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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
蟲毒 夜明けの詩

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『組織』と『虚食』と『生命体』

「珈琲飲む?」

 健全なる精神は健全なる肉体に宿る。果たしてそれが正しいなら、荒れ果てたリビングは心の余裕をそのまま表しているとも言えるのではないか。遮光カーテンが敷かれ、万が一にも景色が見えないよう、ガムテープで封鎖されている。二階に続く階段は少し埃を被っていたのが不思議だったが、リビングに布団が敷かれているのを見ると納得だ。まだ起きたばかりだったのか布団は乱雑に剥かれたまま放り出されている。机の上には大量の資料と傍目にはガラクタにしか見えないラジオが一つ。澪雨は落ち着かなそうにそわそわして、クッションが積まれたソファに腰を下ろす。

「いい。それより話を」

「まあそう言うなよ。僕の為だと思って一杯だけでも付き合ってくれ。本当、呑気に旅行してる間にずっと大変だったんだぞ」

 はやる気持ちをあしらわれ、強引にコーヒーブレイクへと持ち込まれる。僕が挽いただの厳選しただの、恐らくコーヒーに関連した自慢だか蘊蓄だかが聞こえているが、興味がないので右から左、何を言っているのかさっぱりだ。澪雨が真面目に聞いているならあんまり茶化す気にもなれない。配られたマグカップに手を付けて、一口。


 ―――あ、美味しいかも。


 これにあまり縁はないし好んで飲もうともしていないが、不思議とこれは美味しく感じた。美味く説明出来ない。苦いのに美味いが語彙の限界だ。ディースも一口を舌で転がして、満足そうに飲み下す。

「……ああ、少しは落ち着いた。じゃあまあ、僕たちの組織の任務から話そうかな。と言っても特異の監視だ。今は特に『虚食生命体モノカゲヒト』の監視になる」

「……そのモノカゲヒトってのは……」

「あの影だよ澪雨。って言ってもお前は見た事あったっけか? 俺がお前に壺を開けろと言われて、それで出て来た奴……でいんだよな?」

「それでいいよ。前提として僕達は蟲毒の存在を把握していた。いや……失礼。順序がおかしいか。そうだな……組織の話を少ししようか。特異とはこの世界に生じたあり得ざる性質を持った生物、物質を指した総称だ。厳密な定義は決まっていないが、現実に反した性質が一つでも確認出来るならそれは特異になる」

「えっと……澪雨がちんぷんかんぷんっぽいから俺が質問するけど」

「どうぞ」

「現実に反したっていうのはどうやって調べるんだ? 例えば俺、別に科学知識が全部頭の中に入ってる訳じゃないけど。なんだっけ、窒素から食べ物作る……みたいな奴。まあこれは多分調べれば分かるとは思うんだけど、それが科学に反してないって断言するには、ちょっととんでもない知識量が必要だと思うんだが」

 科学と言うには語弊がある。より厳密には物理法則なのが、ニュアンスとしてはやはり変わらない。人間は神様なんかではなく、物理法則を知ってもその全てを明かすのは難しい。全知全能がこの手にあるというなら幽霊の有無など議論にもならないし、科学を信じるも信じないもないだろう。

 確かに、とディースは白々しく手槌を打ったが、やっぱりその疑問に対する答えは持っていた。

「君の言う通りだが、物理法則なんてのも大概曖昧だからな。我々は空気中に漂う粒子なんぞ見えていないし、観測するにも特別な手段を必要とする。僕達の組織が管理する特異は多くの人から見て不条理、不合理的なモノなんだよ。そしてこれらの多くは主に非世界からの漂流物―――向こう側の秩序で生まれた物体だ。時に、君のお姉ちゃんから聞いたが、『ヒキヒメサマ』を語る不届きな物体があったそうじゃないか」

「何それ?」

「お前達は諸事情で来なかったから知らなくてもしょうがない。椎が夜更かし同盟に参加する事になったきっかけだな。なんか……上手く説明出来ないけど、なんかおかしかったよな。クラスが全体的に……ってほら、お前だけなんか爪弾きにされてたけど思い出せよ! 担任がおかしくなった事があっただろ!」

「あ、あれの事なの?」

「いや、おかしいとは思ってたんだよ。口なしさんも神社の事も飽くまで夜の事だから昼に不特定多数に影響が出るとは思ってなかった。特異の仕業なら…………納得は出来る」

 怪異の仕業と言っても限度があるだろうという思いは過去の物で、当時の俺は知らなさ過ぎた。ここが非世界と交わり、非現実を構築しつつあった世界などとどうやって把握出来るだろう。不遡及の原則に基づいて昔の俺を嘲りはしないが、そうと分かる事が出来たならもっと何か違う方法もあったかもしれない。

 可能性の話は好きだ。後悔はしてしまっても、そこには同じビジョンがある。『それが出来ないのなら』、『それが出来た時の未来』を、『それが出来ない状態で』どう行う。行動方針の整理に役立つ。

「偽物様の方は、予言を聞かせて人の信用を得た所で支配する『モドキガミ』だ。ああ、これは僕達の中では一般名称。あれはちょっと科学的じゃないんだが言葉を介して感染する病原菌みたいな感じで捉えてくれ。だから予言を聞かせる―――聞いて、受け入れるという行為がそいつの種を許可したと、勝手に解釈するんだ。無力化方法は本来面倒なんだが、君のお姉ちゃんが居ると取り敢えず力押しで解決する」

「流石ネエネ」

「そんな感じで、沢山の変な物体を管理するのが僕達の組織なんだが……おや、巫女様。何か言いたい事があるなら仰ってはいかがでしょうか」

 ちんぷんかんぷんだろうと敢えて見逃していたが、視線を向けるとそれは杞憂だった。彼女は口ごもって、何かを言いたそうに、しきりに視線を投げていた。俺と目が合って、気まずくなる。

 一方的に。俺が。

「あ、はい。じゃあ気になったんだけど―――管理出来てないよな。この町にあるって事は管理どころか、追い立てるのも精一杯って感じに見える」

「痛い所を突いてくるな。半分正解で半分不正解と言った所だ。だけど悪いのはこっちだ。まさかモノカゲヒトが逃げ出した時についでに同じ特異を連れ出したとか想定出来る訳ないし。特に『モドキガミ』なんか、そもそもの条件を満たさないと活動期に入らない―――言い訳がましく聞こえるだろうが、追い立てたまでは良いが、そこから先に進む事が出来なくなったんだよ。『モノカゲヒト』にはね」

「それはまた、どうして?」

「大前提を話しておこう。特異とマジで殺し合うならユウシン君のお姉ちゃんが居ればまず負けない。暴力で解決出来るならそれに越した事はないよ。善悪の定義よりも前に、力はハッキリしているから。だがお姉ちゃんから逃げたくて、奴は蟲毒の壺の中に逃げ込んだ。それが本当に最悪。知っての通りだが、蟲毒によって生まれたムシカゴは、非世界と現実とをごちゃごちゃにしてくれている。外の世界は非世界だし、また現実と言ってもいい。日中はそれもいいだろうが、問題はムシカゴ自体が効力を失う夜にある。何で外に出ちゃいけないかって、そりゃ夜は夜。普通の外と変わらないからだよ。でもそれが非常に問題」

「……?」





「モノカゲヒトは影に潜む特異。夜なんかに潜られちゃ見つかりっこないんだ」





 そう言われてようやく、得心に至る。専門知識こそ持たない俺でも、文脈及びその言い方から言わんとする事は理解出来た。蟲毒が続いている限り正にここは檻の中。蟲毒の壺の中に隠れたならその姿は当然蟲毒の中で完結する。幾ら夜が普通の夜でも、蟲毒の壺を隠れ場所とした以上、蟲毒が及ばなければ干渉も出来ない。

 ムシカゴは人々を腐らせた極上の加護であり、特異の横暴を抑え込む籠でもあったのだ。

 蟲毒の籠を力任せに破るのは、刑務所の鉄格子を壊すような物。蟲毒の壁が隔てていた普通の世界と繋がってしまえば『モノカゲヒト』は幾らでも潜伏し放題になる。ディースはそれが嫌だと言っているのだ。

 これまで何度かアレとは出会ってきたが、最初に会った時もたまたま死ななかっただけだと思うし、二度目は惹姫様の介入がなければ椎乃諸共死んでいた。それは絶対に覆らないし、ネエネも特異は基本的に敵対的だと言っていた。ならば猶更、アレから敵意を見出さない理由がない。

 例えるなら無差別殺人鬼だ。絶対に捕まらない殺人鬼が堂々と活動場所を広げながら殺人を繰り返すと、そんな横暴が許されていいものだろうか。単なる善悪の問題というだけでなく、警察の信用や治安維持の側面にも響いてくる。ディースの組織が秘密組織なら、その存在が公になるリスクも孕んでいるか。

 果たして澪雨も同じ考えに至ったかは不明だが、間抜けな声と共に頷いていた。

「あれ? じゃあ何で、日方のお姉さんは私にどうしたいかって聞いたんだろ。終わらせたら都合が悪いのに」

「今や蟲毒に溶け合っているんだ。完全な方法で解呪出来るなら奴も一緒に死ぬって考えたんだろうね。尤も―――これは僕が言う事でもないのだけれど、蟲毒を終わらせるという事はこの町の歴史を終わらせる事。先送りにされたあらゆる損失を埋め合わせる、帳尻合わせの時間だ。それを避けたくて多くの人間が君達に歯向かう筈。町内会は特に容赦してくれない。君達が帰ってくるまで僕は偵察に徹していたけど、あれはもう駄目だ。誰が何人死んでも存続の為に存続する痴呆の集まり。完全なる解呪の為にはあの家に入る必要があるだろうが、歓迎はされないだろう」


 それでも。

  行かないと。

   だって。


    澪雨が死んでしまうから。


「……俺達は澪雨の家に行けばいいのか?」

「おい、まだ話は終わってない。お終いまで聞けよ。それとこれとは話が別、何事も一枚岩ではないというかね」

「は?」

「蟲毒の方はそれでいいとしても、君の方の問題は解決していない。『モノカゲヒト』から干渉を受けて怪異毒に命を狙われている。それが今の君だ。今までは君のお姉ちゃんが怪異を狩って抑えてきたが、それは対症療法に過ぎない。元を断たなきゃ何処かで皺寄せがくる。仮にこの場を切り抜けても、新しい場所で怪異に狙われて死亡とか、あるからね?」

 脅しているつもりはない、とディースは珈琲に口をつける。事実を言ったまでだ、と離れた口が緩やかに告げた。


 ―――何で俺なんかに。


 その答えは己の過ちが示している。壺を割ったから。そしてたまたま近くに居たからだ。澪雨の印と俺の印と凛の印は違う物。俺には俺の、定めがある。

「でも、同じ事でしょう。壺の中に居るアイツを解呪して倒せば消えるんだから」

「何故最後の抵抗をしないと決めつけられるのか。そもそも怪異だって、この町には本来殆ど存在してなかったんだ。活動してなかったと言った方が正確かな」

「そうなのか?」

 視線の先には木ノ比良の娘。しかし首を振って、私は知らないの一点張り。ディースは嘆息して、憐れむように微笑んだ。

「まあ怪異の人的被害は比率にして数パーセント、そう馬鹿に出来たもんじゃないからね。ムシカゴで消される災いに含まれていたんだろう。活性化させたのはやはりアレという事になる、君を遠くからずっと見てた彼女の所感じゃ、『影』に気に入られてるとも言われてたね」

「俺が!? 何で……」

 それもやっぱり、壺を割ったから?

「なんにせよ、完全なる解呪は不都合だ。それをしようとすれば全力で妨害してくるだろう。町内会に力を貸してでもね。アレが望むのは無造作な破壊、不完全な解呪。ともあれ自分を夜の闇へと連れ去ってくれる不吉な黒馬の王子様だ。町を蠢く蟲の何割かは息がかかってると思ってもいいよ。実際、うちの職員も何人かやられちゃった。最悪」

「日方の呪いは、どうすれば解けるんですか! 教えてください!」

 ディースの方も薄情な人間だとは思わないが、仮にもこの町の上位者であった澪雨に頭を下げられてあしらう訳にもいかない。凄みさえ感じていたようで、顔をあげるよう催促する顔には狼狽が隠しきれていない。

 仕切り直す様に咳払い。また一口。

「別に、簡単だよ。捕まえて無力化すればいい。殺害はお姉ちゃんにしか出来ないから。ただ捕まえる為には色々下準備が必要でね。特に大事なのは……惹姫様の協力」

 カップが机に置かれると、凪いでいた表面がぐるりと揺れて、掻き混ざる。情報提供を惜しまない彼の姿勢には、徹底抗戦の意思が感じられた。人間、やろうと思えばどんな事も出来る。そんな、根拠のない信用を秘めて。







「蟲毒が始まる前、この地一帯の怪異を収めていたのは彼女だとされている。君達に憑いているなら話は早いと思ったが、力だけ貸しているならとんだぬか喜びだ。きっとその子には最期に叶えたい願いがある。聞いてほしいんだろう。これは男の…………いや、霊媒師としての勘かな」 

 




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