夜の闇は生気が好物
「ちゃんと付いてきてくださいね。くれぐれも離れないように」
凛と手を繋ぎながら夜の街を歩く事十分。ドキドキしているのは、控えめに言っても美人な女の子と手を繋いでいるから……ではない。俺もそれくらい呑気で居られたらどんなに気が楽だっただろう。
どうしてここまで無音なのか、理解出来ない。
音が死んでいると形容しても過言ではない。大嫌いな蚊も今だけは存在してもらいたかった。耳元であの不愉快な羽音をぷーんぷーんと思う存分に鳴らしてくれれば、まだここが人間の町であると、今は夏で、熱帯夜なのだと信じられる。だが明かりもなければ何の音も聞こえないとなると、とてもじゃないが同じ町に住んでいるとは思えない。何らかの超常的な理由で異界に飛ばされたとか、そういう突飛な発想を言われた方がまだ納得出来る。
聞こえるのは俺達の足音だけ。ただ暗いだけの同じ場所なのに。どうしてこうも不気味に思ってしまうのか。
「なあ……なんでこんなに……何の音もしないんだ?」
「私に聞かれても困ります。日は出てないのに暑いとか……本当。最悪」
「分かる。あり得ないんだけど。あり得ないんだけどさ。なんか……昼より暑いっていうか、蒸すよな」
太陽が出なくても暑い事くらい幾らでもあるが、太陽が出ている時より暑いというのはどう考えても不自然だ。特別肌が弱いつもりはないが、今の俺は月明かりにさえ肌を焦がされ、そのまま灰になっても違和感はない。それくらい、本当に暑い。
「申し訳ないです。澪雨様の我儘に付き合わせて。私のせいですが」
「ああ、もうそれはいいや。気にすんな。こうなったら徹底的に付き合って満足させないと駄目な気がしてる。中途半端は一番よくなさそうだ」
ここには俺と凛しかいないが、声は自然と小さくなってしまう。ここまで環境音という概念が存在しないと、普通の声で喋っているつもりでも周りに響いている気がした。壁が薄い家の人には外出を気づかれるかもしれない―――そんな感じの不安は、考えようと思えば幾らでも捻りだせる。子供の頃は暗闇が訳もなく恐ろしかったが、そういう所は童心に帰りたくないものだ。
「公園…………何処だっけ」
「え!?」
「済みません。なんか……道が違う様な」
「ちょ、ちょっと待て。ちょっと待て! 冗談でも怖がらせるな、この状況じゃ笑えないぞ!」
立場逆転。今度は俺が凛の手を連れて、公園まで歩く。初めて行くような場所ではない。たとえ道が暗くても、行き方くらいは体に染みついている。
―――大丈夫、だよな?
身体に染みついた記憶を頼りに暗闇を歩く。ライトは強力な物を選んできたつもりだが、今日という日に限ってあまりにも頼りない光を出してくれる。電池の不調ではない筈だ。顔に向けてみるとこんな眩しい物体が他にあるかと思い直した。
「……お、あれじゃないか?」
「……済みません。方向音痴じゃないんですけど」
「暑くて頭が回らないんじゃないか?」
公園の入り口にある柵を超えて中に入ると、滑り台に辛うじて人影を見つけられた。それが澪雨でなければどうしようかと思ったが、流石にそこまで俺達は不運ではない。
「随分遅かったじゃん」
澪雨も制服姿なのは、何か示し合わせた結果なのだろうか。この熱帯夜に滑り台で待機するのはさぞ辛かったろう。滑り台を下りる様子もぎこちなければ、近づいた彼女の肌は汗でじっとりと滲んでいた。運動で流れる汗は時に爽やかと表現されるが、ではこの場合の汗はどう表現した物だろうか。
「公園、来た事ないとか?」
「いや……暑くて動くのが怠かっただけだ」
夏の夜と言えば、鈴虫の泣き声が聞こえる……なんて、そんな贅沢はいけない。澪雨と合流したはいいが相変わらず状況は最悪だ。寝静まったというより元々死んでいる。そう思われても仕方ないくらい、物音がしないのだから。
「暑い。凛。団扇を扇いで」
「かしこまりましたー」
彼女は何処からともなく取り出した小さな団扇で澪雨の顔に風を送るが、その機嫌は直るどころか眉間に皺を作らせていた。
「温い。もういい」
「……まあ、ですよね」
「俺が言うのもなんだけど暑すぎて動けないし、今日の所は解散で」
「この景色を見て、本当にそう思ってるの?」
大きな声を出したつもりはないだろうが。それはいつになく俺の耳に残響として残った。この景色とは、死人の町と化した静寂の事を指している。あまりに異常だ。今日でなければあの二人とゲームをやっていた時間。つまり人間は確実に起きている。
「…………コンビニの方は見たの?」
「―――いや、これで明かりがついてたら猶更不自然だし、普通に目立ちそうだ。ここまで暗闇が徹底されてると少しの明かりも遠くから分かるだろ。建物なら猶更だ。確認しなくても結構。到底信じられないけど……信じるしかない」
夜間外出を町内の全員が控えている事は紛れもない事実それは認めよう。しかし気になるのは、その方法と理由だ。
例えば何故、遮光カーテンを全員が引いているのか。
外出する気が無くても窓くらい開ければいいだろう。換気をしろと言っているのではなく、硝子越しに外を見る事さえしないのは妙だと言いたい。俺はゲームの明かりが漏れない為という目的があるものの、他の人間はそうではないだろう。
「でも何で……こんな風になってるんだろうな」
「それが私も気になってるから、こうして集まったんでしょ。水分補給はしっかりね。それじゃあ、行きましょうか」
「行くって、何処へ?」
澪雨は呆れた様に目を瞑って、懐中電灯を俺からぶんどった。
「探索に決まってんじゃん。本当に明かりがついてないのか。明かりがついてるとしたらどんな場所か。そういうところから探っていかないと何も分からないでしょーが。幸い、私達は固まって行動してる。誰かが他に出歩いてても直ぐに気づけると思うんだけど」
「誰かって……例えば?」
「そんなの知らないけど。夜に何もないなら外出禁止をさせる意味なんてないじゃん? つまり絶対……何かある筈。言っとっけど、何か見つけるまで帰るつもりとかないから。しっかり探して下さいね? 日方君?」
これまた脅すような笑顔を向けてから、改めて澪雨は歩き出した。凛もその背中に合わせてついていこうとして―――立ち止まった。
「何か見つけて、早く帰りましょう。お互いの為ですよ」
「……そう、だよな」
何か、とは何だろう。
一抹の不安を抱えながら、夜更かし同盟の三人は頼りない光源と共に暗闇を歩き出した。
もう一話出すかも。