破滅を呼びし救世主
蟲は屋内には沸いておらず、無人という事なら歩き回っても問題あるまい。どうせ地下室は開かないだろうと踏んで、澪雨には上を見に行ってもらう事にした。俺はというと集会所の方へ足を運び、薄暗闇の中を頼りないライトと共に歩いている。
「…………う」
間もなく、己の選択を後悔した。
何の臭いもしないなら油断だってする。緊張感がどうという問題ではなくて、中に夥しい数の死体があると判明したなら不意の一つも突かれるという単純な理屈だ。
連結された長机によって大きな空間は川の字に仕切られている。死体はそんな常識は何処吹く風と、机に寝そべり、或いは引っかかって蓄積している。死屍累々の山々は、音もなく動き回るハエの様な蟲に着々と食べ進められていた。
臭いはないと言ったが、条件反射で鼻をつまんで足を踏み入れる。畳の確かな感触に反して時々滑るのは血だろう。食い荒らされた顔ぶれからして、彼らは町内会の下部組織である青年会の人間だ。
死因は蟲による失血死と言いたいがそうはいかない。蟲毒とは呪いであり、呪いの起源は無病息災や安全祈願と言った平穏や健康に纏わる願い。死体を観察してみると、胸から肺にかけて穴が開いていたり、顔の半分が焼き爛れていたりと様々だ。
或いはこれが、回避したかった不幸の清算なのか。
「―――ん?」
頼りないライトでも、科学的な性質を示す物体に対してはきちんと反応もする。何かがキラリと光ったのを見逃さなかった。小さな躊躇いを呑み込んで死体に向かって手を伸ばす。それは指輪だったが、親指につけているのが気になった。引っ張ろうとして、ブチッと妙な音がする。
「あ」
骨は腐りきっていた。俺の手に握られているのは百足の印が彫り込まれた指輪と―――ついでに持ってきた死体の指。外そうとしてもぴったりくっついてどうにもならないので、もうこのまま持っていく事にした。
――単なる指輪なら放っておいたんだけどな。
百足が居るとなると、見過ごせない。もしかしたら何か重要な情報を握っているかもと。そんな希望的観測一つで指を引っこ抜いた。部屋の隅から隅まで見渡した訳ではないが、居るだけで気持ち悪くなりそうな場所に長居する理由もない。用が出来たら行けばいいだけなので、集会所を後にする。
「次は……」
トイレを見るよりも、書庫だ。鍵が掛かっているなら諦めたが、やはり他の場所で言う所の図書館的な役割があるのだろう。人の出入りは当然と思うように開放されており、立ちはだかる障害はない。
しかしいざ中に入ると図書館というよりは図書室だ。こぢんまりとした部屋に無数の棚が置かれて隙間もないくらいびっしりと本が詰められている。ここまで収蔵されているなら部屋が小さいなんてあり得ないのだが、そういう印象を持つのは事実だ。囲まれているというか、閉じ込められているというか。
凄く窮屈で、息苦しい。
座って読むスペースも設けられていないので、一般公開はされていても気軽に利用されていたかどうかは疑問の余地がある。漫画や一般小説は期待出来ない。目を凝らしてタイトルを覗いたが、そのどれもがこの町の歴史を語る書物ばかりだ。更に言えば、この本は手作りである。出版社を介した本は見当たらない。ありとあらゆる本がこの町に関する何かを綴っている。
「期待するぞ……流石に」
この町と言えば蟲毒だ。情報が眠っていてもおかしくはない。試しに一冊手に取って、開いてみる。
『木ノ比良家はおよそ一〇〇年前からこの地を治めた一族であり、遡るなら五〇〇年以上前からこの地を愛し続けた誇り高き一族である。その初代当主であった木ノ比良 助は信仰深さ故に土地神の声が聞こえると専らの噂であった。荒れ果てた土地を田に治し、貧しき人々に職と家を与えたのは紛れもなく彼の功績だった。彼は何百年と先もこの地が栄えるようにと~』
駄目だ、この本は木ノ比良家がこの土地をどれだけ愛し、貢献したかについてしか書かれていない。蟲毒の事は存在外とばかりに言及されておらず、全ては初代をはじめとした当主たちの辣腕によってなされてきたのだとされている。人はこういうのを美談と言うのか、と思った。自分達に都合が良すぎる歴史を、よくもまあ堂々とこんな場所に置けた物だ。
すると手作りなのもそういう事か。その隣にあった本はこの土地に伝わる料理の事。他県に伝わる郷土料理は、ここで生まれた料理によって編み出されたとか、そんなの。やはりというか、町内会の集会所に隣接しているだけあって、彼らを賢人として崇められるような内容に仕上がっている。
曰く、あらゆる界隈に顔が利く男。
曰く、風を読み、明日を知る男。
曰く、一を聞いて十を教えられる男。
日常的に利用されないのは当然の定めか。偏向捏造も甚だしい。未来に負債を押し付けてただ生き永らえただけの老人なんて老害以外のなんと言い表すのだ。その他の本には期待するだけ無駄だと表紙が物語っている。俺はこの町の表の歴史なんかに興味はない。あるのは蟲毒関連の事か、もしくは巫女の事でも良い。一つでも情報があれば澪雨を喜ばせられる。
今までの情報、益体がない。
「あれも駄目これも駄目……ゴミみたいだな」
独り言だって出るさ、と自虐気味。死体がないのは大いに結構だが収穫もないのは話が違う。目を皿にして探したつもりだが、『蟲毒』も『巫女』も全く出てこないのはおかしな話だ。この町の中核はその二つに分類される。しかも『巫女』に至っては大々的に祭り上げているのに、なんだこの徹底的な隠し方は。
一冊一冊などとせこい事はいわず、一ページずつ見れば違うのかもしれないが時間が掛かり過ぎる。肩を落としながら玄関に戻ると、いつの間にか澪雨が階段に座って俺を待っていた。
「何かあったのか?」
「あったけど、日方を待った方がいいかなって思ったの。置いてくのも、何か違うじゃん。そっちは何か見つけた?」
「あー見つけたかもしれないし見つけてないかもしれない」
「え?」
「いや、何でも。どっちかっていうと期待値はお前の方が高かったんだ。上に行こう。何を見つけた?」
今度は澪雨に手を引かれて階段を上る。居住スペースとだけあって踊り場を超えた途端、内装に生活感が生まれた。木目がそのまま剥き出しになっていた壁は白くなり、天井は子供でもあやすように星空の絵が描きこまれている。
人の趣味にとやかく言うつもりはないが、普通の家とは呼べない。壁には歴代巫女の遺書が飾られており、そのどれもが誇らしく、満足そうな最期を書き遺している。額縁に入っているので順番が分かりやすいものの、六代前から空白が続いていた。
『死にたくなかったのだナ。健在の内に引き継がせたのであろうヨ。儂もここ数十年は巫女を食べてはおらぬナ』
今は沈黙を貫く姫様の言葉が蘇る。そういう事なら、神社にあった六つの部屋、その全てに安置されていた筈の壺は…………それら全ての負債は澪雨に押し付けられていたという事になる。必然、一重の蟲毒どころではなく、彼女は六重に呪いを背負っている。
「…………先にお前の部屋入ってもいいか?」
「え、いいけど。何もないよ?」
どうしても気になる。
示された扉を開けて中を見ると、全面鏡張りの部屋が俺の視線を受け止めて、返してきた。
「………………ッ」
ガラス張りの机、ベッド、おもちゃ、箪笥。およそ色と呼べる物が存在しない。学校から配られた教科書やら鞄、或いは制服だけがまともな色彩を持っている。このガラスが透過して、外から見えるという訳ではないだろうが、これでは本当に虫籠みたいだ。網で捕まえた虫を中に入れて、観察しているみたいじゃないか。
「私の部屋、何も無いでしょ?」
「……ああ、何もないな。もういいよ、行こうか」
「―――変なの」
分かり切っていた事だが、巫女は異常な教育を施されている。惹姫様の話によると正常な流れでは最終的に巫女も壺の中へと還るらしいが、その遺言がどれもこれも前向きで、洗脳されているとしか思えない。
とすると、見えてきた。一階の書庫は一般人が閲覧する物じゃない。あれは巫女を洗脳教育する為に町内会が手ずから製作したのだろうと。それなら内容がどんなにつまらなくても納得だ。硝子の部屋で感性を制御された巫女様は、服に湯を通すが如く簡単に染まり、間違った価値観に浸かっていく。
「なあ澪雨、変な事聞くみたいだけど、一階の書庫って使った事あるか?」
「うん、お父様が沢山持ってきて、巫女としてのお勉強として読みなさいって言われたよ。でも七愛が読む必要なんかないって言って没収しちゃった。巫女としての務めは、こんな本を読まなくても果たせるって」
「それ、怒られないのか?」
「私も怒られないか心配だったんだけど……七愛がなんかしたのかな。特に何も言われなかったの。だからいいのかなって」
そうだ。おかしいのは澪雨の価値観。あんな本を読んでいるならもっと木ノ比良万歳な発言が飛び出してもおかしくないのに、何故温厚で無垢な性格になったのか。その答えは実に簡単だった。凛が止めていたのだ。
ますますアイツの事が分からなくなってきた。何がしたい? 何が目的だ? アイツは澪雨の護衛。つまり彼女が巫女の務めを果たさないのは不本意な筈だが……。
それとも。
『澪雨の護衛』ではなくて。
『澪雨の』護衛なのか?
色々考えを巡らせている内に身体が侵入したのは彼女の父親の書斎だ。幾つも鍵が掛かっている場所がある。机の引き出しだけでなく、小さな木箱にはダイヤル錠が三つもついていた。これを誰にも見られず開けるというのは難しい。確かに今のタイミングじゃないとどうにもならない。
「つーか何で誰も居ないんだ? ここに重要な秘密があるなら立てこもってそうなもんだけど」
「それなんだけど。さっきまでは居たみたいなんだ。多分、私達があっちのホテルに居た時か、ディースさんの家で話を聞いてた時には。か、確証はないんだよ? ただ入った瞬間、なんか変な映像が浮かんできてね」
それは視線の主に向かって彼女の父親が金切り声をあげながら逃げ回るという奇妙なイメージだったそうな。最後はこの部屋に追い詰められた所でイメージは終わったらしい。成程、だから床には血を踏んだ確かな足跡があると。
「…………あ、見て見て日方! やっぱり夢なんかじゃないと思うんだ。ほら、このハンマー! 私がその映像で持ってた!」
澪雨はベッドの下から得意げに金鎚を取り出して俺に渡してくる。こんな物を渡されてもどうにもならない。鍵を壊せるかもしれないが下手な事をしてそもそもの開錠が出来なくなったら俺には責任が取れない。
「あ」
何事にも例外はある。金鎚を受け取って木箱を机に置くと、その上部に向かって力任せに叩き付ける。
バンッ!
「つっ!」
「何してんの!?」
「鍵があるなら壊せばいいだろ! これくらいは壊せる筈だ! ちょ、無意識に加減したかも。澪雨、離れてろ危ないから!」
「……離れない! 二人でやるんでしょ! だったら私、貴方をサポートするんだからッ」
なんて強情を言われても、危ないものは危ない。妥協案で背中に隠れてもらって、もう一撃。木片が飛び散るかもしれないと思うとどうしても加減してしまう。
「澪雨、怪我したら治療頼めるか」
「任せてっ」
目を瞑って、両手に金鎚を握り締める。事前に位置を確認してから、大上段で振りかぶって渾身の一撃を叩き込んだ。
木端に砕け散った箱の天井はあらゆる方向に飛散するも、奇跡的に俺が怪我をする様な事にはならなかった。後になって中身を潰してしまった可能性に気づいたものの、後の祭り。恐る恐る中身を見ると、詰め込まれていた綿が溢れ出して机に漏れている所だった。
その奥底には、鍵が一本眠っていた。ゲームの例えで申し訳ないが、牢屋の鍵なんかがこんな見た目をしている。時代錯誤な古鍵が、どうしてここに。試しに書斎全てに試そうとしたが、わざわざ差し込むまでもなく形は合わなかった。
ただし、死体の中で見つけた指輪は別だ。鍵穴と呼ぶには円形に繰り抜かれただけの引き出しがあって、最初は何かと思ったが丁度この指輪が入るのではないか。
差し出して、頼み込む。
「澪雨、この指処理してくれ」
「え、ええええええ! ちょ、やだ。なにこれ……ゆ、指。え? ま、マジでえ?」
「マジでって初めて聞いたな。大マジだから頼む」
「…………【食べて】」
蟲が中に入ってこないなら澪雨も、と思ったがそれは杞憂だったようだ。綺麗さっぱり骨肉を失い、金属だけになった指輪を押すようにはめ込んでみる。爪でひっかけようとしても届かないくらいぴったり沈み込むと鍵の開く音がして、引き出しに自由が利くようになった。
中には、何枚かの書類。
タイトルは『木ノ比良澪雨の変化』と書かれている。




