紅い瞳の桎梏姫
「ディースから映像は見せてもらったのか」
思えば、その質問がいけなかった。入る前ならいざ知らず、入りながらしたのだ。質問はいうなれば無意味で、見せてもらった前提で聞いたとも言う。
「なっ……」
「ひっ……! もう……………もうもうもうもうもう嫌!」
映像で見た通りの、武骨な地下室。安山岩で建築された壁には多くの罅が入っており、今にも蟲が入ってきそうだ。数々の牢屋はそのどれもが扉を開放されており、今はもう人っ子一人閉じ込めていない。ただその役目を果たし、二度と機能する事はないとばかりに朽ちている。
二人が理性を呑まれたのは、そんな老いぼれた地下室を見ての事ではない。
床に散らばった刃物と、いたる所に飛散した血、血、血。あらゆる手段を用いての解体は容易に想像出来る。被害者は何処ぞへ持ってかれたのか、運びの腰の指や骨の破片が考察の余地を与えてしまう。それは決して、思考停止を許さない。
密室に充満した血の臭いが現実逃避の足を奪う。直面以外の選択肢を決して許さない。俺達は事前に一度見ているのでまだ耐えられたが、二人は当然の帰結から嘔吐した。床にぶちまけられた血の池に吐瀉物が混じる、不思議とその光景は不愉快ではなかった。どうも人間が不愉快を感じる気持ちには上限があるらしい。最初から天井を叩いているので、後はどうなろうと同じなのだ。
二人が平静を取り戻すまで、地獄の様子を見て回る。奥にある竈には、まだ人間の残骸が残っていた。さながら魔女が毒薬でも作る時のような大きさで、掻き回す棒は専用の物だろうか。足元のカセットコンロからして温めようとした試みが窺える。中は覗きたくない。あらぬ方向に折れ、溶けた指が見えているので十分だ。
「………………酷い」
嫌悪感を露わに、巫女は吐き捨てる。こんな血も涙もない人間達が自分を犠牲にまた生き延びようとしていたのだと思うと、彼女の気持ちは計り知れない。ただ確実に言えるのは、お祭りの時と同じ状態だったら今度こそ皆殺しにするだろうという事。
「………………もう大丈夫だ。うっぷ。俺達が……こうしてる間に何か見つけたか?」
「これと言って特には……澪雨はどうだ?」
「一応…………壺があるけど…………」
「何ですって!」
血相を変えた壱夏は場所を聞くなり壺に向かって一直線。俺達が止める暇もなく、懐に隠し持っていたハンマーで壺を叩き壊した。
「え! 何してんだ?」
「壊すのよ壺を! そうすればこのクソみたいな夜は終わるって言われたの!」
「言い方は乱暴だがそう言われたのは事実だ。俺達は壺のありそうな場所を回って破壊してる。せっかく掴んだ糸口を逃す訳ないだろ。お前らは違うのか?」
「違う。俺達はまだ何の糸口も見つけてない……それ、ディースが言ったのか? それともネエネ?」
「順番に話そうか。あーつっても、大半は無意味な時間だったけどな」
サクモは語る。壺を破壊してハイになりつつある壱夏を宥めながら。
「修学旅行に行けなかった奴が大勢連れてかれてな。勉強会とか何とか、教員から呼び出しかけられたら行かない訳にもなあ。平常点が低いのは事実だし。ただ、俺は何となく怪しいなって思ってバックれた。デスゲームの一件あるだろ。お前は知らないと思うが、最初は全滅してな。その時、一人暴れた奴が居るっつうか。まあアイツなんだが。デスゲーム中で余裕が無かったんだと思うが、変な事口走っててな。夜に外へ出た事が知れたらなんたらかんたら……耳がキンキンしてたんで細部は覚えてないんだが、それが理由だ」
「壱夏の方は? 平常点欲しいなら参加する……ってそうか。お前は仕組み知ってるんだったな」
「死にたくないから、当たり前でしょ!」
それで、二人は奇跡的に回避したと。デスゲームは記憶を消されてこことは何の関係もないと思っていたが、巡り巡って彼の命を救う材料になるとは皮肉な話だ。
「ただ生徒名簿を持ってるんだろうな。俺等、血眼になって探し回られたよ。成り行きで協力する事になったけど、本当にきつかった。だってこんな事になるとまでは予想出来ねえよ。家に帰れないし、そういう準備もしてない。マージで危なくて、図書館に逃げ込んだんだっけな。そしたらディースさんとたまたま会って、助けてくれたんだ。見ず知らず……じゃないのか。一応」
「私と面識があるものね。声を掛けて来たのは向こうからだけど、助けてくれるなら何でも良かったわ。最初は隠れ場所を提供してくれるだけだったけど、夜になってから急に空が赤くなって。そしたら彼女、血相変えて事情を説明してくれたのよ」
「どのくらいだ?」
「どのくらいと言われても難しいな。お前達の今までと、蟲毒って奴の事。町内会が何をしようとしてるかとかその辺かな。これが全部なら全部だ」
モノカゲヒトの事は伏せているなんて、どうかしている。だけれど、『特異』は知られてはならないのかもしれない。俺達はきっかけとなった人物で、特に俺は狙われているから仕方なかったのか。
やっぱり釈然としない。
それなら俺達と話した時も同じ目標を与えてくれる筈だ。何故方針を丸投げしたのか。モノカゲヒトについて知っているかどうかという事なら教えればいい。失敗すればみんな死ぬのだろう。ネエネ以外は。
結論から言うと、それは早とちりだった。
「それで、一旦外に出てどうしようかってなってる時に七愛凛が現れてな」
「「え」」
何故そこで、凛。
現れたという事は、タイミング的にはエレベーターに乗る直前だ。
「修学旅行に行ってるって事で、怪しまなかったのか?」
「行ってるとは言うけど、澪雨が行方不明だったろ。だから名前だけ行かせたって話を聞いて納得したんだよ。それで、アイツが言ったんだ。神社の時に見かけた六つの壺。全部壊せば呪いは終わるって」
「ああ!?」
「な、なんだよ。嘘は言わねえって」
「そうじゃなくて! なーにしれっと嘘吐いてんだ! 俺達が神社に入った時、壺は一つしかなかった。そんで、一つは俺が割った! 壺があるとすれば全部で五つだし! 嘘ばっかり! 騙されてるぞお前等!」
「何を根拠にアイツが嘘言ってるって分かんの。合理的な話じゃない。呪いの原因が壺だから、壺を壊せばいい。ほら、正しい」
「~! くそ、何処から説明すりゃいいんだ」
モノカゲヒトについて知らないと、これは説明出来ない。大体アレについて知らないという事は、ディースは俺が解放した事を伏せたという事でもある。どれだけ特異は一般公開を嫌うんだか。
『なんにせよ、完全なる解呪は不都合だ。それをしようとすれば全力で妨害してくるだろう。町内会に力を貸してでもね。アレが望むのは無造作な破壊、不完全な解呪。ともあれ自分を夜の闇へと連れ去ってくれる不吉な黒馬の王子様だ』
力押しは駄目だと言った。ネエネでそれが駄目ならサクモ達がオーケーという道理はない。凛は間違った情報を与えて二人を動かした。それの意味する所は、つまり?
「ねえ長幸。もしかしてアイツが言ってた偽物って……こいつらの事じゃないの?」
「…………何でお前はそうやって、素直に口に出すんだ。それを見極めてる所だったのに」
「なっ…………」
間違った情報と、確かな悪意。
基準がないから、騙される。
ディースに続いて狙ったように現れて、一見合理的な理由を与えてくれたというだけで、無意識に刻まれた正しさの天秤。彼らはきっと凛をディースの仲間だと思っているのだろう。全ての事情を知った矢先に目的を与えてくれたのだから、そう思うのも無理はない。
歪んだ基準から生み出される判断の偏り。アンカリング効果。販売戦略に使われるそれは、悪用されれば洗脳にも使える。
切り替え素早く金鎚を構える壱夏を制止し、飽くまでサクモは話し合いを望んでいた。尤も、彼我の間にある距離が全てを表している。
「まあ。お前が偽物でも本物でも何でもいいさ。俺はお前に負い目があるし、こんな所で殺したくない。偽物かどうかは呪いが終わればはっきりするしな。だから今はお互い、離れた方が良いと思う。不干渉を貫いて行こう。俺も偽物には干渉されたくないし、お前達からすれば勘違いかもしれないが、それで俺達に殺されるのは御免だろ」
「ちょっと、それでいいの!? 殺せば邪魔は入らないわよ!」
「お前ちょっと黙れ。悠には負い目があるんだよ俺は。武器持ってる訳でもないし、有利な交渉だろ」
「……分かった。心強い味方かと思ってただけに、残念だけど」
「それは俺もそう思う。本物だったら後で土下座でも何でもするけどな。どっちでもいいから教えてくれよ、他に壺は見てないか?」
「教える訳ないだろ! 残り一つだったらそれを聞いて終わりじゃないか!」
「ほら、やっぱり偽物!」
「気が早すぎる。教えてくれないならそれでいいんだ。俺達はまたいつも通りに戻るだけ。早く終わらせないと……死ぬし」
そう言って、二人は階段を上って行ってしまった。彼が一段目に踏み出した直後、何かがポケットから零れて床の血だまりに沈み込んだ。
「あ、おい!」
落とし物を届けようと走り出す。階段を見上げると、親友は悲しそうな目で俺を見て頭を振った。
「それ以上は近づかないでくれ。お互いの為にも、な」
ああ。
距離にして数段。少し歩いて手を伸ばせば届く距離が、こんなに遠く感じるなんて。二人が地上に姿を消すまで、立ち尽くす事しか出来ない。二人して地下室に取り残されると、横から澪雨が割り込んできて落とし物を拾い上げた。
「これ、何?」
彼女が拾い上げたのは、目の形をした紅い石。今は血に濡れているが、何処かのパーツだろうか。何故サクモがこんな物を持っていて、しかも落としたのかは検討もつかない。ただ、百足の印が入っているのは、決して偶然ではないだろうと思わせてくれた。
――――――くれたんだよな。多分。
前向きにそう考えておく。
自分たちの目的は壺の破壊で、それ以外はあり得ないから。それを否定するならこれはお前が持っているべきだと。きっとそう考えて渡してくれたのだと思おう。サクモはそういう奴だ。
ただし、何処で使うかは分からない。
「……一度、ディースの家に戻るか」
「血の足跡をこすりつけて、狂気の地下室を後にする。澪雨が付いていない事に気が付いて、振り返った。
「どうした?」
「なんか、似てる」
「似てるって、何が」
「惹姫様の、目に」
まさかそんな筈は、と、血で濡れた目の石をライトで照らしてみる。暗く輝くその瞳こそ、確かにそれは、姫様と似通っていた。