輪切りねし
「輪切りねしは多分、意図的に会うってのは出来ない。私もたまたま遭遇しちゃったんだ。だから今から話す情報は後で調べて分かったんだけど。その前に聞いていい? 町で知らないポスターを見た事は?」
「は?」
「ポスターだよポスター。モザイクだらけの妙なポスター見た事ない? 色んな所にあるのよ。まだ見た事ないなら、後で探してみるといいわ。そのポスターにはね、輪切りねしの探してる物が映ってるらしいの。だからもし輪切りねしに遭遇したら、探してる物を差し出さないといけない。もし差し出せなかったら……死ぬ、とは言われてるけど」
「なんで不明瞭なんだよ」
「死ぬなんて信じられないわ。でね、ここからが重要なんだけど。輪切りねしはとにかく色んな人に探してほしいからちょっかいを掛けるんだ。なんか、見えてないだけで昼もちゃんと歩いてるみたいよ。クラスが混乱してたのはそういう理由」
「…………デスゲームは?」
「だから知らないっての。はい。これで正体が分かったわね。助けてくれて有難う。貴方の平常点の糧になるのは癪だけど、助かったわ。約束、忘れないでね」
帰ろうとする壱夏の肩を引き留める。昼休みはもうすぐ終わるが、最後に一つだけ聞いておきたい事があった。
「何でこんな要求呑ませた? お前に何か恨みあるのか?」
「恨みはないわ。だけど、理由を教えても貴方は約束を守らなきゃ。だから教える義理なんてないわ。大丈夫、約束は守るでしょ。平常点が満点の人がそんな素行の悪い真似する筈ないものね。ここまで隠してるなら、澪雨との関係もさぞ重要なんでしょう」
自分の要求を聞かせるだけ聞かせておいて、こっちが知りたい事は教えてくれないのか。あまりにも不公平だが、俺の方から譲歩を引き出すのは難しい。
澪雨とのラインを明らかにさせない以上を、どうやって手に入れろというのか。学校でネゴシエーションの授業を受けた覚えはない。
「……じゃ、私は行くわ。バラされたくなかったら、精々ちゃんと殺してね」
何故が積もるばかりの蜃気楼。俺は何処へ行って何をすればいいかも分からない。殺し。殺すのか俺は。殺さなければいけないのか。澪雨との明日を守る為に、俺達全員の未来を守る為に殺さないといけないのか。
「………………」
ああ俺は、誰を頼ればいい。誰が俺を……助けてくれる? なあ、待て。待ってくれ。俺は本当に。本当に。谿コ縺輔↑縺?→縺?¢縺ェ縺??縺?
「……ちょっと、落ち着け。落ち着け。落ち着け。間て」
取り乱すな。気になる事がある。ポケットに差してあった携帯を取り出して、『輪切りねし』について調べてみる。『口なしさん』の時と違って検索結果には直ぐにヒットした。とりわけ一番多くアクセスされているのはΣΔΣという名前の管理人が公開している『日本裏世界異譚』。
『輪切りねし』の名前で検索しているので、ページを踏むと丁度その項目が表示される。読んでみると、何とその内容は今しがた壱夏に聞いたものに酷似どころか、一部情報が伏せてあった。管理人の拘りなのか詳しい事は直接連絡をしてきた人物にしか話さないとの事で、ここに書いてある情報も全てではないのだろう。しかしながら、
・輪切りねしに一度目を付けられた者は三日以内に遭遇する。これを逃れる為には誰かに輪切りねしの存在を教えれば良い。
この項目だけは、伏せられてはいけない情報だ。話し方がおかしいというか、調べるにしても何処で情報を手に入れたとか様々な事が気になったが、ネットで拾える情報なら納得だ。俺はハメられたのである。少し調べれば分かる様な情報を重大な秘密と引き換えに教わって、人道に背く行為まで約束させられてしまった。
「…………………あいつ」
因みにここにも『誰も死なないデスゲーム』の情報はない。ああ、本当にやられた。こんな薄っぺらい情報と引き換えに俺は脅迫を受けている。殺人を求められている。騙された事に気づいても手遅れだ。俺が口を滑らせてしまった以上、約束を守らなければバラされる未来が目に見えている。
こんな理不尽が取引であってたまるか。リスクを一方的に俺が背負って、リターンだけをかすめ取られた。俺には……どうする事も出来ない。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。
スピーカー越しに聞こえる音など遥か遠く、俺はその場で呆然と立ち尽くすのだった。
学校に居る間の俺がどんな様子だったかなんて、自分でもどうかしてると思うくらい、心が何処かに行ってしまっていた。サクモも喜平も桜庭も何か話しかけてきたと思うが正直何も覚えていない。何の話をされていたか。
「お、おい、大丈夫か」
「螟ァ荳亥、ォ螟ァ荳亥、ォ蜈ィ辟カ螟ァ荳亥、ォ縺?縺九i蠢??縺吶k縺ェ螟ァ荳亥、ォ縺?縺九i螟ァ荳亥、ォ縺ェ繧薙□螟ァ荳亥、ォ縺?縺九i謾セ縺」縺ヲ縺翫>縺ヲ縺上l謾セ縺」縺ヲ縺翫¢繧」
「…………なんか、やばい感じだな~」
「菫コ縺ッ縺?▽繧る?壹j蜈?ー励>縺」縺ア縺?□繧医□縺九i縺?縺九i鬆シ繧?鬆シ繧?謾セ縺」縺ヲ縺翫¢莉頑律縺ッ髢「繧上k縺ェ縺企。倥>縺?縺九i隧ア縺励°縺代k縺ェ」
頭が真っ白くなって、何も考えられない。とりとめもない事を考えたかと思うと、ついさっきまで考えていた事をまた考え出して、同じ結論が出て。また思考が散って。気が付けば椎乃が働くレストランに入って、奥の席で机に突っ伏していた。
「蜉ゥ縺代※繝阪お繝堺ソコ縺薙s縺ェ莠九@縺溘¥縺ェ縺?h繝阪お繝阪ロ繧ィ繝阪ロ繧ィ繝堺ソコ繧貞勧縺代※繧医ロ繧ィ繝肴?悶>繧亥?縺九i縺ェ縺?h縺ゥ縺?☆繧後?縺?>縺ョ縺倶ク?邱偵↓閠?∴縺ヲ繧」
うわごとのように繰り返す、大切な名前。希望はないと分かっていても、縋りたい。頼れなくても、頼りたい。助けてほしくて、泣きそうだ。目を開きっぱなしにして虚無を見つめていると、わざと音を立てながら水の入ったコップが置かれた。
「だいじょぶ? ユージン」
「………………」
指定の制服を着た椎乃が、お盆を抱えて不安そうに俺を見つめている。黒い瞳の奥にある紫色の焔のような灯は、彼女がヒトではなくなった証拠だろうか。
「小耳に挟んだんだけど、ずっと変だったんだって? 確かに今日のアンタは調子悪そう。ね、どうしたの?」
「……………………しい」
「ん?」
「だれかをころさなきゃじぶんがしぬなら、おれはどうすればいい」
「…………」
目を丸くして、椎乃は表情を窺って真意を探ろうとしてくれる。言葉以上の意味はない。俺は。今。本当に。それだけに。悩んでいる。
「………………取り敢えず、何か食べましょ。今回だけ割引と言わずに私が払ったげる。それと今日……早めに行くわね」
一度は俺のせいで殺された彼女を見ていたら、思い出した事がある。どう足掻いた所で俺は誰かを殺さないといけない。その契約は前に交わされていて、守れなければ恐らく椎乃が再び死体に戻ってしまう。
殺さなければ。
守れない。
守る為には。
殺すしかない。
「…………」
目を瞑る。
こんな俺を見たら、ネエネは何て言ってくれるのだろう。
「何を悩ム、儂との契りを履行すればいいんだけなんだがナ」
目を開けると、闇色の髪を背中まで脇腹まで伸ばした、鮮血の瞳を輝かせる『惹姫様』が机越しに両手で頬杖を突いて愉快そうに俺を嗤っていた。
素肌に血みどろのワンピースを一枚着ただけなのは、何故。
「…………え」
「はーいお待たせいたしました。適当に注文捏造したけどそこは許して―――ってええええ!?」
「取って食ったりはせぬヨ。ここの儂はほんのわずかな暗闇が魅せる泡影だナ。故にお前達にしか見えてはいなイ」
すると俺達は何もない空間に向かって話しかける危ない人間になるのだろうか。確かに少し視線は感じるが、それだけだ。特別気にする量でもない。
「な、何の用……?」
「腹が減っタ…………催促だナ。早く殺してしまエ。儂はもう、飢餓などごめんダ。わぎりねしの呪いなどに嵌まりよっテ」
「あ、ちょ。し。ま。まってください! それについて知ってるなら教えて欲しい! お願いします! 俺は、こんなどうしようもない状況で誰かを手に掛けるなんて嫌なんだ!」
「ユージン。声が大きいわよ。怪しまれるってっ」
「今の儂にはどうする事も出来ないナ。腹が減ったと言うたばかリ。最早お前達を自在に支配する力も使えはしなイ。それとも―――儂にくれるカ?」
惹姫様は骨ばった指を俺の鳩尾に向けて、軽くツンとつついた。
「お前の魂を、対価としようかナ」




