世界が滅ぶその瞬間
テーマ「暗いラスト」
セカイ系っていうんでしょうか?作者もよくわからない作品です。
僕は彼女に触れられない。
彼女の目の前には行ける。彼女の横にも行ける。勿論、後ろにも行ける。
だけど、触れない。触ろうとすると、布を触るような感触が僕の手の中を覆い、それが隔て、届かない。
誰もが僕らを仲のいい男女と見るが、そんなことは全く無い。
喋ったりは出来る。他愛も無い会話をして、時間を共にすることは出来る。
それでも、近付けない。
彼女は食事をしない。水すら飲まない。それでも、彼女は生き続けられる。僕が食べている間、彼女は僕の目の前でちょこんと座り、ただただそれをじっと見る。食べ終わった後、彼女は必ず「そんなものよく食べれるわね」と言う。僕が間違っているのか。彼女が間違っているのか。答えは出ない。
彼女の名前はアカネと言う。
僕の名前はシンドウと言う。
「ねえ、何で私達は生きていられるんだと思う?」
アカネは僕の部屋にあるベットに横たわりながら、僕に聞いた。
「何でもなにも、毎日食べて、寝て、キッチリ生活しているからじゃないの?」
「……まあ、シンドウはそれでいいわよ。でも、それじゃあ何で私は生きていられるのよ」
「確かに、ここ一ヶ月は何も食べてないよね。水も飲んでないんじゃない?」
「いえいえ、いくら私でも流石に水くらいは飲みますよ」
「じゃあ答えは簡単。アカネは食べなくても生き続けられる体なんだよ。前、テレビで三年間水だけで生きてる人が紹介されてた」
「へえ。それって、どういう原理なの?」
「内臓脂肪を消費して生きる為のエネルギーを作り出すんだってさ」
「ふーん。だったら私は、テレビに出れるくらい凄い生活をしてるってことね」
「そうなるね」
アカネはそんな会話をした後、寝た。アカネはよく寝る。いつも震えながら――まるで得体の知れない何かに怯えながら――毎日寝ている。僕はこの時が一番好きだった。アカネの無防備な横顔を見れるこの時間が一番好きだった。震えているのが残念だけど。
ひとしきり眺め、満足した僕は家の外へ出た。母さんに「行ってきます」と言い、水田が広がる田舎の風景へ飛び出す。空気がおいしい。やはり、僕はここが好きだ。大学を終えて、社会人となった今でも、この故郷を飛び出して都会に行こうという気持ちは更々無い。それはそれで悲しいことなのかもしれないけど、僕はそれでもいいんじゃないかと思う。両親の農作業を手伝って生活するのも悪くない。
昔から「欲が無い子だね」と言われて育ってきた。実際、僕はそういう人間なのだ。否定はしない。しようともしない。というより、出来ない。多分、この世界が終わるとしても、僕は最後の最後までここに居座るだろう。
今日は川へ魚を捕りに行った。母さんと父さんは今頃夕食を作っているだろう。何も食べないアカネは勿論、僕は丸っきり料理が出来ない。手伝いなんかした時には、何が起こるかわからない程だ。
「見くびってもらっちゃ困るわね。料理くらい出来るわよ」
この話しをしたら、アカネは心外とばかりに反論した。
「嘘だね。何も食べない癖に料理を作る訳ないじゃん」
「……昔は食べれたのよ。それに、料理って楽しいものよ。食べなくても、自分が作ったものを他人がおいしいと感じてもらえるだけで、幸せになれるわ」
「じゃあ僕に作ってくれよ」
「いやよめんどくさい」
「ってことは、アカネは僕を他人と見てないって意味なのかな?」
「ええ。人間として見てないもの」
「酷いなそりゃ」
「それに、私は料理を作らないわ」
「え?」
「昔は作れたのよ」
アカネの憎まれ口は聞いてて心地よかった。別に変な意味ではない。唯単純に、彼女が僕の近くに居ると確認出来るからだ。
「ほら、アカネも入ろうよ」
「川の温度はどれくらい?」
「意外と冷たい」
「日本語学び直した方がいいわね。そんな場所、私が好き好んで入るなんて有り得ないわ」
「魚捕れるよ」
「魚なんていないわよ」
実際に僕が素手で捕った時、魚を両手で抱えている僕を見て「シンドウって残念な大人ね」とアカネに言われた。
「あれ?」
ある日、自分の部屋に戻ると、アカネはベットに居なかった。床に座り、何かを確認している。
「何それ」
「これ? これはね、世界を壊す道具よ」
「へ?」
アカネが手にしている物は、明らかに世界を壊すには小さすぎる物だった。両の掌に収まる道具で、太陽系を回るこの世の中を壊せる訳がない。
「何言ってるんだよ……」
「ん? まさか、私が狂ったとでも思ってるの?」
「まあ、多少」
実は、大分昔からそう思って接してることは言わない。
「大丈夫よ。至って正常。ていうか、私は寧ろシンドウの方が狂ってると思うわ」
「僕が? そりゃまた何でさ」
「ふふ、もうすぐわかるわよ。楽しみだわー世界壊すの」
そう言った後、彼女は掌の物をしっかりと握って、もう一度ベットに入った。「絶対に私の手を見るんじゃないわよ」という忠告を僕にして。
翌日の朝、アカネは死んでいた。最初見た時はまだ寝てるんじゃないかと思った。でも、しっかり見ると彼女は息をしていなかった。呆気ないにも程がある。
僕はこの時、自分でも驚く程平然としていた。こうなることを前から知っていたかのようだった。
アカネの掌は開いていた。
そこには、ボイスレコーダーがあった。
僕はアカネの忠告を無視して、世界を壊す道具とやらを再生する。
「アカネよ」
それには、まだ生きてた頃の彼女の肉声が録音されていた。
「これを聞いているってことは、もう私は死んでることになるわね。でも安心して。この中には陳腐な遺言とかは録音されていないから。しっかり世界を壊させてもらうわ。それじゃあ始めるわよ」
生前の彼女は、しっかりと意志表示をしていた。もう横になって動かない人間の声とは思えない。
「まず、家の扉の前に立ちなさい」
ボイスレコーダーの中のアカネは、そんなことを言った。
「目を閉じて、直立しなさい」
アカネの言う通りに僕は動く。
「そのまま扉に向かって飛び出しなさい」
……いきなり何を言い出すんだアカネは。そんなことやったら普通に痛いだろ。
「痛いとか怖いとかそんなの私にとってはどうでもいいのよ。理不尽な命令だと思うなら何も言わずに動きなさい」
そんな僕の考えを見越してアカネは言った。しかも理不尽ってことを自覚してやがる。性質が悪い。
……もういいや……アカネは死んだんだ……これが最後の命令……黙って命令を聞くとしよう。
息を吸って、目を閉じて、痛みを覚悟して扉へ飛び込む。
「…………?」
いつまで経っても痛みが来ない。空中に浮かぶ時間が思っていたよりも長い。
「痛っ!!」
痛みがようやく来た時、僕の頭は地面に着いていた。
「理解出来た?」
アカネは笑いながら僕に声をかける。
「これが真実よ」
後ろを向いても扉はあった。つまり、僕は扉を通り越したことになる。
「家なんて、最初から無いの」
僕がその事実を認めたくなくても認めざるを得なくなった瞬間、扉が消え、家が消えた。
「え?」
中に居た両親は、その様子に何も戸惑わなかった。おかしい。その反応は間違っている。そう解釈した瞬間、両親は僕の目の前から消えた。
「そんな……母さん!! 父さん!!」
僕の目の前には、野原と水田。そして、ベットではなく床だった場所で死んでいるアカネ以外残らなかった。
「今、シンドウの目には何が映ってる? 多分、見渡す限りの野原、それと田んぼがあるでしょう。私も居るかもね。でも、それも間違ってない? よく見渡してご覧なさい」
嫌だ……これ以上僕の景色を消して欲しくない……目を背けさせてくれ……。
「家が建ってた筈なのに、なんでその下に野原が広がるの?」
ボイスレコーダーの中のアカネは僕に思考を止めさせない。
「野原は床で埋められたんじゃないの?」
記憶を嫌でも探らされる。おかしい。確かに、家の下にも野原が広がっていた。
もう一度目を開けると、野原が消え、水田が消えた。僕の知っている景色は、アカネ以外全て失われた。世界が一瞬、何もない白色で埋め尽くされる。思わず目を閉じる。
「さあ、これでシンドウの目の前には何も無くなったわね。それじゃ、もう一度目を開けてみなさい」
絶望して閉じた目を、一筋の希望を持ちながら開く。もしかしたらこの言動が幻想なんじゃないのか――次に目を開けたら眼前の光景が元に戻ってるんじゃないのか――そんな淡い期待を持ちながら。でも、そんなことは無かった。
そこには、氷原が広がっていた。
「核の冬って知ってる?」
氷に佇むアカネの声が僕に問い掛ける。
「核爆弾を世界中に着弾させると地球の機能が狂って、世界は氷河期に戻ってしまうのよ。そして世界はある一人の計画によって氷河期に戻った」
ボイスレコーダーの先にいた彼女は、とても楽しそうだった。フフ、と妖艶に笑う。
「その計画を立てたのが私。わかる? 地球という世界は、二十代の女性が考えた計画によって滅んだのよ」
そんなこと、不可能だ。
「不可能だと思うでしょ? じゃあ、今シンドウの目の前に広がる世界は何? それが真実。不変の真理なのよ」
両足は地面となってる氷によって、靴を素通りして凍えていた。
「まあ、今思えば簡単だったわ。各国の戦力を調整する為に一時的にとはいっても、全人類の一人に一つずつ核爆弾を所有させる狂った時代だったんだし」
狂ってるのはどっちだと言ってやりたかった。時代なのか、人間なのか。
「私の夢はね、世界を滅ぼすことだったの。ある漫画で、年端もいかない制服を着た女の子が、主人公に向かって『私、世界滅ぼしちゃった』って簡単に笑いながら言う台詞に惹かれたわ。その笑顔がとても魅力的だったの。私もいつかこんなデカイことを大声で叫びたい、ってね。それで、私は実際にそれを実行した。仲間にばれないよう、隠れながら自分だけ生き延びる準備をして、氷河期を作りだした。飢餓が起きたり、抗争が起きたりして、悲惨だったわ。でも、私は生き延びた。私だけ、生き延びた。誰も居なくなった世界の中心で叫んだの。『私、世界滅ぼしちゃった!!』って。でも、ここで誤算が起きた……それが貴方よ……シンドウ」
僕が知ってるアカネの声ではない声で、彼女は言う。ああ、こっちがアカネの本性なんだろうなと思った。
「叫んだ後、後ろの地面から貴方は生き返った。その時は本当に驚いたわ。こいつを殺してやろう、とも思った。だけどしなかった。何故だと思う?」
ここに来て、アカネはまだ僕に問い掛ける。もう、アカネの声なんてどうでもよくなっていた。目には、氷とアカネの死体しか映らない。絶望の淵に立つとはこういう状況を言うのだろう。
「それはね、貴方が一言『母さん、父さん。僕、この家を継ぐよ』って言ったからよ」
母さんと父さんなんて、実際にはもう居なかった。
「声を聞いた瞬間、私はシンドウを哀れに思ったわ。ああ、この人はとても残念な頭をしている、何も無い空間に喋ってる、ってね。でも、逆に凄いわよ。思い込むだけで体温を三十六度以上に保つ機能、それに自分が吐いた二酸化炭素から酸素を作りだす機能とか色々作るんだもん。人間って追い込まれれば何でも出来るのねー」
アカネは楽しそうだった。録音された声だけでもわかるくらい、今までで一番楽しそうだった。
「だから私は決心したの。今度はこの男が思い込んで作りあげている、この男だけの世界を壊してあげようってね。さーて、これでシンドウの周りは氷だけになったわ。せーの」
ここでアカネは息を大きく吸った。一生分の酸素を吸い込んでいるかのようだった。
「私、世界滅ぼしちゃった!!」
録音はそこまでだった。瞬間、僕はボイスレコーダーを氷の地面に叩きつけ、真っ先にアカネの元へと向かった。
「なんだ……そういうことか……」
アカネに触れられない理由がわかった。彼女が生き延びる為にした準備とは、このことだったのだ。その準備を手で外し、彼女の手を握りしめ、自分の顔を彼女の顔へ近付けた。
氷の床の上に、酸素ボンベ付きの宇宙服が音を起てて落ちた。
ようやく彼女に触れることが出来た――
ショックのせいか――喜びのせいか――
僕の意識はここで落ちる――
世界は、こうして滅んだ。