カイイセカイの巣鬱
光を吸収され、頼りなくなってしまった懐中電灯でも今の俺達にはなくてはならない代物だ。凛が居なくなって、ほんの少し心細い。頼りになるとかならないのは足ではなく、人数差はそれだけで心を安定させていたのだ。
澪雨の水着姿も今となっては気にしている場合じゃない。何よりこの暑さで薄着をしない方がどうかしている。汗でびっしょりなのはお互い様だ、夏は裸になっても暑いと思っていたが、ここは夏以上サウナ未満の暑苦しさで、生殺しにされているかのよう。
「ね、ねえ日方。この非世界さ、本当はどんな目的があると思う?」
「……藪から棒だな。確かに、ここが非世界って事が分かっただけでその辺りは話し合ってないか。でも何となく分かるだろ。お前が蟲毒を終わらせると言ったタイミングで停電が起きたんだ。あれは偶然なんかじゃない、聞いてたんだろうな。それでお前を殺す為に」
「そう、そこがおかしいの! だ、だって私を殺したいなら日方を助ける意味なんて……ないじゃん? 私以外を殺すつもりがないって事なら、あんな事だって起きないし!」
「む……」
言われてみればその通りだ。辻褄が合わない。犯人を後任の巫女(非世界に落とす力は蟲毒に繋がっていないと出来ないだろう)とするなら、巫女は旅行の中に居る誰かという事になる。動機は町内会の命令か何かとして……すると、俺を助けてくれた事に説明がつかない。
澪雨は違うと言っているし、あの場で嘘を吐く意味もない。俺を助けて桜庭を見逃す理由というのもピンとこないどころか……周囲にさえも敵意をむき出しにした非世界に、そういう融通はそもそも効くのかも怪しい。
だって効くなら、停電の瞬間に澪雨を殺すのが手っ取り早いではないか。
手近な扉を開けようとして、固く閉ざされているのを確認。次のドアに手を掛けて、そこが空室なのを確認する。
「確かに妙だな。非世界に落としたは落としたで目的がいまいち見えてこない」
ていうか。
そもそも何かが一度でもハッキリした事はあったか。
要所要所の真実は明らかになっているが、全体像は靄がかかったように掴めない。尤も、それさえも思い込みかもしれないので、この状況をきっかけに整理し直してみるのも悪くない。
順を追って整理していこう。蟲毒と関係なくても大事な事だ。
まず俺があの町に来たのは、全くの偶然である。もしくは両親の当たり前の強欲のせい。ネエネが俺を守って組織に売られ、それで得たお金で二人は土地の高いあの町にわざわざ引っ越した。初恋及び失恋はたまたまタイミングが噛み合っただけだ。
サクモや喜平、椎乃と出会った事にも作為的な物はない。いや、喜平に限っては向こう側が点数欲しさに近づいてきたそうだが、いずれにせよ俺にとってはかけがけのない友達だった。それから月日は過ぎて、あの日。
澪雨が俺を、脅迫した日。
脅迫に屈した俺はそのまま凛と澪雨と合流。色々あって神社で謎の陰を解放した。その謎の影の正体だが―――今までを振り返るに『虚食生命体』とみて間違いない。怪異と特異にどんな違いと接点があるかは分からないが、俺の首の痕跡は『特異』の仕業だ。そしてそんな痕跡がつくタイミングと言えば、どう考えてもあの壺を割ってしまった時しかない。
壺と言えば、あの壺の正体も今なら分かるのではないか? 俺は澪雨を取り戻す時に見た筈だ、彼女の過去を……巫女の真実を。
あの壺の正体は、蟲毒の壺。
巫女に選ばれた人間は血を混ぜる事で魂の繋がりを得る。蟲毒はいうなれば神様だ、巫女はそんな神様と繋がって、信仰の報いに祝福を与える。蟲毒は沢山の子供によって作られ、巫女は務めを果たせば壺の中へ戻る。それが一回分の流れで、最初は災害などに対する一時しのぎでしかなかったという側面からも、これが正しい終わり方だと思われる。だが、この町は死体をつぎ足し続けるばかりか、巫女が生前の内に引き継がせる事で己の死を回避した。
その結果生まれたのが、終わりなき呪いの末路。呪いを還されなかった事で澪雨が死ねば町全体が『感染』する。役目を下りても同じだ。我が身可愛さに後回しを続けた結果、この町に古くから住む人間は巫女を犠牲にし続けなければ生きられない存在となってしまった。
神社にはきっと、部屋数分の壺があった。何故それが移動していたのかは分からない。何故『モノカゲヒト』が潜んでいたかも分からない。分かるのは『モノカゲヒト』の居る壺を移動させる事は、恐らく出来なかったという事だ。
俺達に気づいた大人の末路を見たところ、アイツは人を殺すのに微塵の躊躇もない。壺を移動しようとした矢先に殺していくだけで絶対に動かせない壺の完成だ。俺を殺さなかった理由は……分からない。
―――ネエネに聞くべきだったかな。
偽物のヒキヒメサマといい、デスゲームの事といい、特異関係と思わしき事柄は専門家に尋ねた方が早かった。しかし今はそんな暇もない。外の話がどうあれここを抜けられないと話にならないのだから。
「ねえ日方、七愛ってば、いつも私をお嬢様扱いしてるよね」
「……?」
急にどうした、と言いたくなったが気分を紛らわせる雑談だろう。蟲毒を終わらせる覚悟をしても澪雨は澪雨。ぶっちゃけ一番怖がりだ。まだ張りつめる様な状態でもないし、多少付き合うくらいは問題ないだろう。
「お嬢様扱い、してるな。俺と二人きりの時もしてるよ。でも事実だ。少なくともあの町では持て囃されるべき存在だろ」
「私が何も知らないと思って、いつも隠してる。私はあの子が思ってるよりずっと全部分かってるのに。日方は七愛の事、何処まで知ってる?」
「踏み込んでないから何とも。アイツから聞いた以上の事は何も知らない。お前の護衛って事と、家が代々巫女に仕えるみたいな話を聞いたくらいじゃないか」
「じゃあ七愛が日方を好きだって事も、知ってる?」
暗闇の中で、足が止まった。
こんな事をしている場合ではないのかもしれないが、答えないといけない様な気がした。
「…………見た目だけなら幾らでも繕えるよ。信頼はされてると思うけど、お前の言ってる意味で好きだとは思わないな」
「七愛が本当は凄く真面目な子なのも分かった上で言ってる? 七愛が巫女だったら、きっと弱音を吐く事もなかった。あの子は、そういう子」
「身体を触らせる事が好きの証とでも言いたいのかよ。あれは全部脅迫だったろ」
そして脅迫は、凛が主体的に行った物だ。澪雨は何かと行動をアイツに任せる節があったので明言されなくても想像がつく。何故俺をターゲットに選んだか……普通に考えれば外の人間だからだが、そこは凛が理由を明確にしないので厳密には不明だ。だが、そうとしか思えない。外の人間なら巫女こと澪雨を信仰してる事もないし町内会との繋がりもない。合理的過ぎる判断だ。
「あの子はたとえ脅迫でも、好きでもない人に身体を触らせないんだよ。じゃあいつもの軽はずみな状態でさ、誰か男子に身体を触らせてた事あった?」
「…………」
「夜はいつも胸を開けさせてるけど、学校や他の男子の前だとちゃんと閉じてるよね」
「…………」
「キス、したよね」
「な…………」
何でそれを……?
凛が教えたとも思えない。アイツは『たまには澪雨に譲れない時もある』とか何とか言っていた。非世界とは関係なしに問い詰められている。全く穏やかな空気はないどころか、後ろを振り返ってはいけないような……神社の時に近い冷たさを感じている。
「いや、あれは……脅しで…………」
「七愛は貴方が好きなの。貴方が気持ちに応えるかどうかは置いといて。これは内緒だけど、でも忘れないで。あの子は貴方を特別扱いしてる。嫌じゃなかったら、好きでいてあげて」
「……? お、応援してる……のか……?」
「そりゃ、今まで私に尽くしてくれたしね。それに蟲毒が終わっても私は……私の命は長くないと思うから」
「何ッ?」
「勘だよ。ただの勘だけど……それなら二人で仲良しになってくれた方が私は良いなって思う。それとも日方は私の方が好き?」
「ふざけんな!」
懐中電灯を当てて振り返る。澪雨が眩しさから両腕で顔を隠した。
「生きたいんだろお前は! なら冗談でも勘でも長くは生きられないなんて言うんじゃねえ! どっちが好きだからとかじゃないだろ、俺達は夜更かし同盟だ! そんなに気持ちをハッキリして欲しいなら言ってやるよ、どっちも大好きだ馬鹿野郎ッ」
「…………ひ、ひなた」
「いつだったか忘れたけど、行く当てがないんだったらお婿さんにしてくれるって言ってたな? そういうお前も巫女を降りたら行く当てなんてなさそうだよなあ? もしそうなったら、俺がお嫁さんに迎えるよ。だから絶対死ぬなこの白無垢巫女。夜を超えて、俺達は生きるんだ」
どんな代償が町内会に降りかかった所で俺は知らない。二人が助かればそれでいい。二人が活きられるならそれでも構わない。殺すとは選別だ。一度殺しを受け入れた俺は、理性で選別を止められない。
生きててほしい人が居るから、頑張る。
命を懸ける理由なんて、そのくらいで十分だ。
「―――急に恥ずかしくなってきたから今のなしな。馬鹿な事言ってないでさっさと生存者探すぞ」
勢いだけでプロポーズじみた発言はするもんじゃない。赤くなった顔は暗闇で誤魔化されているだろうか。冷え切った身体に対して暑苦しい空気がまとわりついて、多分それで調子が狂った。そうに違いない。
懐中電灯を前に向けて歩き続ける。時たま声を出してみて、反応があればそれで良し。開けられる扉は開けてみて、細心の注意を払って中を覗く。基本的には虱潰ししかない。
「………………あのなあ! お互い恥ずかしい事言ったのは分かるけど! 急に静かに」
澪雨は、居なくなっていた。




