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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
蟲毒 夜明けの詩

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居ない

 書類の中身は親が子に対して向ける愛情、もとい成長記録とは程遠い。ここには木ノ比良澪雨が巫女としておかしい変化を遂げている事を嘆く文章しか記されていない。文脈からして巫女としての教育は四歳から始まるらしいが、


『澪雨は疑問の絶えない子供だ。本を読める段階になく従順だが、巫女に不要な感性が育っている。会議で議題に挙げるべきか、悩む。真雨を助ける為の子供だ、役立たずであってもらっては困る。もし議題に挙げるとなった時に資料として、この記録を残す』


 彼女の父親は澪雨の変化に随分早くから気づいていたらしい。月別で様子の記録がされているが、特に顕著なのは年を重ねた直後の記録だ。


『他の子と遊びたいと言ってきた。澪雨が、巫女の務めよりも遊ぶのを優先するなんて信じられない。これまで巫女の務めは大切で、誇らしいのだと教えて来た。真雨からも言って聞かせてある。巫女としての役目には、それ以外の考えは必要ないのに』


『洋服を買いたいなんて、いよいよ私達の子供はどうしてしまったんだ。何か、おかしい。悪い影響を与えてる奴が居る。これは取り上げるべきだ。私にも真雨にも手が付けられない。ああ、可哀そうな澪雨、いつかこの調子で自分の事を知ってしまったら。辛いだけなのに』


『殺して、新しい巫女を育てるという案が出た。しかしもう真雨に無理はさせたくない。彼女は八人も生んだ。これ以上負担をかけさせたら死んでしまう。町内のジジイにはそんな事分からないか。自分が生き残る為にわざわざ子供を殺さなくちゃいけない辛さを、私は知ってる。出産の度に苦しい声をあげて、泣いて、せっかく産んだ子供を生贄にするなんてどうかしてるんだと思う。だけど』


『澪雨の事が分からない。真雨は自分と同じ育て方をしていると言っている。なのにどうしてこんな、情緒が豊かなんだ。駄目だ。こんなの辛いだけだ。私達は全部あの子に押し付けようとしてるのに、そんなに人間らしかったら一番困るのは澪雨なんだ。こうなったら澪雨にも良い相手を見つけてもらって、子供を……だが、今の澪雨にそれが出来るとは思えない。真雨と話し合おう。町内会には内緒で』


『澪雨には死んでもらわないといけないらしい。そんなのあんまりだって思うのは傲慢か。元々そのつもりで子作りしたのに。でも、じゃあ何で。私達は何処で教育を間違えた。巫女なんてただの人柱だ。人形っぽくあってくれるなら、私だって心置きなく犠牲に出来るのに。澪雨に感情を教えたのは、誰だ』


 書かれているのは苦悩、憐憫、自己満足。或いはその答え。

 巫女なんてただの人柱と、その一言に全てが詰まっている。最初に会った時、澪雨は言っていた。二人は自分を愛してくれているが、自由だけは考慮してくれない。彼女は何も間違っていない。確かに両親は澪雨を愛していた。人柱だとしても、感情を知って辛くなるだけだと思って。それが元々の目的に外れた傲慢な憐憫だと分かっていても。やっぱり愛していた。それでも一線は超えられなかった。

 最期の文章は、こんな言葉で締めくくられている。



『もしも澪雨が役目を放棄するなら、その時はその時だと思おう。誰が吹き込んだか、澪雨は日に日に巫女としての在り方に疑問を持つようになった。ここまで成長したなら、もう今更代えられない。だから、せめて何かの間違いでこれを見てしまったら。餞別に地下室の鍵を送ろうと思う。これがバレたら殺されるかな、でも、罪悪感に潰されるよりはいい。パスワードはあの子が生まれた日にしよう。特別感はないかな。巫女の継承は決まって、同じ日に行われるから』



 何処までも、自分の為の贖罪でしかない。これで澪雨に対する行いがチャラになる訳でもなければ、許される様な所業でもない。それでも父親は、最初で最後のプレゼントを残していたのだ。いつか送る日が来る事を、それで自分が罰せられる事を願って。

「……澪雨、お前が巫女の継承した日って?」

「…………ゲン担ぎで一月一日って七愛が言ってた。じゃあパスワードは〇一〇一?」

「……こんな所に置かれても分からねえよ」

 情緒もへったくれもなく破壊してしまった。青年会の人物に鍵が渡されていたのを見るに、故人の彼は父親にとって信頼出来る人物だったのだろう。それか単に鍵を分割して渡していれば防犯上は完璧という思惑か。

 これが地下室の鍵という事が判明した今、行かない理由はない。何かの間違いで戻ってくるという事もあるだろう。部屋を出ようと思ったが、その前に澪雨だ。

「澪雨。お前今、何を考えてる?」

 両親の真意を知った彼女の気持ちは、俺には分からない。だから変に空気を読むような事はせずに率直に。彼女は頭を振って、にこっと笑って見せた。

「ううん。別に。何でもない。地下に行こう、日方」

 

 静かに流れる涙。俺は見て見ぬ振りをするように背中を向ける。


「そうか」

 立ち入る理由はない。これは彼女だけの問題だ。

 どんなに悲しくても、俺には理解する事も叶わない。ならば最初から干渉しない方が良い。


 知らなければ、良かった。


 知らなければ幸福が続く。いつだって同じだ。

























 地下室の扉を開けると、カビみたいな臭いが鼻孔を擽った。いつになく清潔だった屋敷と比べるとあまりに古めかしい。一階の書庫と同じようにここにも本が並べられているが、そのどれもが虫食い状態で、ベタベタしていて、気味が悪い。本を開こうとすれば血でページがくっついている事もザラだ。 

 そして、神社に安置されていたであろう壺の一つが、部屋の隅に佇んでいる。黒々しい液体を側面に流した壺は、近寄りがたい空気と臭いを発している。

「ここ、タイトルはないけど中身を見た感じだと蟲毒と巫女の事について書かれてるな。手分けして役立ちそうな本を探そう…………って澪雨?」

 彼女は、両手をぎゅっと胸で抱えるようにして震えていた。

 そんな彼女の手をゆっくり引きはがして、繋ぐ。指輪を見せるように、上から覆いかぶせて。

「辛いか?」

「…………少し、怖くて。何か、知っちゃいけない事を知ってしまいそう。今までの常識とか全部、なくなりそうで」

「…………大丈夫だ。俺が居る。俺だけは居なくならないから、安心してくれ」

 夜明けを迎えるその時まで、俺は彼女と夜更かしを続ける。

 そう決めたからには覆らない。俺は俺の、やりたい事を。失敗すれば何もかも終わるのだから。



「ね、ねえ日方…………き、キスしても、い、い?」



「………………ああ、いいよ」

 これが失敗すれば俺は遠からず死ぬし、澪雨も姫様との契約で後数時間の命だ。最早拒否する理由は何処にもない。どうせコイツから踏み出してくる事は無いだろうと思って、俺の方から唇を重ねた。

 雪解けのように、先が触れたかどうかも分からない様な口づけ。

 澪雨はかあっと頬を染めて、そっぽを向いた。

「も、もう大丈夫! 大丈夫だから……さ、さがそ。ね!」

 俺も恥ずかしかったので、自然な流れで話題が移るなら是非もなかった。探す事五分。書庫と比べると無意味な書物は実に少ない。だが姫様から聞いた情報もあるので選別は可能だ。蟲毒の材料とか、その由来とかはどうでもいい。

 絶対に女の子を生む方法も、感情抑制論も、洗脳教育についても必要ない。大事なのは蟲毒の始まりと、その流れ。及び木ノ比良の真の歴史。

 カビと湿気でぼろぼろになった椅子に澪雨を座らせて、ランタンに火を点ける。どうせなら一緒に読もうと思ったが、一部書物は古すぎる文字のせいでいまいち読み取れない。そこは澪雨に翻訳してもらうとして、最初の本を要約するとこんな感じだった。



『木ノ比良家の栄華は蟲毒をきっかけに始まった。初めの蟲毒は人身御供に近く、身寄りのない子や女を酒に酔わせ、バラバラに切り崩した身体を壺に収めて祠に収めていた。身寄りがないと言ってもその身を案じる人が現れてきたので、私達は犠牲となるべき女子を『姫』と呼び、一夜の宴にて担ぎ

上げる事で数々の不作や災害を乗り越えて来た』


「…………やけに詳しいと思ってたが、惹姫様はこの時代の人間だろうな。巫女じゃないのに事情に詳しいと思ったんだ」

「日方、どれくらい知ってるの?」

「少しだけな。蟲毒の作り方なんかは聞いたよ。お前も薄々察してるんじゃないのか? お母さんが子供を産んでるのにお前は一人っ子だ。それで十分だろ」

「…………」

「……ごめん」

 次の本を読もう。


『潮目が変わったのは、、終戦から少し経っての事になる。戦災により祠が破壊され、どうしようもなくなったという頃、村長の一族は自らを木ノ比良と名乗り、最後に引き取った女の子供を生贄とし、それを神と祀る事で人々の悩みを解決するようになった。他ならぬその女こそが木ノ比良汐雨このひらしお。彼女は子を産み、それを壺に溜め、自らと繋いだ。そして自らを巫女と名乗り、人々に信仰を求めた』


 次の本を、読み進めていく。


『巫女としての適性を高める為の研究には余念がない。巫女の信仰が盤石となり無知な信仰者も増えだした折に、村長は命じて資料を集めさせた。『姫』の時代は無理やりにでも生贄としていたが、それでは今後上手くいかない。汐雨のように気高い心を持った巫女が何度も生まれるとも考えられない。幸い、時間は腐るほどあった。病にも怪我にもならないお陰で、どんな無茶も許された』


 次の本。


『汐雨が死んだ。身体に異常はなかったのに、最後は身体から噴き出した蟲に喰われて身体も残らなかった。死ぬ間際まで身体に異常はなかったのに。どうも巫女は短命らしい。蟲毒はやり直しになったが、空白期間に今まで避けて来たものが全部降りかかってきた。あんなに居た住民が気づけば数百人。これはまずい。今度こそ壊れないようにしないと』


 次の。


『巫女が孕んだ呪いを還さないと大変な事になる。長い年月の末にその結論に至った。だから巫女には複数の子供を産んでもらわないといけない。昔とは違う。昔は危ない時期だけを凌げれば多少の不幸はどうにでもなったが。もう手遅れだ。続けないと、今度は全滅する。戻れない、やめられない。死にたくないなら生きるしかない。生きる為には殺すしかない』


 次。


『木ノ比良家の絡んだ話は必ず成功する。地主として、権力者としての成功を収める事が出来たのも偏に巫女のお陰。これからも蟲毒は続けなければいけない。世間知らずで、物知らず。あるがままを聞いて受け入れる、水のような巫女。恵みの雨のように私達を幸せにしておくれ』



 ………………………………読み終わった。



「…………おい。おかしいだろ」

 そして、致命的な矛盾は、確信に変わる。疑念などなかった言葉が、その全てがおかしかったのだと納得している。

「日方? どうかしたの? 確かに蟲毒の経緯の変化はおかしいけど」

「そうじゃない。何処にもないのがおかしいんだ」

「え?」

 いや、しかし。

 納得は出来る。


 だから彼女の父親も、気が付かなかったのか。


「七愛の家が何処にも絡んでこない。代々仕えてきてるなら、一回くらい登場してもいいだろ」

「あっ……」




















「アイツ、誰なんだよ」



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