禁忌に代償を 無辜に晩餐を
「おや澪雨様。随分遅いご到着で」
「凛!」
修学旅行としての体裁からか、食事は各個室で食べるのではなく一般客も交えてのバイキング形式になった。引率の先生も居ないのでは何か不安がありそうだが、普通に考えて喋れる奴の隣で喋るのが当たり前というか。席は何処に座っても良いが、自然な流れとして一年も二年も三年も、元々仲が良かった奴や今回の旅行を経て仲良しになった人同士で食事していた。一年生と三年生が楽しそうにしゃべっているだけでちょっと旅行っぽい気分にもなってくる。
晴は俺が来るまでに一年生のグループに連れていかれた。また、椎乃も俺が来る前に二年生の奴らに連れていかれた。特に椎乃の方は露骨にアプローチを掛けている男子が一人居て、アイツも困っている様に見えるが、助ける助けないの話ではないので放っておく。
「部屋に戻って来なかったのかよ! ていうか随分遅かったな?」
「まあ……色々と。しかし澪雨様はどうして彼のワイシャツを……」
「し、仕方ないじゃん! 七愛が服持ってきてないから……」
目立たない様に一般客を挟んで更に向こう側。一番隅の席に座る。澪雨は水着姿で人前に出たくないと言って聞かなかったので俺の服を貸した。しかしいくら身長差があっても胸囲の方はどうにもならないというか、ボタンをちゃんと閉めるとかえって自己主張が激しくなるので緩和する為にある程度は前を開けてある。
水着で食事する事自体が、時間帯的にはもうおかしいと思っていたが、それは杞憂だった。ホテルの施設に夜間利用も可能なプールがあり、生徒や一般人の中には上にパーカーを着ているだけで水着姿の人間もちらほらと見える。
「良かったな澪雨、目立たないぞ」
久しぶりに帰ってきた凛もグレーのパーカーを着ており、太腿を殆ど剥き出しにした格好だ。まさかと思って服をまくり上げてみると、紺色の紐パンが見えた。澪雨と比較すると、布地が見るからに小さくなっている。
「スケベ」
「! や、違う! お前も水着着てたのかって……海居なかったのに」
「誰のせいでそうなったと思ってるんですかー。元カノ問題どころかアイドルを追っかける様な人が居なければこんな事には」
「元カノ? アイドル?」
「あー何でもない何でもない! さー食べようか! 凛! な!」
「…………ふふ。では、失礼しますね」
里々子の事はもういいだろう。撒けたのだから、それ以上はない。明日になれば帰るのだから仮に遭遇した所で問題はない筈だ。こゆるちゃんを見つけられなかったのは、今もちゃっかり心残りだが。
「―――あのね、七愛! 実は話したい事があったの。私の護衛として……聞いてほしい事があって!」
「聞きましょう」
話を少し、遡る。
『すりすり~♪ すりすり~♪』
『ひ、日方…………?』
『本当に、甘えん坊だね、シンは』
無事に和解できたので心置きなくネエネの太腿をすりすり撫でている。髪の毛に鼻を突っ込むのは澪雨にドン引きされると思ったのでこれでも自重した方だ。ネエネは戸惑いもなく、昔の俺を見るような目で、頭を撫でている。
『こ、こんな日方見た事ない……』
『そりゃ、ネエネにしか甘えたくないもん』
『シン。頬ずりまでし出したらいよいよ止まらないよね。元々伝えに来た話をしたいからちょっとやめてくれる?』
『はーい』
幼児退行と言われてもあんまり言い返せない。昔に戻った気分だ。澪雨や凛と比べると発育は大分貧しいかもしれないが、二人以上の抱擁感と母性と……暖かさを感じている。澪雨は水着が恥ずかしかった筈だが、それ以上に見せるのも恥ずかしい奇行を目撃したせいかネエネと離されてからずっと腕を抱きしめられている。
谷間が二の腕に当たっているのは、無意識だろうが突っ込まない方がいいか。
『コホン。じゃあ改めて話をしようか。元巫女様よ。率直に聞くが、お前はあの町をどうしたい?』
『え……』
『ムシカゴはもう限界だろう。私は当事者ではないがそれくらいは見て分かる―――巫女としての役目を一度ひいた事で、犠牲のサイクルは崩壊した。代償にお前は闇に囚われ、夜しか目覚められない身体になっている。そうだな?』
『……そうなのか、澪雨』
『……うん。そう、みたい。起きてから、何となく分かる』
『そしてお前の代わりに誰かが巫女を受け継いだ。お前は今や死んで蟲毒の糧となるべき存在だ。それを密かに助け出され、生きている。町内会の者は……いいや、この旅行中に青年会なんかも巻き込んでる可能性もあるな。お前には死んでもらわないとならない。今回は状況が違う』
『状況……って』
澪雨の記憶とお姫様から、巫女としての役目を継ぐには蟲毒の壺に血を入れる必要がある。また、祭りの時など特別巫女の務めが求められる時は人肉以外の飲食を許されない。状況が違うというのはどういう事だろう。血を入れるだけで受け継げるなら特別変な事は……。
『…………手順が違う』
『……そう、だな。命尽きるまで巫女としての役目は残ってて、死んで自分も呪いの一部になる事でサイクルしてた。でもそれを言い出したらお前のお母さんから手順がもうおかしいよな』
そして彼女の祖母も、生きていた時期がある。ちゃんとしたサイクルなら子供は親の顔も怪しいし祖母の顔なんて絶対に見られない筈。また、呪いのサイクルが破綻しているせいであらゆる負債が澪雨に押し付けられた。だから彼女は巫女である限り短命なのだが、その役目を下りたという事は―――入れ物が割れたら蟲は逃げる。それは物の例えとしての表現で。正しいのはむしろ。
『まだ澪雨には、蟲毒に干渉出来る力があるんじゃないか? だから死んでもらわないと困る……みたいな』
『え、何で日方その事を…………!』
『お前を蟲の中から助け出す時に、色々な。あの蟲が優先的に狙っていたのは老人だった。そしてあの時のお前は、町の奴らに敵意を持っていた……ネエネどう?』
『正解だよ。破綻したムシカゴはいずれ、全てのツケをあの町に求める事になる。巫女の代替はその場しのぎに近い。一度解放されてしまった毒は廻り続ける。このまま何もしないなら私が殲滅する事になるだろうが……まだ蟲毒の舵を取れる人間が一人居るからな。どう出来るか分からないというのなら、方向性を示してもいい』
ネエネは床下から小さなホワイトボードを取ると、ポケットに忍ばせていたペンで選択肢を突き付けた。
・私の組織に介護職員として引き取られる
・蟲毒を再び受け継いで、命尽きるまで役目を全うする
『どちらかを選べとは言わない。最善とは言わないがそれなりに幸せな方針を提案したつもりだ。私の組織は福利厚生なんぞ充実してないが、ムシカゴに干渉出来るお前が来てくれれば万年人手不足も少しは解消されるかもしれない。危険は私が全部守ってやろう。寿命も解決する方法がある。普通の生活を捨ててもらうから、給料も応相談だ。一方の方はもっと簡単だな。もう一度巫女を継承する。そして今まで見た聞いた事を全部忘れる。お前が巫女に戻れば町内会は手を出せないばかりか、脅せばシンなんかにも手を出さないだろう…………ほかに選択肢があるなら、それもいい。私はお前の判断を尊重する』
『―――俺も、澪雨がどうしたいか聞いてみたい。思えば俺達、怪異毒だか何だかでずっと死なない為に足掻いてたけど、お前だけは……それより前に問題があるもんな。もうここまで来ちゃったし、最後まで付き合うつもりだ。俺も……人生の先が、見えてないしな』
『わ、私は……』
という事があった。
それで答えに悩んで、一旦食事に行こうという流れを経て今がある。
「今まで私、ずっと巫女としての役目を全うしてきた。違和感を持って、これまで行動してきた。別に、どうにかなって欲しかった訳じゃない。ただ少し、きになっただけ でも……もうこのまま何事もなくってのは出来なくて、私が何もしなかったら七愛や日方にまで迷惑が掛かっちゃう!」
「そうですね……」
「巫女を止めたら……町の人達が死ぬ事になる。それを分かってて、何もしてこなかった。でも……………でもさ! やっぱり私、死にたくない! 死にたくないの! だ、だから。だからね」
巫女の役目から解放された。
巫女の役目は澪雨を手放した。
誰かの死を望まぬ一般的な感性が彼女にはある。ただ善人として、善の象徴ありきで育てられた彼女に与えられたたった一度の選択肢。あらゆる選択にはリスクがある。災厄のない生活を望んだ人々のツケが澪雨に押しかけた様に、澪雨が幸せを望むなら、そのツケは彼らに還る事となる。
町と澪雨は表裏一体。
これまでどちらかが犠牲を強いられなければいけない状況で。澪雨は一方的に自己犠牲を選ばされた。
「私、蟲毒を終わらせる! 七愛……協力して」
誰がその決断を酷いと言うだろう。その権利が何処にあるのだろう。酷いと言えるのは部外者だけで、部外者は恩恵に与っていないので資格がない。与っている奴は散々良い思いをしておいて、咎める権利など許される訳もない。
「なるほど…………ええ、ええ。お供しますよ澪雨様。私は護衛ですからね」
「七愛!」
澪雨が咳を立ってぴょんと跳ねる。その直後。
ホテル全体が停電し、視界を全て奪われた。
「…………?」
「え、何何?」
「これは……!」
『当ホテルをご利用の皆様にお知らせがございます。申し訳ございませんが、ただいま全館にわたり停電が発生しております。停電が発生しております。停電が発生しております。停電が発生しております。停電が発生しております。停電が発生しております。停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております停電が発生しております』
放送は狂ったように繰り返し、快適だった館内の温度が急速に上昇。しかし停電中であるなら間違って暖房がついた訳でもなし、だのにここはまるで熱帯雨林にでもいるようで。或いは。
あの町の夜に、外へ出た様で。
「あぎゃ、が、ぎ。げゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
誰かの叫び声を皮切りに、この場に集まっていた全員が混乱からドタバタと暴れ始めた。




