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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
蜈ュ陝イ縲?ホ」ホ釆」

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145/157

そして、夜更かしの終わり

 

「……………………」

 下降は終わり、知らず知らず問題も解決した。不気味なほど静かな暗闇の中で、里々子の顔だけが照らされる。

「………………ちが」

 

 冷ややかな軋みをあげてエレベーターが開く。口を開けた暗闇は脱落者を食らおうとするかの様に伽藍洞で、際限がない。弁明の余地なしと元カノの首を引っ張って暗闇の中へと引きずり込む。

「や、やだ、やだ! やめて! やめてよ! 私『核』じゃないよ!」

「そうか。良かったな」

「いやああああああ! こゆるちゃん助けて! やだ! こいつが偽物! だってえええばあああああああ!」

 さて、背中を向けているので二人の反応は分からない。適当な所で里々子を放すと、彼女は尻餅をついたまま俺を見上げていた。 

「いや、良かったよ」

「…………え?」

「お前が『核』で良かった。幾ら嫌いな奴でも殺すのはどうかと思ってたんだ。でもお前が偽物なら丁度いいか。殺しても何の悔いも残らない。本物とはもう会わないだろうしな」

 殺すと言っても手段は選びたい。付け焼刃の護身は緊張の無駄だと思って何か凶器の様な物体は持ち合わせていない。そう思っていたのに、なぜかポケットにナイフが入っていた。

「お」

 撲殺よりは殺しやすい。撲殺も、拳か足でやるとなると時間がかかるだろう。初めてやるとしてもそれくらいは分かる。

「まままま、まままってえ! 私違うの! ね、ほんとに殺すの待って! 違う、私……うううぐすっ! ふうううううう違うううううううう!」

「…………じゃあ何でそれを知ってる?」

 里々子は驚くくらいあっさりと全容を語ってくれた。やっぱり口が軽いのは何処でも信じられない。


・ホテルに辿り着いた時に不思議な声に取引を持ち掛けられた。

・悠心以外の全員を殺せれば、悠心が戻ってくる。

・それが出来なければ


「………………ければ?」

「し、死ぬ」

 刃物をしまうには十分すぎる理由だった。俺が殺さなくても勝手に死ぬという事だったらそれで良い。やっぱり人を殺すのは気分が悪いし、何よりコイツを殺すと今後はより殺す選択肢が具体的になってきそうで怖い。蟲毒を終わらせるならこんな価値観は今後一切使わない方が良いに決まってる。

 所詮俺は半端者。人でなしの自覚はあるが、手は汚したくない。殺したくはないが、死んでほしくないとは言わない。


 ―――ああ、俺もおかしくなったんだな。


 澪雨への無信仰と引き換えに、俺は夜の秩序に染まった。人が簡単に死に、現実と違うルールの中で生まれる異常。晒され続けた理性が侵食されて明確におかしくなっている。

「…………そうか。お前、死ぬんだな」

「み、みんな殺せば助かる……よ?」

「……」

 助けるつもりなんてないのを、言葉に表せば嘘になりそうだ。見つめ続けて、言葉を選びたい訳じゃない。ただ俺は、里々子に思い知れと願っているだけ。いつまでも自分の都合通りにはいかない。

 俺はもう、束縛されるのはごめんだ。彼氏っぽくない振る舞いの全てを拒絶する奴より、ありのままの俺を受け入れてくれる奴の方が好きになるだろう。まあ、恋愛観の問題だ。

「………………悠心。こわ、怖いよ! い、いつからそんな風になっちゃったの!?」




「……里々子。別れよう」




 終わったと思っていた。

 里々子の中では始まってすらいなかった恋を、終わらせる時だ。こいつは心の底から話が通じないが、じゃあこいつの論理に則って話をしてやればどうだろう。俺tこいつはまだ恋人だと。正当な手続きなど自由恋愛の前には不要だが、敢えてその綱引きに参加する。

 俺の中でもきっちり、整理を付けないと。

「え?」

「そうだよな。別れ話をしないで行方を眩ませたんだ。お前が錯乱するのも当然だ。だけど別れよう。もう見ての通りお前と付き合ってた頃の俺じゃない。価値観が合わない。このまま交際しててもお互いいい事なんてないさ」

「な……待って! 私、悠心の為に来たんだよ? 悠心と別れたら私……」

「…………」

 何処までも、自分の事。

 嘘でも俺に対する気遣いが出来ないのは、ここまで来ると美徳だ。自信がある証拠。自我を頼りとしているからこうなる。自立した女性は大好きだが、自立しておきながら怠惰と承認欲求の為に弱さを演じる奴は嫌いだ。

「私、別れないからね! 恋人同士は同意しなきゃ何も起きないんだから!」

「そうか」

「そ、そうか……って」

「お前の返事なんて聞いてない。お前のその価値観も共有してない。ただ俺は、俺は自分の中で区切りたいんだよ。昔の俺と今の俺は違う。お前は昔の象徴だ」

 昔の俺は、何も知らなかった。あるがままを生きて、感じて、幸せだった。知らない事は罪じゃない。苦しくなるのが嫌なら無知のままで居るのも賢さだ。それの唯一の欠点は、決断できないという事。己が人生の責任を担うは自分で、その自分が決断しないというのは苦しいだけだ。不平不満を嘆いた所でやる事は流れに身を任せるだけ。


 今の俺は、知りたいと思っている。


 必死に生きて、考えて、辛さを感じる。無知のままが嫌で走り出した。。苦しみがあるならその苦しみから抜け出せはしないかともがいた。俺の人生には俺が付き物。そんな当たり前の道理において欠点は存在しない。そこも含めて己自身。不平不満を嘆くなら、その解決に奔走するのが筋だ。

「ああ―――お前とは二度と会いたくないって思ってたけど。会えて良かった。ずっとこうしたかったんだ。別れを告げない限りは恋人だもんな。一方的でも何でもさ」

 少なくとも。

 一度はそういう価値観で符合した。

「…………やだ」

 昔の俺を切り捨てる。それは飽くまで俺の糧。決してこれから先、ポケットマネーの如く潜ませる事はない。それは里々子にとって繋がりを失うのと同義。彼女は今の俺を好きになっているみたいだが、繋がりを得たのは昔の俺。

 過去がなければ未来もない。当たり前の、時系列。

「やだ…………………捨てないで、悠心」

 もう一度里々子の身体を掴んで暗闇を突き進む。背中から俺を呼ぶ声も聞こえたが今は振り返らない。奥へ進んでいく足取りが重いのは、まだ悩んでいるからだ。俺が見捨てれば里々子は死ぬだろう。そういう条件でこの非世界に足を踏み入れたのなら。

「やだああああああああああああああああああああああああああああああ! やめてええええええええええええええ!」

 だが。それでも。



 澪雨の為に蟲毒を終わらせると決めたのなら。



 俺はこんな所で、まともじゃいられない。

 突き当りは硝子の扉だった。蹴りで無造作に押し開けて前を懐中電灯で照らす―――よりも先に、部屋に充満する匂いには、覚えがあった。

「………………椎! 晴!」

 何故それを見分ける瞳があったのか。己の視力が恨めしい。見渡す限りの血、血、血、血。両者が水着姿というのを踏まえても、身体の至る所に見える傷は生けた花の様に噴き出して、被写体を彩っている。

 単なる死体というだけでもきついのに、親しい仲にあった二人の、そんな姿は。全身の力を打ち消し嘔吐させるには十分だった。

「うおおおえ…………ぐ、うぇ」

 むせかえる赤い空気にクラクラする。目頭が不思議と熱くなってきて、こめかみはネジで掘り進められているみたいに響いて痛い。里々子から手を離し、殆ど四つん這いのまま二人に近づく。互いの手にはナイフが握られており、素人目にもこれは同士討ちをした結果だと分かる。あんなに綺麗だった水着も、両者共に赤く、醜く―――冷たくなっている。

「……どういう事だよ」

「どういう事なんだよ姫様ああああああああああああ!」

 晴は現実として、まだ理解出来る。無知であるが故に危険に晒されただけの話だ。だが椎乃は、こいつはおかしい。だって彼女は惹姫様と契約していて、姫様は居場所を把握していたから…………死ぬ筈が。

「ああ―――ああ――――――」

 理解は追い付かないし、追いつく事はない。俺には二人が死んだ事実が、嘘であって欲しいと願いながら、この未知を以て現実だと言われている様だ。『非世界』があるなら『二人の死』もあるだろう。

 だろうってなんだ。二人は死んでなんかない。二人は。二人が知らない間に死んでいたなんて、そんな事があっていい訳ない!

「――――――――」

 背後から遠ざかっていく足音、扉の閉まる音と、女性の泣き喚く声。精神的な膠着状態など知る由もなく、状況は刻一刻と変化している。身体は動かない。ただ漠然と二人の死に顔を見て止まっている。

 ふと、椎の胸ポケットで光る携帯が目に入った。手を伸ばして取ろうとすると、忽ち服が赤に染まる。これでは俺の腕からも出血した様だ。血で濡れないように気をつけて、指先で摘まみ上げた。不用心にも開きっぱなしで、画面をスライドさせて履歴を覗くと、一番最初はカメラとなっている。それに入り直すと、起動したモードはビデオ。右下には写真フォルダの最新画が乗っており、それも画面は真っ暗だ。

 今度はフォルダを開いて確認すると、二分程のビデオ。音量を上げて、再生する。






『あ…………ユージン? 『核』さ……晴ちゃんだったわ……』

 弱弱しい、声。時々喘ぐような声が混じるのは、手遅れになった後に起動したという事か。

『……お姫様には……ね。私の方から、ぐ。守るのはやめてって言ったんだ。私は……もう、いいからさ。蟲毒、終わらせるん、でしょ。お姫様……澪雨の所に、行かせて。る。どうやって出るか。知らないけど……! 早く出て。終わらせて、やりな』

「…………椎」

 沈黙。だがビデオはまだ続いている。息遣いは聞こえるのでまだ彼女は生きている。ビデオ越しに、或いは過去と対面する様に、まだ『ここ』のアイツは生きている。

 残り二〇秒。

「……嘘。ほんとは、死にたくない! 死にたく……ないよ。ぉ。わた、し、まだアンタと、を、諦めて、なんか。好きだから! 好きなの! 大好き、だから―――」

 残り五秒。




「――――――死なないで。夜を超えて、生きて」


























「シン」

 それはどのくらい時間が経ったのだろう。三分かもしれないし、三〇時間かもしれない。ここでは時間の概念が曖昧で、俺が何を考えていたかも今は不明瞭だ。振り返ると、懐中電灯の光が眩しい。壁に大きな穴を開けてネエネが佇んでいた。

「ネエネ」

「………………」

 ネエネはカツカツとブーツを鳴らしながら近づいてくる。俺はただその抱擁を受け入れた。言葉のない慟哭を、大好きなネエネは一身で受け止めてくれた。

「…………………………何で、ここに」

「一度『惹姫様』が戻ってきてね、私に『非世界』の概要を教えてくれた。そうしたら違和感があったんだ。統一性がないって事に」

「…………統一性」

「シンと初めて行ったあの場所は下水道。怪物にゆかりはないけれど、周辺環境は下水道に沿った物しかなかったでしょ。エレベーターは非世界共通の代物だから例外ね。話を聞けば生きた風船、突風、ハサミ、食人性の暗闇と意思を持つ扉。場所が『ホテル』にしては結構不自然だよね。それを聞いて私も急いで他の非世界からこっちにアクセスしてきた。住人の力を借りたりもしたけど、その過程でやっぱり確信したよ。ここ、ホテルが『質感非世界』になってるんじゃない。君達学生の信仰心を元手に、『非世界』が構築されただけだ」

 顔をあげて首を傾げる。ネエネが何を言っているのか俺にはさっぱりだった。

「意味が分からない。どういう事?」

 ネエンは困った様に首を傾げて露骨に悩んで見せる。

「んー。『核』は生存者の擬態って言ったよね。それはやっぱり正しくて、厳密には違った。生きている人間全員が怪しいというより、君達修学旅行に来たメンバーだけが怪しいんだよ。信仰心をトリガーに引き寄せられた『非世界』は、その秩序を町に委ねてる。つまり巫女だ。もしホテルを箱庭として『非世界』が造られたなら、もっと統一性がある筈。だけどこのバラバラさはあり得ない。巫女の力でどこぞの非世界と繋がって、素材を順次継ぎ足してるとしか思えないんだ」

 やっぱりちんぷんかんぷんなのをネエネは察した様子で俺の頭を撫でる。

「そうだな……マーキングみたいな感じ。ムシカゴはあの町にしか広がっていないけど、巫女様への強い信仰を持つ者にのみこの限りじゃないみたいな」

「…………じゃあ巫女は、町の方に居るって事?」

「町の方に居る可能性が高いし、主体が『ホテル』じゃないなら『核』もない。あるのは『核』の擬態。信仰心が由来という事は、当然だけど蟲毒も絡んでる。だから蟲毒を終わらせない事にはこの非世界も崩れない」

「……………………」



「…………………………………そう」



 ネエネの横を通り過ぎて、来た道を戻る。足元に何か肉っぽい物がぶつかったのでそれを超えて歩き続ける。エレベーターはまだ開いており、澪雨とこゆるちゃんが怪訝そうな顔で俺の様子を見ていた。

「ひ、日方。顔色悪いけど…………何があったの。何かあの子の泣き声が聞こえて、急に静かになったと思ったら凛がやってきて」

「―――は、凛?」

「う、うん」

「七愛凛はなんて言ったんだ?」

 気づけばネエネがエレベーターの壁を透過して横に並んでいた。澪雨は多少驚きつつも、自分でも呑み込めていない様な言葉を口にする。



「―――――――――」



 それを聞いた全員、特にネエネは俺を中に引っ張ると、エレベーターのボタンを押して下降した。

「……成程、奴がクロだったか。『核』ではないのは確かにしろ、何か重要な位置に居るのは間違いないらしい」

「……刈絵さん。何処に」

「私は制覇者だ。非世界の入り口なんぞ何処にでも作り出せる。シンには実感が沸くと思うけど、ここのエレベーターとあの町のエレベーターを繋いだ。次に扉が開けば、そこはもう見慣れた夜だろうさ。そんな事言ったんだ。覚悟を決めないとならない。きっと奴は蟲毒を終わらせるとお前達が宣言した時から、こうする事を決めていたんじゃないか? その答えが欲しかったんだと言わんばかりに」

「七愛が…………裏切ったって。事?」

「いや、俺は違うと思ってる。裏切ったならあんな事言わないだろ。付き合いは短くてもアイツの性格は大体分かる。きっと俺達に何か…………これは、男の勘だけどさ。終わらせるとまで言った蟲毒の全てを、知って欲しいんじゃないか?」

 アイツはいつだって澪雨の為に動いていた。それは過去からも読み取れる通り、アイツは澪雨と幼馴染と呼んで差し支えない程の時間を過ごした。果たしてその関係を捨ててまでやりたい事。アイツの行動軸に沿うのなら、これくらいしか考えられない。









 




『夜更かしは今日でお終い。ほんと、愉しかったよ澪雨』


 

次回、最終章です。

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