特異怪異の化かし合い
予定を変えて学校傍の井戸にやってきた。道の構造は大きく変わり、何処にも繋がる道がなかった状況は俺達の来訪を拒んだかのようだ。結局、雑木林を無理やり突破してやってきた。目的の井戸すら無かったらお手上げだったが、今は夜で、姫様はこの夜に巣食う怪物。不測の事態は起こり得ない。
「入るぞ」
「なんか暗い……深さはどれくらいなの?」
「それは入ってみないと分からないけど、怪我はしないと思うおあああああああ!」
「日方!」
また何者かに押された。澪雨の手ではないだろう。落としておいて素知らぬふりを出来る異常者ではない。それよりも井戸の底は、いつもと違って水が深かった。ボチャンという音が聞こえたのは、至って単純に落とされた物体が沈んだ音―――つまり俺から発せられた着水音だ。
「ぼ、ぼががががが!」
頭に水を被ったので文字通り頭が冷えたと言いたい所だが、それも違う。これは水なのだろうか。何の温度も浮力も感じない。携帯は無事だ。防水加工以前に、まず濡れていない。不思議な感覚だが、口に液体は入っているのに酸素の吸入は邪魔していないから、冷静になって謎の液体を吐き出すように喋れば、会話も可能だった。
問題は、浮力が無いので何処までも沈んでいく事だ。澪雨との声で物理的な距離を感じている。
「早く入って来い! 俺は大丈夫だ!」
「え、ええと……えいや!」
意を決して飛び込んできた彼女は、偶然にも同じ着水地点に。いや、中が広いだけで入り口は井戸だから当然なのだが、浮力のない液体は俺を害さない代わりに守ってもくれない。ダイレクトに澪雨の体重がのしかかって、肺の中から酸素が漏れた。
「げはあ!」
「え、日方!?」
「お、重い……離れろ」
「私、そんなに重い……?」
凛に負けず劣らずの胸を持っておいて軽いは通らないだろう。幾らくびれていても現実にはきちんと質量という概念が存在する。まあ、仮にどんな貧相な身体でも骨と血と肉で三〇キロは超えるから、どちらにしろ重いが。
「つーか深いんだよ井戸! 前来た時こんなんじゃなかったぞ! 姫様、何してるんだ!」
「これ、何処まで沈むんだろ」
離れろとは言ったが、どうせ奈落に沈むならこのままでもいいかと思い、先程から彼女の背中に腕を回して自由落下ならぬ自由水没を続けている。暫くこのままになりそうなので、ふと気になったことを質問してみた。
「澪雨。背中の方はどうだ? 大丈夫か、時間制限は」
「え…………う、うん。だいじょぶ。ダイジョブ」
触っても俺には分からない。ブラジャーの感触と、或いはそのホックの数だけだ。
「変な所触らないでよ、何考えてるのえっち!」
「こんな所で下心出す程余裕じゃない。本当に大丈夫なのか?」
「……………………大丈夫、だってば」
「澪雨」
「………………」
巫女をやめ、殺されるべき少女となった者は、胸に顔を埋めて静かに語る。
「……死ぬのが怖い」
「……」
「分かるの。身体の中から蟲が湧きだす感覚。嘘ついてごめんなさい。トイレに行ったの、我慢できなかった。口からね、沢山蟲が出てきたの。血じゃなくて蟲。私はもう、人間じゃないのかな。寿命を迎えたら内側から喰われちゃうのかな。怖いよ日方。怖い。怖い…………」
「死ぬ時は一緒だ」
ああ、以前も。
そんな事を言ったっけ。
「お前と俺は、同じ場所では生まれてない。じゃなきゃ信仰してて、やっぱり出会う事なんてなかったかもな。こうして出会って、友達として馬鹿やってさ。どうせなら、死に場所も同じ方が良い。もしも手遅れになったら、その時はお前の中から出た蟲に喰われてやるよ」
「……………うん」
何がうん、なのかは分からないが、澪雨の静かな慟哭はそれで収まってくれた。会話のない時間は決して気まずいばかりじゃない。互いに死のタイムリミットが迫る中なら、心地良くもなろう。いつか終わりを知るその時まで、この気持ちは本物だ。
友達としても、異性としても、澪雨が好きだ。
一緒に死んでもいい。それが俺に言える最大。明日の事なんて考えてないのは俺も同じ。数時間の命を前に明日は長すぎる。それでも妄想したかった。俺達の、幸せな日常という奴を。勝ち取った未来って奴を想像したい。
別に、それは悪い事じゃない。
心残りは沢山ある。澪雨だけでも本当にいっぱいある。次はちゃんと水着姿を見たいし、一緒に遊びたいし、二人きりの空間で静かに話したい。
いつも着物を着てるんだから、晴れ着姿の彼女はきっと何物にも代えがたく、心の底から『姫』と呼んでもいいくらい美しいだろう。雪が解け、立ち上る朝日。後ろ姿に差したその立ち姿は、想像するに麗しい。
ハロウィンは魔除けと言われている。蟲毒の巫女ならピッタリじゃないか。澪雨がどんな仮装をするか興味がある。魔女なんてどうだ。呪いを退けた後なら似合うだろう。
もっと色んなお前が見たい。
心残りは、あると思っただけ生まれる。死ねばきっと後悔する。死にたくないと恐怖する。それでも、一緒に死ぬのなら悔いはない。
不可解な水底に沈む、その終点。長かったような短かったような時間の果てに、俺達は到着した。
目の前には、見慣れた鳥居と石像。よく見ると石像の目が、片方抜け落ちていた。
「澪雨。あの目だ。持ってるよな」
「―――ほんとだ。嵌めてみるね」
澪雨は恐る恐る石像に近づいて、目を嵌めこんだ。するとどうだ、石像の双眸が光ったかと思うと罅が入り、その場に崩れ落ちたではないか。
「きゃあ! 私何もしてない! してないってば日方!」
「澪雨。見ろ。何かある」
「―――祠?」
石造の中に隠されていた祠はかなり大きい。ちょっとした仏像やご神体を入れるようなこじんまりした小屋じゃない。もっと大きな、等身大の人間が入りそうな細長さだ。
澪雨と惹姫様がたまたまホテルで顔を合わせていないとこれには気づけなかった。もしやと思った事が正解で、俺自身非常に驚いている。ただ顔をひょっこりのぞかせただけの祠は、まだ開く事が出来ない。罰当たりを承知で二人して残りの石部分を破壊した。石は石でも祠を隠す為にあったのか中は殆ど空洞で、一度欠損が生じてしまえば後は力任せに引っぺがせる。
露わになった祠を見て、俺達は息を呑んだ。
ムシカゴの効力が生じている内は老朽化も起きない。裏を返すとあの地下室には及んでいなかったという事でもあるが、ここもそうだ。木製の祠は全体的に見ても苔むしており、扉は殆ど壊れている。ただ暗さの一点で中身を隠しており、開けるという行為にも意味があるとは思えない。
それでも二人で片方ずつ扉を開ける。
中には、惹姫様が眠っていた。
「………ねえ、日方。これ」
「―――ああ」
それは、惹姫様の姿に相違ない。違うのは俺達の知る姫様はこれより幼い事と、人形のようにつるつるした質感。球体関節人形という奴か、服で隠されているが膝のあたりに隠し切れない継ぎ目がある。
試しに電話を見ると、電波が立っていた。ここでも圏外にはならないようだ。
『もしもし、ディース?』
少し考えたが、頼らないと始まらないと思って電話した。詳しいとすれば、あの人だけだ。
『はいはい。どうせ電話してくると思ったよ。僕だけ多重労働だ、困ったねえ全く』
『霊媒師って言ってましたよね。惹姫様の神社みたいな場所に居るんですけど、そこに姫様そっくりの人形を見つけたんです。何か知りませんか?』
『あーはいはい。そんな物見つけたんだ。僕の見解が絶対とは思わないで聞いてほしいな。恐らくそれは供養のための人形だね』
『供養?』
『モノカゲヒトの逃げ先がここだと分かって随分前に調査した。蟲毒の歴史が始まった頃かな。ここ、祟りが頻繁に起きてたみたいなんだ。組織の見解では軽率に呪いに手を出したからそういう事になったで一致してる。彼女はその主犯格……って言い方もどうかと思うけど、恐らく発端何だろうね。昔からこの国はさ、祟りを鎮める為に死者を祀ったりするでしょ。多分そんな感じじゃないかな』
電話の傍で、澪雨が興味深そうに人形を見つめている。これが動き出すとか、そういった様子はない。
『因みに、どんな人形?』
『球体関節人形ですね。写真送った方が早いですか』
『…………供養は随分遅かったんだな。球体関節人形か。その人形。何処かに名前がない?』
『詳しくないんですけど、あるんですか?』
『供養の為の人形は、ただ置けばいい訳じゃないよ。大体魂のない人形は乗っ取られちゃうだけだしね。ちゃんと名前を与えてあげるんだ。それは存在証明になるからね。供養と言っても難しい話じゃない。名前を付けて、存在証明を持った子を寄り添わせてるだけだ。寂しさを埋めようって事でね』
電話から顔を離して、観察を続ける澪雨に声を掛けた。
「澪雨。何処かに名前ってあるか? 人形の名前がありそうなんだ」
「そうなの? 調べてみるね」
これが惹姫様の求める答えなら、果たしてどうなる。違うなら振り出しに戻るだけだ、試す価値は十分にある。
―――何処で?
ここで叫べば聞こえるだろうか。いや、聞こえたからなんだ。ここで反応出来るなら入ってきた時点で喋ればいい。それが出来ないなら、何処か特別な場所で言う必要があるのでは?
『惹姫様が名前を探してる説が今有力なんです。何処で言えばいいと思いますか?』
『蝶化ノ丘とかは特別な場所だよね。あそこは元々蟲毒が行われてた場所って話だから。うーん、私はそっちの事情とか知らないからなあ。本人に聞ければいいんだが、あの様子でこの質問じゃまだ喋りそうもないって分かるよ。死人に口なしとも言うし、困ったねえ』
『…………え?』
『え? 僕何か言った?』
『死人に……?』
『口なし』
『コノ町ニ潜ム 異ノ正体ハ?』
『ワカッタラマタオイデ』
『口なしさん』の、そんな言葉がフラッシュバックして。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
唯一、試せそうな瞬間を、思い出した。