女神の教義
深い眠りに落ちたエステルを王城の客室まで運び彼女の両親と話をしたあと、アルドは会議の準備があると言って部屋を出ていった。
客室に残されたジスタルとエドナは、先ほど聞かされた話について思いを巡らせる。
しばしそうやってお互いに無言だったが、悩ましげな表情でエドナが切り出した。
「さっきの話……どう思う?」
「……アイツを王妃に迎えたいって?どうもピンとこないな……」
アルドが本気らしいことは、その真摯な態度から察することができたが……
「能天気で、面倒くさがりで、いい加減で、食いしん坊で、忘れっぽいあの娘が王妃だなんて……なんの冗談かと正気を疑ったわよ。見た目と愛嬌は良いから、コロッと騙されたのよ、きっと」
「お前の娘に対する評価が酷すぎるのは分かった」
妻の身内贔屓ならぬ身内酷評に、夫はやや引きながら言う。
しかし、「……否定はできないな」と思った事は秘密である。
「まぁ、それは置いといて……あくまでもエステルの意思を尊重する、とも言っていたな」
「それは……どうなのかしらね?実際に後宮になんか入れてるし」
確かにアルドの言葉は誠実に聞こえたが、その一方で王の権力によって外堀を埋めようとしているようにも見えた……と、エドナは思っていた。
「それも成り行きらしいが」
「だとしても、まだ気を許しちゃダメよ。……まあ、うちの娘を好きというのは本当だと思うけど」
アルドが娘と接する態度を見れば、まだそれほど彼と話していない二人でもそれは良く分かった。
エステルが眠りに落ちて目覚めない事を心から心配している様子からも明らかだ……と。
しかし娘の気持ちを蔑ろにするような事は許せない。
果たして、彼が言葉通りの誠実さを見せ続けられるのか……まだそこまでの信用は、エドナの中にはまだ無いのである。
「とにかく。私たちもずっと王都にいられるわけじゃないから……定期的に監視に来ないと。その気になればすぐ来れるし」
「それは別に構わないんだが…………それにしても、あいつが王妃になる可能性は微塵も想像つかないが、反対意見を封じるくらいの実績はもうあるんだよな」
まだエステルが王都に来てそれほど経ってないと言うのに……
裏組織壊滅作戦で重要な役割を果たし、更には竜殺しを成し遂げて王都壊滅の危機を救った。
英雄的と呼ばれるほどの大きな功績をあげたと言うよう。
しかし何よりも……
「……あれは、本当に女神様だったのかしら?」
エドナはその時の事を思い出しながら呟いた。
それは竜のブレスによって全滅の危機に晒された場面。
その攻撃から皆を護ったのは、隔絶した力による防御結界。
それを成したのは、エステルに入った何者か。
その口ぶりからして、アルドは女神がエステルの中に降臨したと考えていたが……それは彼だけでなく、その時その場にいた何人かも同じ考えに至っていた。
「人間の力を超越した存在だった……というのは間違いないな」
「ええ。……昔ね、神殿で暮らし始めたころに神学の授業で教わったことがあるんだけど」
それは、エドナと姉リアーナに聖女の資質があると判明した時の事だ。
一人前の聖女になるべく、様々な事を彼女は神殿で習ったのだが……当然、神殿の存在意義そのものとも言える教義も学んだ。
「かつて地上で私たち人間とともに暮らしてた女神様は、ある時から長い眠りについた。だけど、女神様の力があまりにも長く地上から失われてしまえば……世は乱れ、強力な魔物が地に蔓延ってしまう。そうさせないため、女神様は時々目覚めて地上を光で照らし、世に平穏をもたらしてくれる……」
エドナが語るその話は、広く庶民でも知っているようなエル=ノイア神殿の教えだ。
しかし、彼女の話にはまだ続きがある。
「そして、女神様が目覚めて再び地上に現れる時、聖女の中でも更に特別な力を持つ『器』に降臨する…………そう、教わったわ」
「!!……そいつは、まさに今回の……」
「エステルに入った『誰か』は、確かにあの娘を『器の娘』と言っていたわ」
あまりにも状況が符合する。
であれば、もうそれは二人の中でほとんど確信に近いものとなっていた。
「事件解決の大きな功績に加えて、その事実が伝われば間違いなく神殿の後ろ盾もつく……か」
「ええ。こうなったら、ミラ義母さんにも睨みを効かせてもらおうかしらね。何か迷惑ばかりかけてるけど……」
自分も散々迷惑かけたのに気が引ける……と、彼女は思ったのだが、娘のために打てる手は全て打っておきたいとも思うのだった。
「はぁ、それにしても……。さっさとクレイくんに押しつ……お嫁さんにしてもらえれば、こんな苦労もしなかったんだけどね。うちの娘の何がそんなにイヤなのかしら?」
「(いま、押し付ける……って言おうとしたな?)……そりゃあ、アイツは物心ついた時からの幼馴染だからな。さっきお前が言ってた事だろ」
むしろエドナよりも苦労してる可能性すらある。
アルドにライバル宣言され、クレイも多少はエステルの事を女として意識したようではあるが……果たして積年の苦難の記憶を覆すに至る可能性は如何ほどか。
「ま、それは言っても仕方ないことだ。……おっと、そろそろ俺も行く時間かな?」
「事件の情報共有のための会議……だったかしら。私は行かなくてもいいのよね?」
「どっちかが行けばいいだろ。お前はエステルについててやってくれ」
そう言ってジスタルは、客室を出て会議場に向かう。
王城はかつての彼の職場なので特に案内も必要なかった。
そして残されたエドナは……
「さて……じゃあ私はエステルの様子でも見ておこうかしら」
アルドには「よくある事だから心配ない」と言ったものの、状況が状況だけに全く心配が無いわけではない。
念のため、エステルの身体に何か異常が出ていないか確認しようと彼女は寝室の扉を開けた。
そして娘が眠るベッドに近づく。
安らかな寝息が聞こえてきた。
そして……
「むにゃ…………ドラゴン肉…………もう食べられないよ………うひっ………」
「…………全く、こっちの気も知らずに呑気なものねぇ……」
娘の寝言に脱力したエドナは、呆れたようにため息をついた。
そしてベッドに腰掛け、娘の柔らかな赤髪を梳きながら……愛おしそうな眼差しで微笑むのだった。




