初恋蓮華
「澪雨! 澪雨! ああくそっ…………マジかよ……!」
来た道を戻った所で見つかる訳でもない。あまりにも突然、アイツは姿を消してしまった。俺が一人ぼっちな事よりも澪雨を孤立させてしまった事の方が心配だ。命を狙われてるかどうかはこの際どうでも良い。一番死んではいけないのがアイツだ。
凛にも任されているし色々な意味で放っておくわけにはいかない。一旦ネエネの部屋に戻るべきだろうか、いやしかし、戻った所でアドバイスを聞くくらいで、何処に行ったかなんて見当もつかないだろう。
「ふざけんな! 澪雨! おい、ああ、無事で居てくれマジで……やめてくれよな」
脳裏に浮かび上がるのは桜庭の末路。何があったかは見えなかったが、アイツが死んだ事だけはハッキリしている。同じ事が起きればどうなる? 人の死は取り返しがつかない。
『取り返しがつかないナ』
「……俺の所に居ていいんですか? 姫様、椎の傍に居てやった方が良いんじゃ」
『その憑巫がお前を心配しているナ。そもそも儂はお前を代理として奴と契ったのダ。これくらいの義理はあろうナ』
「……椎は何処に居るんですか?」
『二階に居るナ。ただし行き方までは把握しておらぬヨ。儂に制約を強いる様な場所ではないらしイ』
「壁や床をすり抜けられるから自分には関係ないって事でいいですか?」
『うム』
今更だが、『惹姫様』も何なんだ。『口なしさん』みたいな怪異の類だとは思うのだがどうにも気が抜けるというか、友好的というか。巫女の事情に詳しいのであの町に古くから居たのだろうという事は分かる。
「―――待ってください。自由に動き回れるなら澪雨を探す事って出来ますか? もし出来るならお願いしたいんですけど」
「…………」
姫様に見つめられている間、ムカデの指輪は光り続けている。骨と肉の折れた様な音と共に姫様は首を傾げた。
「出来るが、それは憑巫の意に反するナ?」
「椎の意思?」
『守って欲しいと願ったのダ。己が身を危険に晒せばどうなるかを知っているのにナ。憑巫は元より儂の力で死を覆した。二度の反則は認められヌ。此度死ねばそこで終わりだナ。それを望むお前でもなイ』
「…………椎」
また厄介な話になってきた。椎乃は俺を守って欲しいと姫様に言ったもんだから、それを拒否するとアイツの気遣いを無碍にした事になる。かといって惹姫様が自由に動き回れるならそれを活かさない手はない。澪雨だってその方が直ぐに見つかるだろう。
凄く、雁字搦めになっている。
「ああもう―――分かりましたよ、だったら椎の元に行って直接説得してきます。お姫様は俺から離れないように」
『離れぬよ。儂はお前を護りに来ただけダ。余程の危険でなければ傍観に徹するがナ』
誰が『核』なのかは分からないし、一先ず椎と合流する方針を立てつつ、澪雨を探す。何処で何が起きるか分からないと言っても、探さない事には始まらない。懐中電灯の光は弱弱しく、感覚を研ぎ澄ませても聞こえるのは床を踏む己の足音だけ。
寂しさと恐怖は紙一重だが、俺には姫様が居る。まだ恵まれている方だと思って強気に行こう。
『その部屋は入るナ』
「え?」
決意を新たに踏み出したその一歩は、命とりだった。直後に部屋の奥から吹き荒いだ風が全身を扇ぐ。
「いがああああああああああああああ!?」
ただの風じゃない。腕に切った痛みを感じた瞬間、俺はその場にしゃがみこんで腕を盾にするしかなかった。風が止むまでの数秒間。生えては呻くような無数の痛みに歯を食いしばって耐える。痛いなんてもんじゃない。
懐中電灯で足元を照らすと、風で飛ばされてきたのは無数の刃物だった。ハサミ、桐、包丁、斧。致命傷にならなかったのは奇跡だ。斧なんて当たったら耐えられない……今も別に耐えられていない!
「うぐ! あああ…………!」
数多の戦場を経験したような達人であればこの痛みに耐えられるのだろうか。何処を抑えても次から次に痛みが噴き出して身動きが取れない。尻餅をついたところもまた、ハサミの上だ。酷いのは盾にした腕の傷、指に力が入らなくなってきて、懐中電灯もとい携帯を落としてしまった。照らされた先には無数の刃物が突き刺さったまま息絶えている水着姿の女性が崩れていた。
「ひっ…………ひいいいあっ」
『赤の他人ダ、そう気にするナ』
正に当たり所が悪かった例をまざまざと見せつけられている。渾身の力を振り絞って光を遮ると、俺はその場に蹲って、転がった。ネエネの元に戻れば……治療はしてくれるが。動けない。
「ひ、姫様あ。け、怪我の治療…………ああ。とか。出来ます、かあ」
『造作もないと言いたいが、儂は一度姿を消そう。時機が悪イ』
身勝手な言い分だけを残して、惹姫様は姿を消した。
「悠心! 大丈夫!?」
血の気は失せても出血は止まらない。聞きたくなかった声にさえ助けを求めなければ、命に関わってくる。とてとてと小さな足音を近づかせて遂に身体に触ったのは里々子だった。何故ここに居るかは置いといて、さしもの彼女もこんな状況では狼狽せずにはいられない。散らばった刃物と俺の惨状を見て言葉を失っていた。
「え、あ、う………………ゆ、悠心。起きて、ねえ! 死んじゃヤダ!」
「あん………………ぜん、な! 場所……ぉ!」
とにかく今は、安全な場所に行かなければだめだ。里々子は俺を引っ張ろうと手を持ち上げたが非力な彼女には無理な作業だ。俺の身体は二分あっても三分あってもその場を動いていない。
「悠心! 重いよお! 彼女にこんな事させて……絶対。絶対死ぬな! 死なないでね!」
悪態をつかれようと結果は変わらない。俺の身体は動かない。引きずるにしても重すぎる。痛みで喘ぎ、苦しみ、悶絶しなければならない状態で放置されているのと何が違う。いっそ気絶してくれればいいのに、俺の身体は変な所で頑丈だ。
「誰かお願い! 私の彼氏を助けてえええええ!」
それから三十五分。里々子の悲痛な叫びを間近で聞き続けた。声に応えてくれるヒーローが毎度居るとは限らない。来たかどうかも定かではない。
俺は出血で気を失ってしまった。
初恋が最良の結末を迎えるとは限らない。俺の場合は苦い恋だった。女を見る目が無かった。今は自信をもって断言しよう。あの時の俺は初心だった。里々子に恋をするなら当時凛や澪雨と会っていたら猶更こじらせていたのではないだろうか。
初恋なんて響きだけ綺麗で、そう大層なもんじゃない。こんな状況でも里々子の姿を見るとそんな考えが過る。何で居るのかなんて、どうでも良くない事がどうでもいい。
「………………う。くっ!」
「あ、駄目ですよ動いたら! 身体中傷だらけみたいですから」
「悠心!」
「貴方も駄目ですよ! 彼氏さんの傷が開いてしまいます!」
暗闇に遮られて何が何だか分からないが、聞き覚えのある声と聞き覚えのある声が俺を巡って言い争っている。無意識にポケットを探るが携帯がない。近くの床を手触りで探してみると―――少し離れた所に携帯らしき感触を発見した。声の方向にライトをつけると、二人が眩しそうに手を翳して光を遮った。
「………………えっ。あ。あ。貴方……え」
「? ああ、自己紹介がまだでしたね。えっと私は―――」
「いつものあれお願いします! 私も彼もファンなんです!」
女性は自らの懐中電灯で全身を薄く照らすと、ダブルピースを前に突き出しながら笑顔で言った。
「貴方の恋心を限界突破! 我こそ波園なにとぞよろしく! みんなのヒロイン、波園こゆるです☆」




