こんな血の瞬く夜に
方針として取っ散らかるのは良くないと思うので、一先ず話を纏めてみる。
蟲毒の解呪をすればその恩恵に与っていた多くの人間が報いを受ける前提の下で、俺達は完全なる解呪を目指す必要がある。その理由は蟲毒の中に紛れた『モノカゲヒト』を外に出さない為。ネエネの力押しには頼れない。
元巫女たる澪雨でも蟲毒の全容については何も知らず、俺も彼女の記憶やお姫様から断片的に掴んだだけでそれを把握しているとは言わない。もし完全な解呪を目指すなら木ノ比良家への侵入及び町内会との全面戦争が予想される。
また、これはモノカゲヒトにとっても都合が悪いので、こそこそ隠れていただけの今までとは違ってより直接的に俺達を狙ってくるだろう。アレを倒さない事には俺につけられた痕……怪異毒も消えず、仮にこの場をどうにかしたとしても、俺は死ぬらしい。蟲毒の完全なる解呪でモノカゲヒトが死んでも死ぬ間際の悪あがきとして俺だけが相打ちを貰う可能性がある。そうならない為には、惹姫様の協力が必要不可欠だそうな。
「澪雨。姫様は?」
「それが……反応しないの」
「困った困った。僕の勘が外れているだけならまだ良いよ、単にこの場で笑われるだけだからね。ただ当たっていたら面倒だ。君達にやってほしい事があるのに喋らない、喋れないという事だからね。理解ある彼君もこればかりは口にしてもらわないと解決出来ない。一先ずそれは置いておこう。これは情報共有、僕の方からも聞かせて欲しいな。君達の知ってる情報を」
「あー……凛が消えた。敵とは思えないんだけど、何でだろう? 夜更かしは終わりみたいな事言ってて」
澪雨の様子を窺いながら、俺はその質問を口にする。敵であってほしくない。言葉にしなかっただけでその意図は多分に含まれている。俺も澪雨もアイツが呆れるくらい真面目な奴で、意味のない行動は取らないのを分かっている。口にしないだけで思惑がある。これまで散々隠し事をしていたが、今回はそれの集大成であってほしい。
分かっている、願望なのを。だけれどアイツが敵であるなら―――つまり町内会サイドならホテルの時点で俺達を殺せた筈だ。
「何とも言えないな……それこそ木ノ比良家の資料を漁ってみれば判明するかもね。幸い、この町で生き残っているのは僕達ばかりじゃない。もしまだ無事なようなら、合流するのもいいかもね」
「誰なんですか?」
「鮫島壱夏と左雲長幸」
「………………!」
「左雲君は日方の友達だったよね?」
「壱夏も一応友達って事でいい。何だ…………生きててよかったよ。俺はもう、とっくに」
「いや、あながち間違いとも言えない。その二人は元々組んでしぶとく生き残ってただけだ。修学旅行に行けなかった人々は……見る?」
この時が来てしまったかと、ディースは珈琲を飲み干して、机に付属した棚からパソコンを引っ張り出した。気が進まないんだけどなあー、なんて独り言を呟きながら慣れた動きでマウスを滑らせていく。澪雨は気になって覗いているが、まだ見せたくない物は出現していない。何故見せたくないかは知らないが、それなら彼女の反応はもっと嫌悪的でなければ。
「何を見せたいんだ?」
「ちょっと待ってね……一応、僕は優しいからさ。心の準備をさせてあげよう。エチケット袋でも何でも用意してくれたまえ。巫女様もだよ」
「え?」
澪雨はきょとんとして、俺に視線で説明を求めた。そんな眼をされても俺にだってちんぷんかんぷんだ。ただ不穏な響きに何の対処もしないのは危機感がなさすぎる。これから死地へ赴こうという時に、何を平和ボケしているのか。素直に台所にあった袋を用意すると、ディースは満足そうに頷いている。
「賢明だ。こっちも準備が出来た。じゃあ見ようか」
「動画ですか」
「画質は問題ないよ」
再生する直前、澪雨が俺の手を握った。それは故意か否か。いずれにせよ―――
隠しカメラと呼ぶには生々しい視点。無骨な地下室の中で、男女が固まっている。長らく使用に恵まれなかった地下室は、穴だらけの木格子と罅割れた石壁で部屋を分けて人々を収容している。形が歪んで閉じなくなった扉が本当にその役目を果たせているかは疑問だが、両手足を拘束されている彼らには関係のない事だ。
顔の半分から血を流した老人の指示で数人の女子が何処ぞへと連れていかれる。意識は明瞭でも己の事情は把握していないようだ。戸惑いの声が連なって聞こえる。
生徒、だよな。
制服で判別するなら、彼らはどう見たって高校の生徒。そして修学旅行に参加出来なかった生徒だろう。臨場感と呼ぶにはあまりに現実的なカメラは断頭台よろしく縄を引かれて歩かされる彼らを追跡する。
外に出た。臓腑の色が混ざった薄昏い空は、これから起きる事を暗示しているのだろうか。そう邪推してしまうのもおかしくないくらい、この映像からは不穏な匂いしかしてこない。
足元はおろか、建物の壁に至るまで蟲がうじゃうじゃと湧きたてている。お祭りの時もそうだったが、ここまで大規模に表面を隠されるとこの場所が何処なのかが判断しにくい。階段を上って一際大きな家が直ぐに見えたので、澪雨の家の……敷地内?
「澪雨、ここはお前の家か?」
「そうだと思うけど……でもあんな地下室なかったと思う……」
「町の構造が変わったのかもな」
と言って、おかしな事に気が付いた。
「ムシカゴって夜には効力が無くなってる筈じゃ……道が変わってるの、何でだ?」
どちらかに聞いたつもりで、その答えはどちらからも得られない。俺も、質問の答えなど期待していなかった。映像はそれどころではなく大変な事が起きている。俺達は揃って耳を塞いで目を細めた。
死体こそ暴力だというのなら、これはそんな生易しい言葉で表現できた惨状ではない。麻酔もなければ了解もなく、ただ無造作に引き千切られる両手足と首。カメラ越しにも聞くに堪えない醜い声だ、豚だってもう少し綺麗な声を出す。肉の擦り切れた、血を混ぜ潰した断末魔は理性を超越して本能を震わせる。処刑待ちの列においては、誰も逃げ出そうとしない。
否、逃げ出せない。
俺には、彼らを責めるような恥知らずな行いは出来ない。誰だって足が竦むだろう。こんな光景を間近で見せられて、もうすぐお前の番だと言われたら。死体はやっぱり見慣れるべきじゃないし、見慣れる日なんて訪れやしない。死体の数だけ無数の死因がある。その全てに慣れろというのは、殺人鬼でもない限りは酷な話だ。
「うお………………無理。もういいいいいいいいいいい。おえええ……うぶ」
目を逸らして、パソコンを押しのけて、もう十分だ。吐き気をギリギリ抑えるので精一杯。この際手段は選んでいられないと、澪雨の水着を思い出して誤魔化す作戦に出たが失敗した。その程度で上書き出来るイメージならここまでキツくない。
―――想像以上の惨事には、備えなど幾らあっても無意味だった。
澪雨の手を強く握り返す。彼女の手は、震えてはいなかった。慌てて視線を彼女に戻すと、伏し目がちになって虚空を見つめている。
「澪雨。大丈夫か?」
「…………………………うん。本当、最低だね。そんなに生きてたいんだ。誰か、殺してまで」
「おお。凄いブーメランだ」
「ディース!」
「事実だよ。それにブーメランだから何だ。客観的にどちらの言い分が正しいかを決めたらそいつの勝ちになるのかな? ブーメラン大いに結構、どちらさんも生きたくて必死なだけだ。対等な命の奪い合いこそ自然に適っているよ。尤も―――過去の負債は消えてない。この期に及んで負債を貯め続ける醜さに関しては、同意するよ」
パソコンを閉じて、彼は立ちながら大きく伸びをした。
「蟲毒の壺をこれ以上作ったって、本当に一時しのぎにしかなるまいよ。結局今の巫女様が割を食うだけ。何処まで行っても呪いは呪いか。誰か一人が貧乏くじを引く本質は変わらないんだねえ」
「ディース。夜中に町の構造が変わるのって、蟲毒のせいか?」
「…………多分」
「多分って……ここまで来て急に自信なさげですね」
「夜に構造が変わるのは『モノカゲヒト』がここに入る前からだ。効力を失うというのは語弊があったかな、蟲毒自体は終わってないけどその効果だけ無くなってる……あんまし間違ってないか。そして無くなってるのは加護の方で籠の方は健在だ。巫女様の他に蟲毒に干渉出来る人間がいるなら……例えば先代巫女なんかは可能性があるよね。うん。それなら自然だと思う」
「お母様……」
「それで何の話だったかな。左雲君と鮫島ちゃんの事か。二人とはついさっきまで連絡を取ってたが、今は駄目だね。合流するつもりなら公園の方を探しに行くといい。方針は任せる。僕は全面的にバックアップだ。実働部隊は君達二人とお姉ちゃん。ただお姉ちゃんの方は考えるまでもなく、『モノカゲヒト』が何においても警戒しているだろうから―――単独行動なんて馬鹿な真似はしないで、仲良くね」
「大丈夫。分かってる」
ムカデの指輪を天井に向けて翳す。貰った時は趣味が悪いと思っていたが、長い間付けていると流石に愛着もわいてくる。二人はポカンと俺の腕を見て、怪訝そうに瞬きをした。
「蟲毒を終わらせるんだ。俺と、お前と、凛の三人で。そういう約束をしただろ。もう単独行動なんてする意味がない。今度は三人で―――最後までやろう」
「…………日方。うん、うんっ。絶対終わらせよう! 私達が生き残る為に!」
掲げた手を取って、澪雨が緊張の解れた緩い表情で笑いかけてくる。生きる希望を得たと。そんな大げさな事を言わんばかりに、その瞳は輝いている。
ただの殺し合いに美しい理由は必要ないと思うが、蟲毒の恩恵に与って来た奴等に人殺しと罵られる筋合いだけはないだろう。俺はただ生きたいだけ。澪雨を―――自由にしたいだけ。
これ以上、多の犠牲になんてならなくて済むように。籠の中の鳥を逃がすように。
最期の夜更かしになるのなら、思いっきり悪い事をしてやらないと。




