死出の旅路は一人きり
突然周りが暗くなったかと思ったら、誰かが叫んだ。私も最初机の下に隠れようとしたけど、それはどう考えても間違った対処だって華子に引っ張られた。それで……なんかはぐれた。私の最初の認識はそんなモン。だって良く分からないし。
けど違和感は合った。誰も明かりをつけてないのにやたら的確に逃げる足音とか、半狂乱になってる奴もいたのに誰にもぶつからなかったこととか。その違和感はいうなれば後になって発覚するタイプの露骨なおかしさであって、逃げてる最中はちっともそんな事は思わなかった。
―――UFOどころじゃない、危ない状況なのは分かってたわ。
夜更かし同盟に加わってから変な目に沢山遭って来た。他の人と違ってまだまともに頭が動いたのは私が夜更かしをしていたお陰だ。晴ちゃんとたまたま合流出来たのもそのお陰なんて言えたりするのかな。良い事ばかりじゃないのは分かってる。
ホテルには沢山の死体があった。
絨毯が捲りあがったかと思うとそのまま私を助けようとしてくれた三年生が食べられたし。
「助けを呼べた!」と喜んで部屋から出て行った一年生は遂に戻ってこなかった。
直接無残な光景を見せられた訳じゃなくても、そこに死を実感すれば人間の身体は恐怖を刻まれる。私がまだ強気で居られるのは晴ちゃんを不安にさせない先輩の意地と―――私に取り憑いてるお姫のお陰。ホテルの暗闇に潜むのが怪物だとするなら、あの子はそんな怪物を知る姫、もしくは賢者。
誰に聞こえなくても―――一般的には幻覚と呼ばれる助言さえ、私には傍に居てくれている様な気がして嬉しかった。
「日方先輩、何処に居るんでしょうか。心配です」
「ユージンなら大丈夫だよ。アイツ、運が良いから」
「運が良い……ですか?」
「そ。詳しくは教えないけど、運良すぎだから。知りたかったら本人に聞きなさい」
アイツが夜に外出する事になった経緯は聞いた。冗談みたいな始まりだけど、ゲームがきっかけっていうのがアイツらしいっていうかなんて言うか。それから事細かに聞いた訳じゃないけど、町内会の人にバレずに外に出る行為がどれだけリスキーかはこの町に住んでる私が一番良く分かってる。万が一バレたら味方なんてまず生まれてくれない。確かにユージンはこっちに移ってきて一年の余所者だけど、誘われるまでは素直に従っていたんだから、恐ろしさくらい分かってる筈。
―――いや?
違う。私達が怖かったのは町内会の規則でもなく、社会的破滅でもなく、夜その物じゃないのか。怒られるから、暗いから、怖いから、用がないから、もう寝るから。理由は何でもいいとして、私達はただ『夜』を知らなかった。知ろうとしなかった。知る必要はないと思った。夜は夜で、私達にとっては外に出てはいけない時間でしかない。夜の何たるかを知らない。当たり前の様に遮光カーテンまで引いて、その暗闇さえ覗くのを拒んだ。
その夜に挑んでまだ生き残っている。これを運が良いと言わずになんて言えばいい。
「で、でもでも日方先輩に何度もメッセージ送ってるんですけど、やっぱり反応がないみたいで……!」
「どれどれ、貸してみ。…………あーと。晴ちゃん。もしこの画面から返事が来てもみなかった事にして」
「どうしてですか?」
「ネット繋がってないのにちゃんとメッセージが届いてるっぽいのはおかしいもの」
後輩の言う反応とは文字通り返事で、多分ユージンは今まで律儀に返していた。今更既読なんかで反応してくるとは思わない……まで邪推した。実際は知らない。私はアイツが好きなだけで、それ以上は何もない。何処まで行っても、ただの女友達なのだから。
「それに本物だったらこんな呑気にやり取りしてるとも考えにくいわね。行く当てもなく走ってる方がずっとそれっぽい」
事情を知らないままで居られたのは姫様が戻って来るまでの話。良く分からないけどどうやら惹姫様はホテルの暗闇とかに関係なく動き回れるみたいで、逐一私に情報を共有してくれた。そのお陰で私は自分でも驚くくらい、この状況について理解がある。『質感非世界』とか『核』とか詳しい説明は出来ないけど、とにかく私達は不思議な状態で閉じ込められていて、脱出する為に潜む偽物を殺さなくてはいけない。
ユージンはやるつもりだけど、今こそ私の出番だ。本当はもう少し一緒に居て馬鹿やりたかったけど、アイツが、澪雨が蟲毒を終わらせるって事なら、真っ先に犠牲となるべきは私。もし本当に蟲毒が終わるなら、どうせ私はそこで死ぬ。
『それで、いいのナ』
『ええ。それでいいわ。もう十分、生きたでしょ』
町と私は共同体。町の終わりが命の終わりならこれ以上は望まない。私はとっくに死んでいる。本当なら気持ちを伝える事も自覚する事も出来ないまま、惹姫様の餌にでもなっていた存在。生きている意味なんてものはない。私が生きていたのはかけがえのない友達の為。
日方悠心の為なら死ねる。
アイツは私の為に命を張ってくれたから。私もアイツの為に死にたい。ひょっとするとそれは、私の小さな独占欲だ。今更同盟の二人に勝てるとは思わない。同じ土俵で勝負しても、きっと勝てない。ずるい女だって自分でも思う。色々な意味でズルくて卑怯。
でもこれが、あの二人に出来なくて私に出来る最大の伝え方だ。
「所で晴ちゃんもはぐれた訳? 真っ先に逃げてたよね。確か」
「は、はい。私、大声で固まっちゃってたんですけど、同学年の子に引っ張られたんです。本当についさっきまで一緒だったんですよっ! トイレに行きたいって行って、扉の前で待ってたのにいつまで経っても出てこないから声を掛けたら居なくなってたんです!」
「はーそういうクチね。晴ちゃんや、私達はそうならないように、お互い目を離さない様にしましょう」
「それは、はい。でも…………」
手を繋いだまま、後ろに懐中電灯を向けて彼女の表情を窺う。どれだけ普段は明るくても、こういう状況だと露骨に不安さが分かるという、誰にとっても全く嬉しくないメリットが浮かび上がっていた。UFOとかビッグフットだとかそんな与太話で済めば楽しかったのに、私が隠してるだけでここは危険地帯だ。晴ちゃんも暗闇が怖いというよりはその中に居る『何か』に気づいているかのようにビクビクしている。
「なんか、落ち着いてますね緒切先輩。もしかしてこういうの、初めてじゃないんですか?」
「これが初めてじゃなかったら私だって真っ先に―――っていうか一人で逃げてるでしょ」
「逃げるんですか? 誰も助けないで?」
「いや~自分に出来る事以上はしないよ私。絶対警察呼んだ方が結果的に助けられるわ。それにほら、私も聖人じゃないし~水難事故じゃないけど、助けに行った結果死にましたとか嫌でしょ」
この監禁状態を水難事故と同列に語っていいかはちょっと分からない。でも前例がないという意味なら同列どころかこっちの方が危険かもしれない。確かに水難事故は無策で助けに行くと危険だけど、助け方というものはそれなりに知れ渡っている。で、これは?
「いやー、しっかし暗いわね。目の前に誰か居ても暗すぎて気づかなそ―――」
「来ました!」
びくっと、身体が跳ねたからって私は怖がりじゃない。いきなり大声を出されたら怖がりじゃなくてもこうなる。
「なになに! ちょっと大声さあ」
「日方先輩から返事が来たんです! ほら、これ!」
晴ちゃんが液晶画面を私の方に見せてくる。あんなに言ったのに返事が来たらこの嬉しそうな反応。今、凄く欲しい物をプレゼントされたみたいに、彼女の瞳はキラキラ輝いて、生気に満ちている。
―――やっぱアンタ、最低よ。
あんな事言うから、こんな顔するのよ。
「私の話聞いてた? 反応しちゃ駄目だってば」
「でも反応したんです! これ、これ見てください!」
「それでですね、悠心との出会いはほんっとに運命的だったんです!」
「へえ~素敵な恋をしてきたんですね」
「おい……」
もう止める気も起きないと言えば嘘になる。可能なら実力行使で口を塞いででも嘘を垂れ流すのはやめろと声高に叫びながらどこか狭い部屋にでも監禁して二度と視界に入らない―――頭の中がぐちゃぐちゃだ。実行手段が浮かび上がっては消えていく。自分でも何を言いたいのか良く分からないが、この状況はとにかく不愉快だという事が分かってもらえればそれでいい。こゆるちゃんが傍にいる事を加味しても不愉快が上回りつつあるこの状況。地獄と呼ぶに生ぬるい、何故ならこの場所こそが地獄だから。
また、更に複雑なのは緊張感のない里々子の惚け話によってある程度場の空気が穏やかになっている事だ。だから俺も強く責められない。こゆるちゃんがネエネの仲間なら俺の言う事も信じてくれると思っているが、ファンの話を遮る事も出来ないのか聞き役に徹している。
―――こいつ緊張感なさすぎだろ。
死体を見なかったにしても、光を吸収する暗闇は異常事態だ。なのに何故こいつはこんなに楽観的なのか。まさかと思うがこいつこそが偽物なのか。
「なあ里々子。お前何でここに居るんだ?」
「悠心が逃げるからでしょー! 探すの苦労したんだよ、彼女から逃げるなんて酷いよー」
「…………凛と付き合ってる話はしたんだけどな」
「そんな筈ない! 悠心は私が一番だって言ってくれたもん!」
「もう一番じゃない」
「悠心やっぱりおかしい! 昔はそんな事言う人じゃなかったのに!」
「喧嘩は駄目ですよ。それは一先ず、安全な場所に行ってからです」
「こゆるちゃーん! 彼氏が虐めるのー!」
「……………………お前なんか」
嫌いだよ。
お前が『核』であって欲しいと願うのは、間違っちゃいない筈だ。俺の事なんか少しも考えてくれなかった癖に、どうして俺なんかに付き纏うのだ。
「階段ですね。普通に下りられるでしょうか」
「え、え! どういう事ですか? 普通は降りたらエントランスですよね?」
「お前……どうやって俺を運んだんだよ」
「え、どういう事? 分かんないんだけど」
因みにこのいい加減な反応を開設すると、要するに『必死で助けたアピール』だ。無我夢中で助けたから何も覚えていないよ、私は理想の彼女だねと言いたい。深読みとかではなく、本当にそうなのだ。里々子と交際していたなら分かる。
「―――降りてみないと分からないですね。お二人はここで待っていて下さい。私が先に降ります」
「いや、こゆるちゃん。こいつを先に行かせた方がいい。なんか状況、呑み込めてないみたいだし」
「え?」
里々子の声に不安が灯る。こういう察する力は随分鍛えさせてもらった。何でも察して欲しい奴の彼氏をやってると、どうしても身についてしまう能力だ。
「悠心…………?」
「どう考えてもお気楽じゃいられない状況で呑気にされても困るんだよ。いいから先降りろ」
「そんな、酷いよ! 本当にどうしちゃったの。こういう時は悠心が先に行くべきだよ! ほら思い出して、彼氏としての振る舞い!」
「やだ。行かない」
「彼氏!」
「いーやーだー」
「私が行けって言ってるんだから行ってよこの役立たず!」
直後、腰を蹴る大きな力が身体を吹き飛ばし、宙に浮かせた。幾つもの階段が繋ぐ高低差は数メートルでも人間の体には致命的だ。
「あぐ…………!」
「悠心!」
ぱたぱたと階段を降りる足音。自分から突き落とした癖に、どうしてこいつはそんな心配そうに駆け寄れるのだ。俺にはその神経が分からないし、今後一切理解したくもならない。腰に致命的な傷が入ったとまでは言わないが、罅でも入ったかのように鋭く痛い。
「ぐ………ぁ………ぐう……!」
駆け寄ってきた里々子の手が傷の大元に触る。外傷かどうかは置いといて、指の腹が軽く滑るだけでも痛みは形を変えて俺の骨を抉ろうとする。最早声だけで痛みを逃がす事は叶わない。漏れた息すら針に縫われたようにぎこちない。
「私なしじゃ生きていけない癖にー生意気だぞ~?」
耳元で嘲笑混じりに囁く里々子。暗闇で互いの表情は遮られているが、愉快愉快と笑っているに違いない。
「な、何してるんですか!?」
「こゆるちゃん?」
「つ、突き落としといて……駄目ですよそんな事! お二人は恋人なんですよね! どうしてこんな……」
「こゆるちゃんはみんなのヒロインだから分かりませんよ。だって悠心が、私の言う事聞かないから」
「言う事聞かないからってこんなのあんまりです! やりすぎですよ……!」
「やりすぎなんて大袈裟ですよこゆるちゃんっ。ちょっと高い所から落ちただけですもん」
会話の最中、口論に夢中になっている様でこゆるちゃんは俺の口に何かを入れた。飴みたいな感触と味わいに何とか口を動かして嚥下すると、骨に響いていた痛みが次第に引いていく。
「…………里々子お前さ。マジで」
「お嬢様気分もいい加減にしろよ!」
恋の為に、俺は自らを優しい人間と定義した。尽くす人間と設定した。だから今の今まで、努めて暴力は振るわぬ様にと過ごしてきた。でも、駄目だ。こんな精神になったのも全部、こんなクソ女に惚れてしまったせいだ。誓いを破るには丁度いい。俺はたった今殺されかけた。
顔を殴る事の、何がいけない。
「――――――っ!」
腰の入った一撃が、暗闇の中に沈みこんだ。あんなに喚いていたら嫌でも顔の位置くらい把握出来る。
「本物のお嬢様ってのはなあ、お前みたいに我儘じゃないんだよ! お前みたいに傲慢じゃないんだよ! 俺はお前の彼氏じゃないし、お前の所有物でもない! もうお前のオーダーに応えるのはうんざりだ! ほら、暴力を振るう奴は最低だよ! 分かったらもう俺に関わるな! こんなクズには二度と近寄るな! それがお互いの為だ、なあおい! 何とか言えよ!」
勢いに任せて携帯のライトを起動して顔を照らす。
想像以上にクリティカルだった一撃に、里々子はきゅうと息を吐いて気絶していた。




