知らない夜が気になる年頃
「………………な、な」
何処にでもいる普通の高校生も、たまには背伸びをしたい時だってある。テスト前の徹夜自慢だってその一種だ。それで実際誰かが褒めてくれるかは関係ない。背伸びは自分の為にする虚栄だ。大きいから強いという生物の大原則は、人間が知性を得て野生から脱したとしても残り続けている。
俺は、背伸びの仕方を間違えた。
周りに友人が居たから、ついやってしまったという反省はある。その一方で、何故俺だけがこんな風に脅されなければならないのかという怒りもある。ゲーム機は皆持ち込んでいた。俺は少し遠くで画面を見ていて、友達があんまり下手だったからついプレイを変わっただけだ。学校の厳しい持ち物検査を抜けて得た娯楽は格別だったが、これがその代償になるなら他の奴らも道連れにしてはくれないだろうか。
しかしこの写真は、まるで俺一人がゲームをしているかの様だ。ズームで取り巻きを外して俺だけを被写体に、何てことをしてくれたのだろう。俺達は旧校舎の裏側でたむろしていたので、角度的にこの写真は木の上から撮影されている。
「……い、言い分って。周りに他の奴がいただろ!」
真っすぐな黒髪をうなじの上で結った深淵の瞳を持つ大和撫子に、俺は理不尽な不満をぶちまける。とにかく周りも引っ張り込まないと気が済まない、俺の醜い人間性が露呈した瞬間だったが、澪雨は飽くまで物証を元に俺を抑圧する。
「この写真には、君一人しか居ないじゃん」
「う…………み、澪雨。お前って意外と口悪いんだな。普段はもっと丁寧だったと思うんだが」
「私なりの気遣いだよ。弱みを握れたのは君が初めてだし、でも弱み握りっぱなしなのは可哀そうだから、一応こっちも弱みを出した感じ」
……よ、弱み?
普段は敬語な澪雨は、実は結構口が悪い……弱み? 弱みとは何だ? これでどうやって彼女を脅せと言うのだろう。物は言いようだ。口が悪いも『フランク』に置き換えれば至っておかしな点はない。お嬢様とて同級生には気さくに接する事もあるというだけで、非難されるのは悪意ある物言いをした俺の方だ。
「弱みを握れたのは初めてって……お、お前こんなの他の奴にもしてるのか!?」
「全て失敗続きでしたが、君だけは成功してしまいました。この好機を逃す手は無いと思います」
取って付けたような敬語にいら立ちを覚える。取って付けたのはむしろタメ口の方なのだが、弱みを握られて開幕の喋り方だったから更新されたのかもしれない。澪雨は積極的に誰も関わらないという点を除けば人気者だが、早速俺は嫌いになりそうだ。
ドラマの話になるが、強請られて思わず殺人に及んでしまう人間の気持ちが分かってきた。自業自得とはいえ。自業自得だからこそ、これは想像以上に不愉快だ。バレていない時は最高に楽しかったのに、バレた途端己の浅はかさに嫌気が差す。この現象に名前とかついてないだろうか。言い訳しようにも物証があるせいでどうにもならない。急速に保身をする気がなくなってきた。
「………………要求は? まあ出せる物とかないけどな」
「夜の街に出ようよ、一緒に」
澪雨は携帯の画面をスリープして、鞄の中に入れた。
「言う事聞いてくれたら、この写真は消すよ」
「………………一人でやってくれって感じなんだけどな」
「日方君も知ってるでしょ。町内会のルールで夜間外出が禁止なの。あ、転校生だからご存じないですか?」
「だった、な? もう一年も経ってるから流石に知ってるよ。でもそれが何だ? 単に不審者に遭遇して犯罪に巻き込まれる可能性を下げるとか、生活習慣の改善とかそんな理由だろ?」
これに地域差はない。不審者は何処にでもいるし、夜はどの国も危険だ。夜遊びは刺激的だが、何故刺激的かと言われたらそこに危険があるからだ。
「…………じゃあ、一つ聞くけどさ。日方君じゃなくても、友達の誰かが夜に出歩こうとする姿見た事ある?」
「ん……」
揚げ足は取らない。出歩こうとする姿は見た事ないものの、クラスメイトとは結構打ち解けている方だ。クラスのSNSグループにも所属しているし、ゲームセンターやバッティングセンターに遊びに行った事もある。
しかし考えてみると、日が落ちる前には必ず解散していた。テスト前には朝の四時まで起きていただの寝てないだのと、口だけという可能性はさておき、メッセージを送れば返答が来る事だってあるのだから、全員が起きていないという可能性はない。寝落ち通話もした事あるし。
「…………ない」
「そうだよね。何でか気にならない?」
ずいっと澪雨が顔を近づけてくる。パーソナルスペースに踏み込み過ぎだ。旧校舎の壁は近いが、下がるしかない。
「いや……単に夜遊べる場所がないとかだろ。コンビニくらいは……でも遊べないか」
「コンビニも、閉まってるって言ったら信じる?」
また近づいてきた。もう距離がない。
「二十四時間営業なのにあり得ないだろ。時短営業でも起きてんのか」
「警察の人も、夜は動かないんだよ」
「は? え? 不審者は?」
「夜、誰も出歩かないのに。不審者が出歩くと思うんだ?」
「………………ちょっと。考えを整理させてくれ。ごめん、これは本当に許して。考えがちょっと及ばない」
夜間外出禁止がここまで文字通りだった経験はない。というか、町内会のルールとは言うが、それは未成年にのみ課せられた努力義務みたいな物で、ここまで徹底されなくてはいけない物なのだろうか。
澪雨に背中を向けてあれやこれやと考えていると、耳元で擽ったくなるような吐息と共に、彼女が囁いた。
「何でか気にならない?」
「…………オーケー。ちょっと離れてくれ。気になる事があるんだ」
気になると言えば、澪雨の発言が気になっているので、まずはそこから解消しよう。この手の疑問はいきなり核心を突こうとしても失敗するだけだ。まずは周辺事情を把握しよう。
「えっと、お前はその理由を知らないんだな? 知らないのに、出歩かないのか?」
「私だけではなく、皆さんも同様です。日方君だって理由も知らないのに出歩かないではありませんか」
「いやまあ俺は……出歩く用事とかないし。ゲームはするけど」
「だから出歩こうって言ってんの。言っとくけど、拒否権とかないかんね」
「……親が許すかな」
「許可とか、取る必要ないよね。そんな事しようとして私の家が許す訳ないでしょう。でも、もううんざりなんです。縛られるのはたくさん。お父様もお母様も私を愛してくださっていますが、自由だけは一切考慮してくださいませんから」
「……」
家庭の事情には詳しくないが、澪雨の家が厳しい事だけは良く知っている。彼女は部活に所属しても居なければ友達と遊ぼうとさえしない。学校が終われば親に決められた時間をこなすだけ。特別親しくなくても、一年も同じクラスにいれば嫌という程理解出来る。ノーテレビノーゲームデー程不自由を感じた瞬間はなかった。抑圧の果てにたった一夜の外出を望むくらいなら……反発と呼ぶにはむしろ控えめなくらいか。
―――すると俺は、護衛って事なのか?
しかし不審者はいない様だ。ならば俺が傍にいる意味とは。なんにせよ気になってしまった。ついでに真偽を確かめてみるのもありだ。本当にコンビニや警察は動いていないのか。何故動かないのか。
ほんの数時間、暗闇を歩くだけ。不審者がいないならちょっとした肝試し程度の事。一体何を怖がるのか。
「分かったよ。でも一回だけだぞ。ちゃんと写真は消してくれよな」
「有難うございますっ。じゃあ早速だけど電話番号交換しようか。待ち合わせ場所は後で連絡するね。夜更かしでお友達を作るなんて……なんか、変なカンジ」
「……まあ、それはいいんだけどさ」
慣れた手つきで互いの連絡先を交換した後、俺は拭いきれない違和感を八方美人的な微笑みを浮かべる澪雨にぶつけた。
「何で敬語と混じってんだ? 喋っててすげえ不安になるわ」
「どっちが親しみやすいかなって、分からなくなっちゃった」
「あー……じゃあ敬語、やめてくれ。夜更かし同盟って事でさ、二人きりの時だけは堅苦しいのだけでもやめてくれると助かる」
木ノ比良澪雨の裏の顔。それは束縛と抑圧の果てに生まれたほんの少しの我儘。付き合う俺の身にもなってもらいたいが、まあいい。後々これを弱みにしてやれば、今度は俺が彼女をいいように動かせる。
さーて、何を求めてやろうかなッ。