晩餐会
後宮での晩餐に臨んだエステル。
初めて会ったはずの国王の顔を見て、彼女は戸惑いを覚える。
(この人が王様……?なんでだろ……初めて会うはずなのに、何処かで会った気がするのは……?)
彼女は覚える必要がないと判断したことは本当に覚えないが、そうでないものについては良く覚えている。
素の記憶力はむしろ優れているのだ。
でなければ、ダンスをあのような形で乗り切ることなど出来なかっただろう。
そんな彼女でも、国王の顔は記憶の片隅にひっかかるような感覚がするものの、それが誰だったのか思い出すには至らない。
……ふと、国王が横目にエステルの方へ視線を向けたが、それは直ぐに戻ってしまう。
だが、エステルの記憶は更に刺激されて……
(あれ……?もしかして、この人って………う〜ん、でもなぁ……?)
彼女の頭の中に一人の人物が思い浮かぶ。
しかし、目の前にいる国王と記憶の人物は姿や雰囲気が異っており、確証に至ることはなかった。
国王の登場によって晩餐会場は何とも言えない緊張感に満ちる。
それも仕方ないだろう。
彼はこの国の最高権力者。
そして、当の本人は席に座ってからも無表情で、ともすれば不機嫌そうにすら見えるのだから。
「…………」
「「「…………(ごくっ)」」」
「……………………」
「「「……………………」」」
し〜ん…………
国王は未だ一言も発さず、その場に重い空気が降りる。
とにかく彼が開始を告げなければ、晩餐会は始まらない。
給仕たちも戸惑いの表情で困っているようだ。
「………………陛下、よろしいでしょうか」
見かねたレジーナが一つ息を付き、手を上げて発言の許可を求めた。
「……あ、あぁ。何だ?」
「陛下から何か仰って頂かないと、この場が始まりませんわ。給仕の者も、どうしたら良いか……と、困っております」
そんな風に助け舟を出した。
「っ!す、済まない。少し緊張してしまった」
令嬢たちからは、彼の振る舞いは国王に相応しい堂々としたものに見えていたが、彼の意外な言葉に少しだけ緊張の糸を緩める。
「何せ、これほど多くの美しいご令嬢方を一度に目にする機会は初めてだからな。どうやら目を奪われていたようだ」
無表情から一転して柔らかな笑みを浮かべて、そんな事を言う国王。
すると、ようやくその場の重苦しい空気が霧散して、令嬢たちの顔にも笑顔が浮かんだ。
(……う〜ん?あの人の笑い方とは違うかなぁ……やっぱり別人だよねぇ?)
記憶の人物とは異なる性質の笑みに、エステルはますます混乱する。
「挨拶がまだだったな。まぁ、皆知っているだろうが……私がこのエルネア王国の国王、アルド=エルネアだ」
国王……アルドは居並ぶ令嬢たちを見渡しながら、そう名乗った。
(王様のお名前はアルドさま。……うん、覚えた!)
エステルはここに来て初めて国王の名を覚えた。
これまでは興味が無かったので名前を覚えてなかったのだ。
それで良いのか国民よ……
「さて、すっかり待たせてしまったが……晩餐を始めようではないか。私も忙しい身ゆえあまり時間も取れぬが、可能な限り君達と親睦を深めたいと思う。よろしく頼む」
アルドが挨拶を終えると、すかさず給仕たちが一斉にやって来て、食前酒をグラスに注いだり、前菜を運んだりする。
この国では飲酒に関しては年齢制限は無いが、この場には年若い少女も多くいるため、配慮して殆ど酒精の無いものとなっている。
因みにエステルは、シモン村では大人たちに混じって普通にお酒を飲んだりしていた。
女神の加護で毒が効かない体質が酒精にも適用されるのか、どれだけ飲んでも全く酔うことがない。
シモン村随一の大酒豪である。
「皆、酒の準備は良いな。では……この新たな出会いを祝して、乾杯!」
「「「「乾杯!!」」」」
アルドの音頭にあわせて令嬢達が唱和しする。
お互いに席が離れているので、グラスは打ち鳴らさず高く掲げるだけだ。
そして各々がグラスに口をつけて食前酒を飲む。
乾杯と言いつつも、淑女の嗜みとしては一度に飲み干してしまうのははしたない事とされている。
なので皆一口だけ口に含んだ程度でグラスを置いた。
エステルはその様子を横目で見ながら、自分も真似をする。
普段の振る舞いから想像できないが、エステルは意外と空気を読む娘である。
そして次々と運ばれてくる料理を、見様見真似で持ち前の器用さも発揮してカトラリーを駆使し、料理を小さく切り分けて口に運んで行く。
例え食事用の小さなナイフであっても、およそ刃物でさえあれば彼女のお手の物である。
(むぅ……何だかチマチマしてて食べた気がしないなぁ……もっと、こう……ガガッ!ていきたいんだけど〜)
彼女にしては驚くほど優雅な姿に反して、頭の中はそんなものである。
暫くは会話も少なく食事に集中するが……一息ついたところでアルドが口を開いた。
「君は確かエステルと言ったな?」
「ふぇ?……あ、はい!」
エステルは、自分が声をかけられた事が一瞬理解できず、虚を突かれて間の抜けた声が出てしまう。
「ふふ……そう緊張しなくても良い」
柔らかな、優しげな笑みを浮かべてアルドは言う。
(あ……この笑い方…………あれ?やっぱり……?)
直接声をかけられ、彼女に向けられた笑顔の表情が記憶の人物と重なる。
それでもまだ、彼女の中で確証には至らないが……
そんな彼女の様子を見て、アルドの目には悪戯っぽい光が宿っていた。