未確人の怪
「ひ、ひな……」
「お静かに」
夜に外へ出た経験が活きたか、それとも周囲があんまりドタバタ騒いで逃げるからかえってその選択肢を失ったか。何にせよ俺達だけは暗闇を良い事に机の上に隠れて、三人で声を押し殺した。誰かが居る訳じゃないが、この蒸し暑さと薄暗さは身体が覚えている。携帯のライトを使って視界を確保しようとしたが無意味な試みだった。この闇は光を吸収して、本来欲しい視界の半分も得られない。ギリギリ固まってる二人の顔が見えるくらいだ。
―――何だよこれ!
町の外に出て、こんな異常事態とはおさらばしていると勝手に思っていた。出身者ではない人間も居るのに、そんな事はお構いなしと言わんばかりだ。和やかだった空間は一瞬にして静まり返り、聞こえるのは低音質で繰り返される停電に対する謝罪だけ。
携帯は圏外になり、各種SNSも機能しなくなった。これを危惧して澪雨も凛も水着を着ていた訳ではないだろうが、不幸中の幸いという奴で、体調面で問題はなさそうだ。念の為にもう五分程沈黙を保ってから、俺達は改めて椅子に座った。
蒸し暑いのは確かだが、澪雨の手が震えている。宥めるように手を重ねると、彼女は椅子を寄せて俺の肩に寄りかかった。
「も、もう大丈夫だよね。多分……」
「何が起きたのでしょうか。蟲毒を終わらせたくない何者かの仕業とか……」
「た、タイミングが合っただけだよ。日方、これ……説明とか」
「んー俺は無理そうだな。部屋に戻ればもしかしたら解説してくれるかもしれないけど」
「は?」
「私の部屋にね、日方のお姉さんが居るんだ。すっごく美人、あんな人初めて見たっ」
「へえ…………」
澪雨はネエネみたいな顔の女性がタイプらしい。いや、そんな言い方は語弊があるかもしれないが……女子にウケのいい女子は絶対に居るし、もしかしたら俺は例外で、ネエネもそんなタイプだったのか。
部屋に戻ればと簡単には言ったが、この異常な暗闇の前ではそうもいかない。光は吸収されており、三人の携帯を合わせても昔のランタンくらいの光源が限界だ。同時にこんな所で話していても仕方ないだろうという空気になり、俺達は顔を見合わせて立ち上がった。凛は熱くなったのか、パーカーを脱いで紺ホルタービキニを露わに大きく胸を揺らした。
明らかにこの暗所でも俺の反応を窺っており、大分緊張感が無い。零れ落ちんばかりに沈んだ胸は、平時なら釘付けになっていたかもしれないが今はそれどころではないだろう。普通に呆れて、溜め息が出た。
「状況考えろよ凛。俺に脅迫しかけてる場合か?」
「緊張を解そうとしたのですが」
「大丈夫だ。『口なしさん』みたく怖い目に遭った訳じゃない。ただ暗いだけ、暑いだけだ。肝を冷やそうにもこの暑さじゃな―――」
「なら、最初の叫び声の原因を調べてみましょうか」
そう言えばと、俺の脳裏に直前の出来事が浮かび上がる。暗転して、叫び声がして、混乱状態。そうだ、何が起きたかは叫び声の主に何があったかを調べればいいのだ。怖いかもしれないが、俺にはこれ以上分からない事だらけにされた方が怖い。対処の取りようがないのは単純にストレスで、無力感という名の恐怖という名の絶望は、抗い難い。
「た、確かあっちの方向だったよね。私が先に行く。二人はついてきて」
「澪雨? なんか、やけに張り切ってるな」
「もし私のせいで起きた事だったら……きっと、こういうのも全部見ないといけないと思うの! 蟲毒を終わらせるって、そういう事だと思うから!」
未来にツケを残さない。己自身の道を生きる。木ノ比良澪雨はそう決めた。周りの誰を犠牲にしても、一時しのぎでしかない呪いを止めて、終わらせる。何事も都合よくは済ませられない、事なかれで済むなら俺だってその方が良い。
もう手遅れなのだ。
「先程はああ言いましたが、澪雨様のせいだとは一言も……」
「―――日方はどう思う?」
「「え?」」
脈絡を無視して、澪雨は俺の方に同じ疑問を向けた。
「私のせいだと思う? 気は遣わないでいいから」
「………………何か特別証拠がある訳じゃないけど、俺はお前のせいだと思う」
そして証拠はないが、理由までない訳じゃない。
「あの町はお前の存在で成り立ってる。お前の巫女としての力があるからあんな事になってる。自覚してるかしてないかはこの際問題じゃない。だってお前の母親も祖母も、同じ様にやって来たんだろ? 夜に外へ出ちゃいけなかったんだろ? だったら同じ要因がある事になる。原理とかは分からないけど、少なくともホテル内は完璧に…………いや、厳密にはちょっとだけ違うんだが、殆どあの町になってる。だからお前の影響なのは間違いない、と思う」
「厳密に違うとは? 私には全く同じ様に思えるのですが」
「私もそこ気になる。何処が違うの?」
「ネット回線が使えないのはおかしいだろ」
そもそも俺は、夜に外へ出ようという時までサクモや喜平とゲームをしていた。幾らあの町が閉鎖的で、夜に外へ出てはいけない決まりはあってもネット回線までは塞がれていなかった。毎度のような夜更かしも、ゲームが出来れば苦ではない。
所がここはどうだ。携帯が全く繋がらなくなってしまった。電話が繋がらないだけならまだしもソーシャルゲームまで起動出来ない。同じ理屈ならゲームくらいは遊べる筈だ。
「あー…………盲点ですね。私達はそういう生活をしてませんでしたから」
「何で違うの? それも分かるのかな…………きゃっ!」
澪雨が大きく飛び退いて、その場にすっ転んだ。背中を支える凛を尻目に俺もライトを当てるとそこには一年男子と思われる死体が、自分の喉を喰いながら死んでいた―――もう少し付け足すと、掌から口が生えてきて、そいつが自発的に身体を食べているのだ。その身体もよく見ると現在進行形でドロドロに溶けて、膨らんで、人の形を失いつつあった。
「うっ…………! 見るな凛!」
「…………一先ず、離れましょうか」
声をあげても死体の口は襲ってこない様なので、現場を後にする。晴の近くに居たっぽい顔だったが、彼女は大丈夫だろうか。これまで巻き込まない様に細心の注意を払ってきたが、ホテル全体が町と同じ様になっているならこれも手遅れだ。許されるなら一刻も早く助けたい所だが……廊下に出て、それさえ許されない事を知った。
俺達の知るホテルはここにはない。エントランスを囲うように広がる階段とエレベーター。床に張り付いた扉と外に何も無い硝子の玄関。受付の近くにあった地図もまるっきり変化しており、例えば何処の階段を上っても二階には行くが部屋と直結している場合があるなど。構造が変化していた。
これも夜の町と同じだ。
「これは…………」
「こんな構造じゃなかったよね……」
「また同じだ。クソ…………いや、あの町と同じなら時間さえかければ夜は明け…………」
る訳がない。
ホテルに備え付けられた時計も、携帯に内蔵された時計も。表示自体がされていない。どうやって調べても、今が何時なのかを把握出来ない。二人の携帯も同じだった。とにかくネエネと合流する事が先決だろうと澪雨と二人で地図を眺める。
「滅茶苦茶だな。建築士が見なくても分かるぞ」
「なんか……夢の中みたい。脈絡が無いって言うかさ。階段……何処が最短ルートなんだろう。部屋に繋がった後、その部屋は何処に繋がってるの?」
「全部書かれてるんだと思うんだが上に上に上書きされてるからすごいわかりにく……凛?」
「はい。何でしょう」
凛は玄関の前に立って、そもそも脱出が出来るのかを確認していた様だ。暗すぎて顔は分からないが、幾ら弱い光源と言っても位置を示す手がかりにはなる。
「外に出られそうか?」
「………………出られるか出られないかで言えば出られると思いますが。出ない方が賢明だとも思いますねー」
「は? 何で?」
「今、誰かに見つかりました。絶対に見られたんです。誰かは分かりませんが……少なくとも私は出られません。殺されるでしょう。そんな気が」
「ほウ。こんな所で会えるとは奇遇だナ。巫女ヨ」




