子を確かめるようにビュンビュンと振り回す。
彼女にとってはショートソードなど小枝のようなものである。
その細腕からは想像も出来ないほどの膂力を誇り、辺境の魔物と戦うときはその倍以上はある大剣を用いるのが常なのだ。
だが……それが本来の得物では無いとはいえ、その技量は全く劣るものではない。
むしろ、父である剣聖ジスタルはオーソドックスな片手剣を得意とするため、その技を徹底的に仕込まれた彼女の剣技は至高の領域にあると言っても過言ではない。
一方のアルドの得物は、エステルとそう変わらないショートソード。
王が持つ剣という割に、華美な装飾などなく実用一点張りのものだ。
そして、エステルとアルドはある程度距離を置いて対峙する。
エステルは正眼に構える。
アルドも中段だが……少し右側に傾けてエステルの左肩口に狙いを定める構え。
先程までの和やかなは空気は霧散し、二人の闘気の高まりとともに、張り詰めた糸のような緊張感がその場に漂い始める。
木の薫りを纏った夜風が、二人の間に早咲きのプリュケスの花のひとひらをどこからともなく運んできた。
薄桃色のそれがゆっくりと落ちていき……地面に触れようとする、その刹那の瞬間。
ガキィンッ!!!
剣と剣を打ち鳴らす激しい金属音が中庭に響き渡り、火花が散った。
お互いが同時に、神速の踏み込みで間合いに飛び込んで剣を振るったのだが……構えの態勢から次の瞬間にはもう切り結んでいた。
そして、常人では視認すら不可能な初撃のあと、両者とも一所には留まらず、やはり神速の足さばきと斬撃を幾度となく繰り出す。
キィンッッ!!
キンッ!キキンッ!!
キキキキィンッッッ!!!
超高速で振るわれる刃は照明の光を照り返し、その斬撃の軌跡が無数の流星となって闇に刻まれる。
そして衝突するたびに星屑の輝きをまき散らす。
(……やっぱり強い!!クレイより……ううん、もしかしたらお父さんより強いかも知れない……!)
剣戟の応酬のさなか、エステルは戦うための思考とは切り離された頭の中の別の部分でそう考える。
かつて彼女が戦った者の中での最強は、言うまでもなく父ジスタルだ。
その父をも超えるかもしれない相手に、エステルは喜びに打ち震え笑みを浮かべた。
それは戦う者がするような獰猛なものではなく、純粋な喜びを表す無邪気な笑顔。
彼女は純粋に、心の底からこの戦いを楽しんでいるのだ。
その一方でアルドは……
(……やはり強いな。今のところ俺と互角か。だが……今も本気に違いないが、まだまだ引き出しはあるだろう。……お互いにな)
彼もエステルと同じように並列思考でそんなことを考えていた。
いつしか戦いはより一層激しさが増し、やがて中庭いっぱいを使って嵐のごとく吹き荒れる。
彼らの踏み込みによって方々の地面は抉られ、斬撃の余波が庭木や植込みの枝葉を無惨にも切り飛ばす。
……朝になったら庭師が真っ青になる事だろう。
今更ながらその惨状に気が付いたアルドは、『少々やりすぎたか……』とようやく思い至り、これ以上ここで戦いを続けるのは止めておいた方が良いと判断する。
だが、完全にゾーンに入ってしまってる二人の戦いは急に止めることができない。
下手に手を止めれば、瞬く間に暴風に飲み込まれて蹂躙されてしまうだろう。
(……さて、どうしたものか?)
エステルの実力を考えれば、これ程の戦いになることはアルドは十分予想できた。
彼女を引き留めたい一心で手合わせを提案したが、少し早まったか……と彼は思った。
だが、今も楽しそうな笑みを浮かべているエステルの表情を見ると、やはり良かった……とも思える。
とにかく、何とかして戦いを終わらせなければ千日手にもなりかねないような勢いだった。
(……仕方ない。彼女なら大丈夫だろう)
アルドはそう覚悟を決めると……
足を止めて、だらん……と剣を下げてしまう。
未だ激しい剣戟が繰り返されていた中での、突然の行動である。
「!?……っ!!」
エステルは、アルドが突然無防備な態勢になった事に驚愕して、彼に振るわれようとしていた斬撃を既のところで止めた。
「な……なんで急に止めるんですか!?あ、危なかったじゃないですか!!」
非常に珍しいことに、エステルは怒りをあらわにしてアルドに詰め寄る。
いかにエステルと言えども、達人同士のギリギリの戦いのさなかで振るった剣を急に止める事は難しい。
危うくアルドに怪我をさせてしまうところだったので、彼女が怒るのも無理はないだろう。
だが、彼は努めて冷静に言う。
「……周りを見てみろ」
「え?………………あ」
言われて辺りを見回して、ようやくその惨状に気付いたエステル。
そして、慌ててアルドに謝った。
「あわわ…………ご、ごめんなさい!!」
「あ、いや。これをやったのは俺も同じだ。だが流石にこれ以上は自重しておかないとな……」
辺りを見回せば、手入れが行き届いて美しかった後宮の中庭は惨憺たる状況となっていた。
切り飛ばされた無数の枝葉や花々。
それが当たり一面に飛び散って、まるで嵐でもやってきたかのような無惨な光景だ。
常人離れした二人の戦いを受け入れるには、どうやら繊細すぎる場所だったようだ。
「うう……どうしましょう……」
「……まぁ、君は気にしないで良い。俺が誘ったんだしな(……俺はドリスに説教されるだろうが)」
この状況が発覚したときの事を思うと、アルドは内心でため息が出そうになるが……彼の自業自得なので、甘んじて小言を受け入れる覚悟を決めた。
「それよりも、手合わせはどうだった?」
「はい!アルドさまはやっぱり凄く強くて……楽しかったです!!」
青ざめた顔から一転、満面の笑顔でエステルは答えた。
それを見たアルドは後悔の気持ちなど全て吹き飛んでしまうのだった。
「…………」
寝静まっていたはずの後宮の一室で、エステルとアルドのやり取りを見つめる者が居た。
実は手合わせの前に、アルドは音が周囲にもれないように魔法を使っていたのだが……その人物は彼女たちが手合わせをする前からずっと、一部始終を見ていたのだ。
「エステル…………思った通り、ただの令嬢などではありませんでしたか」
今も楽しそうに話をしている二人を見つめながら、その人物はそんな呟きを漏らす。
「…………果たして、この先どうなるのでしょうね?」
何か含みがあるようなその言葉を聞くものは、誰もいなかった。




