現実の恋、空想の『恋』
あれだけ探しても見つからなかったこゆるちゃんが目の前に居る。それもこの非現実な空間で。
怪しい。
喜びよりもまず先に出た感想はそれだ。怪しいというと里々子も怪しいのだが、アイツが俺をストーキングした結果ホテルに辿り着いてしまった可能性は全然考えられる。だがこゆるちゃんまでたまたま同じホテルに泊まっていたというのは妄想が過ぎる。
傷だらけの身体でも、意識を失う直前に比べたらマシになっている。身体を起こすと、そこはやっぱり暗い部屋のままだ。人が居ないだけで綺麗な部屋が多かった気もするが、ここはまた随分と散らかっている。
「こゆるちゃん…………何で?」
「何でか……何ででしょうね。私もこの状況について理解があればいいんですけど。むしろ聞きたいくらいです。お二人は何かご存じですか?」
「いいえ、何も知りません! 私は彼氏と一緒にここに来たばかりで……」
「……しれっと嘘を吐くな。俺とお前はもう終わったんだ。こゆるちゃんに変な認識を植え付けるんじゃない」
「え!」
驚いた様な顔―――否、心外か。里々子はどうも本当に俺と破局したとは思っていないらしい。それか、無かった事にしている。こゆるちゃんは俺達の間柄も結末も何も知らないから、これも痴話喧嘩に見えるのだろうか。
しかし抱きつこうとする彼女を俺は全力で止めている。傷だらけの身体は動くと痛みを思い出して、まるで破れたぬいぐるみを抱きしめたみたいに力が抜けていく。それでも拒絶はしておいた。諦める事はない。少なくとも俺は、何があっても里々子と関係を戻す事はない。
「彼女だよね?」
「違う」
「私、悠心を助けたんだよ? 彼女じゃなきゃ助けないよね?」
「それとこれとは話が別だ。助けてくれたのは有難う。でも俺とお前は、もう何の関係もない」
というか。
何故この状況でこんな不毛なやり取りをしなければいけないかという事だ。ここは非世界で、いつ命を失うかも分からない状況だ。全ての部屋が暗く、光を吸収し、またいつにも増して暑くなっている。あの町に住むなら夜の世界と言えばそれだけで説明がつくが、それ以外の人間は果たしてこれをどう感じるか。
「あの、お二人の事情には首を突っ込みたくないんですけど、一先ずその話は後にして、このホテルから脱出して警察を呼んだ方が良いと思います」
「そうですよね! 彼氏との喧嘩はまた今度にしたいと思います!」
憧れのアイドルが方針を変えようとするとコロっと乗っかる元カノ。らしい反応と言えばその通りだが、こういう所がまた嫌いだ。
里々子の何もかもが気に喰わない。
愛憎反転。盲目的に好きだった奴とはいざ会うとその全てが嫌いになってくる。最初にあった時、俺の時間は逆行した。『演じる自分』が戻っていた。凛に逃がしてもらった時は何度であってもああいう気持ちになると思っていたが、今は『非世界』―――どうあっても過去には戻れない、町の秘密に降れている。だからか知らないが、夜更かし同盟の誰かが居なくても、俺は今の俺で居られる。
―――物は考えようだな。
非世界が俺に退行を許さない。だってそれは、俺が凛と澪雨に出会うきっかけになった夜で、ネエネと再会させてくれたきっかけでもある。
「身体は動きそうですか?」
「……怠いっていうか。ちょっと重いですけど。歩くくらいなら」
「そうですか……里々子さん。申し訳ないのですが、周辺を見てきてもらいますか? 私は彼の包帯を代えないといけないので」
「分かりました!」
包帯?
暗くて分からなかったが、俺の体には包帯が巻かれているらしい。だがしかし待って欲しい。無数の切り傷を相手にただ包帯を巻けばいいという安直な発想はどうなのだろう。一瞬だけそう思ったが、ここは病院じゃあるまいし高度で的確な治療を期待する方がどうかしている。大体止血するなら包帯というのも間違っているかと言われたら違うだろう。
それでなんかもったいぶって、ガムテープとかセロハンテープで止血されたらそれこそ最悪だ。
「何か聞きたい事がありそうなので、彼女さんを遠ざけてしまいました。でも意味はちゃんとあります。安全を確保するのは大切ですからね」
懐中電灯は里々子に引き渡された。携帯を使わなければ俺は憧れのアイドルと暗室で二人きりになっている。年頃の男子としてドキドキの一つもしたいが、状況が状況なので切羽詰まっている。里々子がいなければ何処か適当な部屋で死んでいる死体の様になっていただろう。そこは純粋に感謝している。
「こゆるちゃんは……何でここに居るんですか?」
「そうですよね。まずそこが気になりますよね。安心してください、私は月神刈絵―――貴方のお姉さんに頼られてきたんです」
「―――ネエネって、そんな名前だったんですか? いや、それよりも……同じ組織のメンバー?」
「順番に答えます。あの人は元々名前がないので、偉い人が名前を付けました。幾つも名前があって、その中の一つです。それで、私は同じ組織のメンバーですね。波園こゆるは確かに死にました。世間的にはそういう事になっていますね。しかし裏では権力を盾に様々な面倒を抱えさせられるエージェント。簡単に言うとそんな感じの理解で大丈夫です」
「アイドルやってた時からそうだったんですか?」
「うーん…………そう、ですね。死んでからはこっちが本業みたいな感じでやってはいます。どっちが本物とかはないです。どっちも本当の私で、アイドルも楽しかったですっ」
顔が見えないのでは感情の機微も分からない。何となく、言葉には出来ない違和感はあったが、こゆるさん本人で間違いはないし、ネエネの名前を出せるなら偽物という事でもなさそうだ。ただネエネが出るだけで安心する自分もおかしいのかもしれない。
でも、偽物がネエネを出すなら俺がネエネに会わせるリスクを考慮するべきだ。隣まで来たら分かると言っていたし、まだ誰かも特定できていない様な状況でこんな危ない真似をする必要がないか?
いやでも……
逆手に取っているという可能性もある。信じすぎない方がいいか。ビンの悪魔ではないが、全ての人間が論理的に物事を考えられる訳じゃない。だが相手が論理的に考えてくる可能性を考慮して、敢えてこんな言い方をした可能性はある。
「他に質問はありますか?」
「質問っていうか。覚えておいて欲しいんですけどアイツとは別に彼氏彼女じゃなくて」
「周り、誰も居なかったです!」
他の何に差し置いてもまずこの誤解を解いておきたいという心情が、俺の里々子に対する気持ちを何より表している。こゆるちゃんにその認識を与えた所で何がどうという訳じゃない。非世界からは脱出出来ないし、そうじゃなくても進展が起きる事もない。でも知って欲しい。
里々子とは何もない。
俺の覚悟など知る由もなく、里々子は「怖かったよー」なんて可愛い子ぶって俺に慰めを求めてくる。また拒絶した。
「そうですか、有難うございます。傷治ってたみたいなので包帯は外しておきました」
あ、傷か。
身体を触ってみたがそんな感触はない。里々子を遠ざける為の方便という納得もしかねる。何故ならアイツは傍に居た。まがりなりにも俺の看病をしていた筈だ。幾ら暗くても包帯の有無くらいは分かるだろう。
確かに身体を触っても傷のような引っかかりは感じられないし、身体も軽くなった気がする。全身にまとわりつく黒い空気は何となく重いがそれだけだ。あの夜を知っているなら大した問題じゃない。
「そろそろ移動しましょう。まずはエントランスに行ってみませんか? 従業員の人が居るならその人に警察を呼んでもらいましょう。それが無理なら外に出て……」
「だ、大丈夫ですか!? 警察の人もこゆるちゃんみちゃったら驚くんじゃ……」
「そこは……顔が似てるだけって事で誤魔化します。世の中には同じ顔の人が三人は居ると言われていますからね」
私、こゆるちゃんに似てるって言われた事もあるんですッ。自慢じゃないですけど!」
それを本人に言うと、本当に自慢じゃない。ライトで顔を照らす里々子に対して、こゆるちゃんはうんうんと流し気味に相槌を打っていた。
「それに、私の存在がどうとかって場合じゃないと思います。死ぬかもしれない状況だし、何より私の大切なファンが危険に晒されてるんですから」
アイドルとしての顔も。
組織の職員としての顔も。
その全てが本物だとしたら。
やっぱり本音という捉え方でいいのだろうか。凛が居てくれたら、俺に助言をしてくれたかもしれないが。
時刻は……いや、気にしなくてもいいか。
お姫様から全部聞いた。ここは変な世界で、凄く危ないって事。脱出するにはなんか……核? 紛れ込んでる偽物を倒す必要があるとかないとか。要するに殺人。私は、あんまりユージンに殺人をさせたくない。
今の私が生きているのは、彼のお陰だ。だから彼の為に生きてみたい。なんのしがらみもなく傍に居たい。それが許されないなら役に立ちたい。いつか来る死期に、今度は生きててよかったって思えるように。
お姫様が私に問うた言葉を思い出す。
『良いのカ? お前を生かす力は儂のモノだが、その根源はやはり蟲毒にある。蟲毒を終わらせれば、お前は―――』
死人なら、殺人まがいの事をしても大丈夫。心は痛むけど、そんな曖昧な表現も死んだら全部消える。出来れば彼には綺麗なままで居てもらいたい。姫様を通してデスゲームの結末も知っているけど、あれは不可抗力だった。でも今度は、私も介入出来るから。
「緒切先輩! ここも凄く暗いです!」
この子に見られないように殺せるかな、なんて。
気づけば物騒な発想が考えを支配している。
『別に、いいよ。私にはもう思い残す事なんてない。ユージンに気持ちも伝えたしさ、後は余生って言うか。澪雨を助けられるのはアイツしかいないっしょ? 姫様も内緒にしててよね、私が死ぬって知ったら、きっと判断鈍るから』




