女神
………………
…………
……
「…………え?」
誰かの小さな呟きが、静寂の中ではやけに大きく聞こえた。
上位竜をも超えるであろう巨大な竜から放たれた竜の吐息。
それは人間が受け止めるにはあまりにも過剰な攻撃で……その場で戦いに臨んでいた多くの者は死を覚悟した。
そして実際に、目を焼くような眩い光と耳をつんざく轟音によって、己に最期の瞬間が訪れた事を確信したのだ。
しかし、彼らはまだ生きていた。
それどころか傷一つすら負っていない。
それは何故なのか?
その答えは……
「……光の……結界?」
アルドは破滅の光が自分に襲いかかろうとする瞬間、最後まで竜から目を逸らすことはなかった。
だから彼は自分たちがなぜ助かったのか、その理由が分かった。
天を仰ぐ彼の視線の先には……黄金に輝く光のドームが戦場を覆い尽くしていた。
それが彼らを護ってくれたのは間違いない。
しかし、竜のブレスを完全に防ぐような結界魔法など……たかが人間の魔道士程度が作り出せるものなのか。
自身も多少なりとも魔法を扱うが故に、アルドはその光の結界が常軌を逸するほど高度な魔法であると理解した。
そして、その光のドームを支えるように、地上からは光の柱が立ち昇っている。
それを発していたのは……
「「エステルっ!?」」
全身が黄金に輝くエステルを見たアルドやジスタル、エドナ、クレイの声が重なった。
そして彼女は……普段では見られない、感情が抜け落ちたような表情で空を見上げている。
その雰囲気は静謐で、その美貌も相まってどこか神秘的なものを感じさせた。
『全く……何やら騒がしいと思えば。【器】に足るこの娘がおらねば、ここら一帯消し飛んでおったぞ』
その声は確かにエステルのもの。
しかし彼女を知る者からすれば、それが別人であることは明白だった。
「エステル……じゃない。誰……?」
エドナは、娘の身にいったい何が起きたのか分からずに呆然と呟く。
他の者たちは声すら出ないほどに驚き戸惑っていた。
『ふむ……』
エドナの問いには応えず、エステルの姿をした何者かは自分の身体を確かめるように手を握ったり開いたりしている。
『急なことだったゆえ半ば無理やり身体を拝借したが……長くは入ってられそうもないな。資質はあるが、まだまだこれから……ということか』
「身体を借りた……?まさか……」
アルドはそのセリフで、彼女がいったい何者なのか……朧げながらその正体に思い至る。
いま彼らがいる場所は、エル=ノイア神殿が聖域と定める領域。
そして自分たちを救ってくれたのは、人間業とは思えないほどの超高度な結界魔法。
ならば彼女は……と、アルドは思いながらも、その可能性を完全に信じることが出来ない。
それはあまりにも荒唐無稽であると感じたから。
しかし事実として、いま目の前に彼女はいるのだ。
『人間たちよ……わが子らよ。最後まで手助けしてやりたいところだが……これ以上は、この【器】の娘が耐えられまい。だが、あと少しだけ力を貸してやるから、あとは自分たちで何とかせよ』
彼女はそう言って目を閉じ、次に開いた時には神秘的な雰囲気は霧散していた。
「……?あ、あれ?私……?」
エステルの口から戸惑いの声が漏れる。
その様子から、どうやら普段の彼女に戻ったことがうかがえた。
(【器】の娘よ……エステルと言ったか)
「……ほぇ?だれ?」
直接頭の中に語りかけてくる声に戸惑うエステル。
念話には慣れていたのでそれほど驚きはないが、彼女の知らない声であった。
(我が名はエル=ノイア。皆を護るため、先ほどまでお前の身体を借りていた者だ)
「エル=ノイアって……え?女神様……?」
自分の住む国の王の名も知らなかった彼女だが、流石に女神の名前くらいは知っている。
野良でも聖女なのだから当然だろう。
「身体を借りていた??私の??」
自分が意識を奪われていたことすら分かっていなかった彼女は頭に疑問符を浮かべる。
(そのあたりの事は後で他の者に聞くがよい。今は彼奴も警戒して動きを止めているようだが、次にブレスが放てるようになるまでの時間は限られてる。だから手短に。今のお前は潜在能力が極限まで解放されている状態だ。古竜の堅牢な鱗とて容易に貫けよう)
「確かに……何だか凄く力が溢れてる感じがするかも」
特に意識を集中せずとも、常にない力の波動が身体の奥底から漲るのを彼女は感じていた。
(今はそれも一時的なものに過ぎぬ。だが日々の精進を欠かさねば、いずれはその領域までたどり着くことも出来よう。これからも励むといい)
「はい!」
日々の鍛錬が重要であることはエステルもよく分かっているし、それこそ望むところである。
(うむ。では、頑張るのだぞ、【器】の……いや、【太陽の娘】。我はまた眠りにつくが、我が子らの安寧を心より願っている)
「はい!!頑張ります!」
姿は見えないものの、エステルは優しく微笑んでくれたような雰囲気を感じ取る。
そして、それきり声は聞こえなくなった。
エステルが上空を見上げると、竜は未だ警戒しながらこちらを見下ろしている。
「よし……今度こそ!」
彼女は大剣を両手で持ち、身体を捻るようにして構える。
それから一気に空を薙ぎ払い、蓄えた力を解放した。
「堕ちろぉーーっ!!!」
闘気の光を纏った斬撃が空を引き裂きながら、はるか上空の竜まで一気に迫る。
『グルァーーーッッ!!??』
エステルの攻撃が見事に片翼を貫き、竜が苦悶の声を上げた。
竜の巨体が空を飛べる最大の理由は竜種固有の魔法によるもの。
翼そのものは浮遊のためではなく、あくまでも飛行補助で使うものに過ぎない。
それでも片方の翼を失えばバランスを崩してしまい、飛行継続が困難になるだろう。
シモン村で行われる竜狩りでも、まずは翼を封じるのが鉄則だったりする。
その狙いは間違っていなかったようで、片翼を失った竜は不規則な軌道を描きながら墜落してきた。
そして地響きと土煙を巻き起こしながら地面に堕ちた竜であるが、それくらいでは大きなダメージは受けておらず未だ健在だった。
「さあ皆!!今度こそ倒すよ!!王都を守るために!!!」
「「「おおーーーっっ!!!」」」
高々と大剣を掲げたエステルが叫ぶと、鼓舞された騎士たちが呼応して一気に士気が上がった。
竜との戦いはいよいよ大詰めを迎えようとしていた。




