蟲毒の解呪は暁のような恋となる
お疲れ様でした。
人間蟲毒はその性質上、不測の事態を起こしやすい。縁もゆかりもない毒虫と違い、特に多くの人々、その幼少期には霊的資質が備わっているからだ。それらを媒介にした呪いの強力さは言うに及ばない。しかし同様に、不安定さも強力だ。
虫とは違って、人々には意思がある。直ぐに殺し、物言わぬ肉塊と朽ち果てようとも幼ければ意思を獲得する事がある。果たしてそれが呪いとして、神として祀られた時、力の流れは誰が制御するのか。その本人だ。
仲介人として縁者を使い、制御しようとしても最後はその者に乗っ取られる。縁者であるが故に、抵抗も出来ない。蟲毒の巫女の資質は、先代巫女の意思に無抵抗を示す証左でもある。
完全なる解呪の方法はただ一つ。蟲毒と繋がるものを絶つ、代わりに唱える。
これが私共の全てです。お納め下さいませ。
それで蟲毒は役目を終える。あらゆる利益を帳に返し、あらゆる方法で以て霧散する。人々を、これまで閉じ込めてきた者を、呪いながら。
『………………そうか。じゃあ、準備万端って事でいいんだね』
『ああ。それで、ディース。蟲毒と繋がるものっていうのは』
『言葉のままの意味だけど……その本の内容を聞いた感じだと、誰かを助ける為に奔走したんだろう。それもその人は、君と同じように蟲毒と繋がっていた人を好きになったんじゃないかな。成功したかどうかは分からないが、だから蟲毒と繋がるモノを絶つなんて書いてあるんだろう。もしくは単に命令権を失わせて代わりに命令すればいいという文脈かもしれないが……繋がるものか……彼女が血を入れた壺がどれかによる。恐らくそれを割ればいい筈だ。ただね、そこには書かれていないが悪戯に器を破壊するのもよくない』
『手あたり次第は駄目と』
『その子との繋がりを絶って影響を及ばないようにした上で、他を切り捨てる。多分そういう行為だ。いずれにせよ他を切り捨てるなら蟲毒と他は繋がってないといけない』
『……そうか』
『しかも、今回は事情が特殊だ。もしも、モノカゲヒトが隠れていた壺と彼女が血を入れた壺が同じだった場合……モノカゲヒトの方を先に止めないといけない。僕達の方で捕まえる準備は出来た。問題は壺が絞り切れていない事だ。チャンスは一回きり。失敗したら蟲毒は終わらず、僕たちはまとめて返り討ちだ。覚悟は出来てる?』
『一つだけ聞きたいんだけど、ネエネやディースは何をしてたんだ?』
『……あのな、モノカゲヒトはその性質を模倣する。蟲毒なんて形のないモノを捕えようとしたら、相応の材料が必要なんだよ。しかもあっちはそれを理解してるのか、町内会の人間を操って他の人々を殺し回らせてた。自分が動いたら君のお姉さんに邪魔されると踏んだんだろう。勘違いは、君のお姉さんは蟲に寄生された人間なんて一ミリの躊躇いもなく殺せるくらいだね』
『…………人間製の、網みたいな?』
『早い話がそうなるね。蟲毒の影響を受けた人間が幾らか必要だった。どうせ死ぬ命なんだから有効活用したまでだよ。ただ、もう見つからない。だから一回きりなんだ』
携帯を下ろして、校舎から町中を見下ろす。夜の明ける気配はないが、俺には、お目当ての物が何処にあるか、分かる様な気がした。
『失敗したら、殲滅?』
『君のお姉さんがね。僕らはどうせその前に死んでるから』
『…………分かった。受け取りに行くついでに一つ教えておく。なんか、凛が嘘吹き込んで、サクモと壱夏に壺を破壊させて回ってる。止められないか?』
『…………! 止めようとしても、もう無理だろ。こんなに時間があるなら残ってても一つか二つ。手遅れだ。さっきから連絡つかないしね。僕にもう出来る事はない。君に期待するだけだ』
教室を後にして、元通りになった廊下を歩いていく。『モノカゲヒト』はもういなかった。
『じゃあお願いしていいですか? 世界旅行のチケットとか』
『…………経費で落ちないかな。落ちるのを期待してくれ。君達は自由になっても『組織』に目を付けられるからな。その辺りでごねるしかない』
『澪雨はともかく、俺も?』
『だって、現代まで続いた最後の蟲毒を解呪して、生き残ったんだ。目を付けられるに決まってる。本当の自由とは無縁になる。それでも大丈夫?』
『……ここで死ぬよりはいいでしょ。俺はもっと生きたいんです。解呪が終わったら、全部何とかなりますよ』
道すがら、動かなくなった二つの死体に目をやり、それっきり。大を犠牲に小を取る。全く変な話だと自分でも思うが、小が好きな人なら話は別だろう。俺に失う物があるとすれば、アイツくらいだ。だから覚悟を決めて、切り捨てた。
その生き永らえる筈だった大は、澪雨の犠牲ありきで生きていただけだ。澪雨が真っ当に巫女を果たしたとして、結局次は次代が不幸を見る。そんなのは、大いに間違っているだろう。
だったらそろそろ終わらせよう。
町の内側に居る限り誰も変えられないなら俺がやる。もう解放してやるべきだ。十分生きただろう、全員。
巫女の軛から、一人だけでも解放しよう。
かつてそれを実行し、恐らくは達成できなかった者の無念も共に。
ただ俺が生きる為に。
木ノ比良澪雨との明日を、夢見る為に。
町に跋扈していた蟲は姿を見せなくなった。ディースの家まで歩くと、玄関先でネエネが待ち人を想う様に腕を組んでいた。
「ネエネ」
「はいこれ、私が造った針ね」
そう言って渡された針は、あまりに大きい。最早杭と呼べる代物だ。?形をした杭は見た目に反して空洞で、とても軽い。材質は握るまでもなく、骨だと分かった。
「これをどうすればいいの?」
「モノカゲヒトに向かって刺す。校舎の方に出たってのはついさっき知ったけど、あれは本体じゃない。アイツは自分の比率を代えて分身を作れる。その比率が多い場所―――本体に向かって突き刺せば、もう逃げられない。後は私に任せていいよ」
「ネエネはどうするの? 待ってる?」
「まさか。ここまでやってくれたんだから、弟の結末を見届けなくちゃ。どうせ後始末は私がやるんだから。大丈夫、手は出さない。モノカゲヒトにやけっぱちになられても困るし」
「そっか…………じゃあ早速だけど、行こう。アイツが何処にいるかは、何となく分かるんだ」
澪雨を背中に抱えながら、弟姉二人きりの道を歩く。ネエネとはずっと一緒に居たのに、こういうのは初めてだ。俺を見る姉の瞳は、穏やかで柔らかい。
「何処に居るの?」
「蝶化ノ丘。初めて蟲毒が行われた場所って聞いた。凛は多分そこにいるし、俺は壺もそこにあると思ってる」
「根拠は?」
「凛を信じてる。アイツ、行動原理が何かチグハグなんだよ。紅無さまじゃないけど、何かしたいんだと思う。それを途中で台無しにするとは思えない」
俺は死んでも澪雨を助けるつもりだが、凛はどうなるか全く想像もつかない。出来れば生きて欲しいと望んでいるが、どうかな。願望を言い出したら全員生存なんておとぎ話を追い求める事になる。それは無理だ、
澪雨を助けようと思う限りは。
「……きっと、乱暴な事にはならないよ。私が居るからね。だけど聞かせて欲しいな。気持ちの上で負けない自信はある? 自分は誰よりも正しいって思える?」
潜み損ねた蟲の残党を、ネエネの納刀音が両断する。何だか、今ので確証した。これはきっと目印だ。その先に私は居るという、アイツの遠回しな道標。澪雨が暴走した時もあそこに居た。今回も凛が暴走したとするなら、あそこに居る。
だって、七愛凛は澪雨の護衛だ。
理屈にはなってない。護衛といる事の証明に因果関係はないのだから。でも、俺の中では繋がっている。
「―――俺は正しくないよ」
丘が近くに見えて来た。長い坂道を上れば辿り着く。きっとその先に、俺の見たかった景色がある。俺の知りたかった事がある。
「でも、こんな俺を好きって言ってくれる奴が居るから、頑張るんだ」
坂道の中腹。
ネエネは足を止めて、俺の背中を見つめた。
「―――本当に、強くなったね。シン。ほんのちょっぴり寂しいけど、お姉ちゃんはとっても嬉しいよ。私はここでいいから、行っといで」
押された背中を気にしながら、振り返る。
「―――怖いからさ。最後に一つだけネエネに答えを聞いておきたいんだけどさ」
「親しい人に偽名を使うのは、一体どんな理由があると思う?」
大好きな姉は、困った様に視線を逸らして。
「……気に入らない奴にしか、私は偽名を使わないよ。尤も、私に本当の名前なんかないけど」
「それでいいよ。有難うネエネ。じゃあ行ってくる」
澪雨は目を覚まさない。
構わず坂を上っていく。
その頂上が見えてきて、俺は足の速さを緩めた。丘の先端で、見慣れた無表情が俺を出迎える。
「遅いよ、悠心。先客が来ちゃった」
その傍らには、一つの壺があった。
そして俺の側面には、壱夏とサクモの二人が居る。ディースの言った通り、壺を破壊して回った結果、残る最後に辿り着いたという所か。力ずくでも奪う姿勢を辞さないその手には、それぞれ角材と金鎚が握られている。
一方、凛は澪雨の着物を着て、袖から大量の蟲を控えさせていた。
「サクモ。壱夏。お前達も来てたんだな」
「何だ? 俺は今からでも掌返しオーケーだぞ。戦力は多い方がいいからな」
「んー、残念だけどそうじゃないんだ。凛に色々と話があってさ」
「話なんか必要ないわ! あの壺壊して、ついでに新巫女のアイツを殺せば呪いは終わり!」
「―――だそうだけど、悠心は?」
敵意はない。
七愛凛は演技をやめ、気だるげな様子で俺に話を回してきた。
「お前は―――巫女じゃない」
「何だって? じゃあ誰が巫女なんだよ」
「…………そっちはまだ確証はないけど。でも凛が巫女じゃないのは確かだ。だって七愛凛なんて女性は何処にも存在しないんだからな」
「…………」
「意味分からない。凛はそこにいるでしょ!?」
「七愛家も、代々仕えてるとかいう設定も出鱈目だ。お前は蟲毒の中でのみ生きていられる存在、澪雨を媒介にして、実体を作ってる。七愛凛。お前の正体は―――」
澪雨の味方。
町内会の事情に一方的に詳しく、その存在さえ悟られていない。
あの神社の事を知っていて。
何より『私達が生まれる前から続いていた関係』という発言。
そこから導き出される、一つの結論。
「お前は。お前が蟲毒だ凛。強いて言えば、お前は澪雨が巫女になる際に殺された七人の子供の集まり。合ってるんじゃないか、七愛凛」
サクモ達は呆然として俺の話を聞いている。二人はあの地下室も、父親の苦悩も知らない。知らないまま、建物は終わりを迎えた。凛は静かに、俺の告発を聞いている。愛おしそうに、壺の口を撫でながら。
「澪雨の家に行って気づいたのは、誰もお前の事を認識してなかったって事だ。確かに嘘じゃない、お前と凛の秘密の関係。澪雨がバラさない限り、お前は誰にも気づかれない。お前から向こうの人間だと釘を刺しておけば、わざわざ言う事もない」
「成程」
「神社で物音と言ったのも、お前自身が壺の中に居るなら簡単だ。私達が生まれる前から続いてた関係なんて、幾ら長い付き合いでもそんな表し方はしない。この町が、蟲毒で成り立ってなきゃな」
「ふんふん。じゃあ一つ質問しよー。悠心、ホテルで惨劇を引き起こしたのは私だと思う?」
「ああ。お前だ。蟲毒の解呪をするって澪雨が言ったと同時に起こせたなら、お前しかいない。ただこっちの事情を知った感じだと、あのタイミングで決意されたからああなったんじゃないか? 町じゃ澪雨はやっぱり命を狙われてた。決意のタイミングが遅くなれば危険に晒す事になる。お前は澪雨の護衛だ、最悪澪雨が助かるなら他はどうなってもいいもんな」
「ふーん。でもさー、それって矛盾してるよね。巫女じゃないとあそこに非世界を呼び出す事は出来ないよ」
「お前はその力自身だろうが。だから巫女じゃなくても力を振るえる。もしくは巫女の身体を介して勝手に使える。ホテルで澪雨が自分のじゃないと言った蟲も、それより前、俺が保健室で致命傷を負った時もお前がやったんだろ。澪雨は、自覚がなくちゃ力を振るえないんだからな」
「………」
そう。
自覚しないと、呼び出せない。
それが何よりも重要な要素。決定的に、この話を終わらせる証拠。
「ま、待て待て置き去りにするな。アイツが巫女じゃないのは一先ず分かった。だけど現に、蟲を出してるぞ。あれは巫女の仕業だろ!」
「だから巫女を介してるか自前で出してるんだって……新しい巫女を隠してる辺り、そっちっぽいな。澪雨はもう殆ど寿命が残ってないから、使えないだろ」
「は!?」
「他に巫女なんて……誰が居るの!? 澪雨の母親とか言うつもりッ?」
いや、と頭を振って言葉を悩ませる。真雨が死んでいた事を明かすべきなのか悩んだ。しかし俺の話には重要でなくても二人を説得する時には有効だろうと思い直し、切り出し方を改めて言った。「真雨は死んでた。それはない。お前達の方からじゃ絶対に分かりようがないんだよ、これ。凛は俺にしか分からない様にしてるんだ」
「なんか、自意識過剰って感じだね。そこまで言うなら、誰が最新の巫女なのか言って見せてよ」
「莱古晴。タイミング的にも、もうアイツしか居ない」
木ノ比良としての巫女は、所詮は利権。手順を踏まえれば誰でも巫女になれる。真雨でないのなら晴だけだ。何故なら彼女は祭りの時、凛と二人きりで幽閉されていたのだから。あの純粋な後輩を騙すなんて造作もない事で、後輩も後輩で一々身に起きた事を変に思わなければ説明する柄でもない。
「晴は死んだってアンタが……!」
「言ったけど、確証はないんだ。だから俺の願望って言っても良い。もう候補が居ない。ホテルの方で死んだのは『核』による生存者の擬態だ。死体は含まれない。非世界の帰還者たるネエネが秩序を読み間違えるのも考えにくい。『生存者の擬態』と言ったらそうなんだ。きっと『核』って奴は擬態を繰り返して疑心暗鬼に陥らせる性質だったんだろう。それを、凛が攫ったばかりに本物が居なくなって偽物だけになった。でも生存はしてるから他の者に『擬態』し直す事はない」
この話は二人にとってちんぷんかんぷんだろうが、俺は凛に言っている。誰も知らない様な女の子という可能性はないだろう。澪雨が役目を降りて町内会全体が過敏になっていた。誰にも気づかれず新しい巫女を作るにはあの瞬間しかあり得ない。お祭りから修学旅行までそうインターバルもなかったし。
「………………そうですね。概ね正解と言っておきましょうか。流石は悠心。澪雨様の好きな男の子」
「じゃあ晴、生きてんの!? ……………ょかった」
「気になる言い方だな。何だ概ねって」
「正しいは正しいよ。でもそれが分かったから何なのって事。彼女の居場所も分からないみたいだし、殺せないんじゃ巫女の影響力は消えないよ」
「いや、呪いを使える奴が居ても大元がなければ終わる筈だ。悠、壺を壊すぞ。アイツはどうやら抵抗する気がないみたいだ」
お好きにどうぞ、と言わんばかりの凛には違和感を覚えた。
やっぱり、そうなのか。
「行くぞ、悠!」
「待て待てサクモ! このまま終わらせても俺が死ぬからちょっと待ってくれ。ディースは言わなかったけど、変な奴に呪われてるんだよ」
「変な奴?」
一歩踏み出して、距離を詰める。澪雨が重くなったので、その場に下ろした。
「デスゲーム。お前は覚えてないかもしれないけど。お前が死んでから、澪雨がおかしくなった。攻撃性が増して、おんなじ人間とは思えなかったよ」
「……それが、どうしたの?」
「凛愛なんて安直な偽名、名乗るのもどうかしてるけどさ……お前が蟲毒その物で、急遽中に入って来たモノカゲヒトの事まで知ってたなら話は別だ。お前は澪雨の護衛であって、あんなバケモノの護衛じゃない。だから嘘を教えたんじゃないのか?」
ちらと、死んだように動かぬ澪雨を一瞥する。
「なあ、お前にも教えてるんだぞ」
「…………日方。アンタ何処に向かって」
「お前だよお前」
「澪雨の中に居る、お前」
そう言って、澪雨の腹部に杭を突き立てる。
衝撃的な光景に二人は息を呑まれ、あれだけ身じろぎしなかった澪雨が目を剥いて、俺を睨みつけていた。
「………………ッ!」
「いや、尻尾が全く出ないのは凄いと思ったけど、最初の一回ばっかりはどうしようもないか―――屋根裏から澪雨の声で俺に指示を出したよな」
大切なのはそこで、ここからがまた、この蟲毒の込み入った話になる。彼女が控えている壺が澪雨の物かどうかはそこではっきりさせないと、こっそり持っている可能性を排除しきれないなら、早とちりは悪手だ。
「蟲毒自身のお前と、蟲毒と繋がった澪雨。そして蟲毒に紛れ込んだモノカゲヒト。この中に特別犯人は居ない。全員挙げるならお前でもあるし、澪雨でもあるし、モノカゲヒトでもある。そしてお前は……モノカゲヒトにさえ正体を気づかれていなかった。違うか?」
蟲毒自身とは、モノカゲヒトの隠れ蓑であり、今となっては奴を構成する要素だ。それ自体を疑えというのは中々難しい。だから凛は、偽名を教えた。だからちぐはぐな行動を取っていた。俺達の味方であり、敵でもある。
「モノカゲヒトの望みは蟲毒の不完全な解呪。ここに来てからのお前はそれに協力する振りをして、澪雨に手を貸したな」
「凛愛……………………オマエ…………」
「人々を殺し回ったのもお前だろ。もしモノカゲヒトが勝つ事になっても餌がないようにしたかった。壺を壊すように二人を唆したのはその隠蔽工作。だからその情報を教えてくれた筈のお前が壺を護るなんて矛盾も、気にしてない」
「いや、アイツも偽物なんだよ! 凛は壊せって言ってたんだ……が…………」
偽物偽物って、そんな理屈を正当化する様な偽物は生まれない。
そもそも蟲毒の化身である凛に対して、偽物は作れないだろう。
「…………………………ふ。ふふふ」
凛は嗤って。
「ふふふふふふふふふふ」
笑って。
「あーっはっはっははっはははははははははは! いっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ! おっかしー!」
腹がよじれるのかというくらい、その場で大笑いした。
「いやーもう完璧! すごい! あー見て悠心、そいつの馬鹿みたいな面! 私みたいな女を信じるのがどうかしてるよ! あっははははははははははは!」
「グウウウウウウウウウウウウウウウ」
「確たる証拠はなくても推理は完璧だあ! じゃあ後は、この壺を壊せば終わりだね! 丁度ここは丘だからさ、手っ取り早く下に落として終わらせちゃってよ」
「悠。もう何もないな? 壺を壊すぞ」
「………………ああ……?」
二人は壺に近づいて行く。凛は飽くまでその場を動かず、成り行きを見守っていた。
―――何かがおかしい。
何を見落としている。凛はまだ何かを企んでいる? 後は、後は――――――
『繋がるものか……彼女が血を入れた壺がどれかによる。恐らくそれを割ればいい筈だ。ただね、そこには書かれていないが悪戯に器を破壊するのもよくない』
『手あたり次第は駄目と』
『その子との繋がりを絶って影響を及ばないようにした上で、他を切り捨てる。多分そういう行為だ。いずれにせよ他を切り捨てるなら蟲毒と他は繋がってないといけない』
「ちょっっっっっっと待ったあああああああああああああ!」
金鎚で小突いて落とそうとする正にその瞬間、俺は壱夏に向かって飛び込み、彼女を地面に抑えつけた。
「きゃ!」
「待て待て待て待て! ああクソ、そうか、これを狙ってたなお前! 俺に気持ちよく謎を明かして、満足そうな雰囲気にして後の流れを誤魔化そうとしやがって!」
「何の話だ? もう明らかにしたい事はないんだろ? なんかその……澪雨に入ってた奴をあれで倒したなら、壺を割れば」
「良くないんだよ! 蟲毒の解呪には、澪雨を助ける為には繋がるモノを絶たないといけない! 壺もそうだが、まだ足りない! 巫女を介してアイツが力を使えるなら―――!」
言って。
その言葉の意味を、知る。
「使える…………なら」
凛に近づいて、その真正面に立ち尽くす。あんなに上機嫌だった彼女の顔に、もう笑顔はない。悪戯のバレた子供の様に、俯いていた。
「お前も…………………………殺さないと」
「………………あーあ。バレたか。行けると思ったんだけど」
つまんないつまんないと子供っぽく文句を言った後、睨みつける澪雨を見下すように、その口を手で隠して。
「―――言ったでしょ。たまには澪雨に、譲りたくない時もあるの。確かに私は澪雨の味方だった。でもね…………悠心だけは話が別」
あれは冗談か、俺に対するからかいだと思っていたが。
「やっぱり色々含めて概ね正解。私はトリプルスパイですねー。もしここで安易に壺を壊してくれるようなら、あの影は制圧されてるし、澪雨も死ぬし、蟲毒の解呪に失敗したからこの場にいる全員が死んで―――悠心は私のモノになる。ほら、ここだけは見抜けてない」
「……凛。お前。何で俺を」
「うるさいなあ、一目惚れがそんなに悪い? 貴方を協力者に選んだ真の理由もそれ。ていうか他の理屈は全部これを隠すためのカモフラージュだから。にしては合理的だったでしょ」
それならそれで、また気になる事が出来た。目の前の状況を見れば分かるだろう。俺がモノカゲヒトの無力化に成功したのを見届けて自分で壺を割れば良かったのだ。それを、凛はあえてしなかった。
視線だけで俺の疑問を汲み取った少女は、年不相応に未熟な笑みを浮かべて壺を抱える。
「因むと、この壺は澪雨と何の関係も無いよ。澪雨の契血は私の方で回収したから私が死ねば後はお終い。この壺に、正しい解呪ってのをすればいいよ。そんじゃ、負け犬は負け犬らしくとっとと終わらせよっか」
安定した場所にそれを置いて満足したらしい。凛は丘の切り立った場所に立って、背中を向けた。
「ここ、朝日が昇るといい景色なんだ。終わったら見てってよ。私のお気に入りの場所」
「……………………凛。まって」
掠れんばかりの声を振り絞った声は、今度こそ敵意も無ければ殺意もない。モノカゲヒトは何処へやら、木ノ比良澪雨の意識が目覚めた。
「な、ん。で……………?」
「…………だって、澪雨の頼みだもん。思い出に残るような恋がしたいだっけ? そんな刺激的な恋、中々演出出来ないし。やるなら本気でやらないと。みんなの命が懸かってたり、友達に好きな人を取られるかもしれなかったり。一生忘れられないでしょ? これで、頼みはきいたから」
「ば、か………………ば、か。わた、しは。私は、あなた、と………………」
「―――――――はあ。辛気臭いのって嫌いなんだよね」
だからそんな『笑顔』を浮かべるのか。
そんな、そんな嬉しそうな笑顔を見せながら。
「私の分まで生きてよ澪雨。つまんない事でぐちぐち悩んで悠心困らせたら、また奪っちゃうぞ♪」
らしくない、そんな軽い言葉と共に、七愛凛は目の前から姿を消した。
「…………………………り、ん」
全て終わったなら、俺に出来る事はただ一つ。この夜を、終わらせる事だけだ。それは決して、望んだ結末を引き寄せる願望機などではないが。
「これが私共の全てです。お納め下さいませ」
澪雨と共に、明日を生きたい。
それが俺の、答えだ。
「…………………………………全部、終わったよ。澪雨」
夜更かしは終わり、朝日が昇る。白い太陽の放つ光は、腐り果てた呪いを浄化するかの如く、町を照らしている。大切な人を木に凭れさせると、その傍に自分も背中を預けて座った。
「お前を助ける為に、こんなに失うとかあり得ないだろ。なあ、そう思わないか?」
少女は動かない。身じろぎ一つせず、安らかに、眠るように動かない。
「…………お前がぶちまけた蟲に身体を喰われてて、ちょっと俺も限界だ。休まないとな」
壺の側面には、晴が安置されている場所が書かれており、二人はネエネに連れられてそちらへ向かった。あの二人も、言うなれば信仰者だ。影響は決して無視出来ないだろう。もしかしたら死んでしまったかもしれない。
それは、本意ではないが。
アイツに、澪雨を託されたから。
俺にはこうする事しか、出来なかった。
「………………」
当たり前の朝が来る。蟲毒の夜は明け、現実的な日常が帰ってくる。これからきっと、忙しい。休む暇もなく、動く事になる。あらゆる清算を済ませた果てに、彼女は生きる事を許された。俺はそれを託された。そこに血の繋がりなどは無くても、もう離さない。これからは呪いの代わりに、真面目で、惚れっぽくて、友達思いだった呪いに負けないくらい、彼女を護る。
「…………………ぅ」
澪雨が僅かに身を捩って、俺の肩まで身体を滑らせてきた。今は木の代わりに、代わりにもなっていないのに枕になっているようだ。
意識が、遠のいていく。夜更かしのしすぎで眠いのか、それとも蟲に喰われていよいよ生命活動を維持できなくなったのか。きっと前者だ。俺達は夜更かしをしすぎた。暫くは眠る事になる筈だ。
「―――澪雨」
言葉にするのも違う気がして、思いとどまる。
口に出さないのは情けない気がして、踏み切る。
けれどもやっぱり―――恥ずかしくなって、口ごもった。
明日のなかった命に、未来を想起する。
これは夜を超えて生きた、その証。或いはその報酬。
俺達二人だけの、細やかな秘密。
「おやすみ。また明日、な?」
後日談はまた後日。本編はこれにて完結です。