心奪われる夜更かしの恋
「日方先輩に捕まりました~!」
「ユージン! 体力おかしいでしょ! 息切れって話は!?」
「知らーん!」
多分、晴に触ってしまった事で俺のタガが壊れた。水上バレーボールでは二人にボコボコにされたので腹いせにともう一勝負要求したら鬼ごっこになった。砂浜という悪条件を考慮しても陸上部に勝てる気はしなかったので飽くまで海の中という条件をつけた。
すると馬鹿正直に泳ごうとした晴は三十分くらいで直ぐに捕まえられたし、椎乃はただただ普通に足を取られて自滅した。勝者となった俺はその余韻に浸るかのように二人の首を脇で固めつつ、砂浜に寝転がってはしゃいでいた。
「いよっしゃー! 作戦勝ちぃ! 俺強い~」
「せ、先輩! 力強いです~」
「や、ちょ! 変な所触らないでよ! こういう場所で! ユージン!」
「俺にその手は通じない。わっはっははは!」
ひとしきり満足してから二人を解放した。それからは日が落ちるまで遊ぶの繰り返しだ。
「日方先輩! パス!」
「え! ちょお―――椎!」
「はあ!? ああもう―――何で私なのよお!」
学年ごとのチーム戦に参加したりもした。何故俺達が組んだままなのかというと上手く人数分けが出来なくて、その都合。大体椎乃が無双して、三年生にはけちょんけちょんにされた。
「まず波がないのにサーフィンとか無理だろ!」
「一回だけ! 一回だけ!」
「これ性質の悪いバランスボールよ! いやあああああ!」
波がほぼ無いのになぜかサーフィンをしたいと言い出した後輩のせいで大変な目にも遭った。性質の悪いバランスボールは言い得て妙だ。そもそも誰も立てないが。
「日方先輩、砂の城の作り方教えてください」
「俺も知らん」
「私も知らないわ。えーどーすんのこれ。もう暗くなるわよ」
出来もしない砂の造形を頑張ったりもした。あの町は内陸の方にあるので、こういう機会でもないと海に触る機会がない。暗くなって他の奴らがホテルに戻る中、俺達は最後の最後まで遊び続けた。相手が女子二人だからって、変に気を遣う事もなくなった。女子と男子とで友情が成立するかと言われたら、二人をがっつり異性として意識してる俺には口が裂けても『する』とは言えない。だけど、気の置けない関係というのはそんな風に一々区分けしないといけない物ではない筈だ。
「はー……楽しかったですねー」
完全に日が落ちて、夜食も近い。もうそろそろ本当に戻らないといけないが、俺達は浜と陸とを分ける壁の上で三人寄り添って星を眺めていた。ここはあの町ではないので、夜間外出の禁はない。異常気温にも見舞われないし、夜遊びを血眼になって咎める大人も居ない。
本当に、心から穏やかな気持ちで、星を眺められる。
「……何で私達、夜に外出るの禁じられてるんだろうね」
「……うーん。良く分かんないですけど、でも夜って綺麗です! あーあ、こゆるちゃんを探すのも楽しかったけど、もう一泊くらいあれば、日方先輩と一緒にUFO探すんですけど!」
「は? UFO?」
「私、そういう不思議な話大好きなんです! 信じてるんじゃなくて、あったらいいなって! 日方先輩はどうですか? 信じてますか?」
「あー。うん。信じてるよ」
信じないというのは無理がある。今までどんな事があったか言ってみろ。質感非世界なんて文字通り非現実の極みだ。あれが存在するならUFOくらい存在するだろう。そうじゃなくても、町中が蟲で覆い尽くされた件があって、何故UFOを信じられないのかという話になる。
「私もあったらいいなとは思ってるよ。その方が夢が広がるもんね。分かる分かる」
「…………せっかく夜に出られるんですし、後でこっそり三人で探しちゃいませんか?」
「晴。お前も悪い奴だな」
「えへへ。だって日方先輩と一緒にこういう事出来るのって、多分もうないじゃないですか! それとも日方先輩、私が大学生になるまで待ってくれますか?」
「大学? …………進路か。大学に行くんだな」
俺は何も考えていない。怪異毒とやらで近いうちに死ぬかもしれないと思うとそんな暇がないと言った方が正しいか。目的がないのに大学に行くのもどうかと思うし、特にやりたい仕事とかもない。
―――ヒモ?
最悪すぎる。そうなるくらいなら死んだ方がマシだ。
「待っててもいいぞ」
「え?」
晴は珍しく、目を見開いたかと思うと困ったように微笑んだ。
「そ、それは…………あの。い、いいですよそんな! 日方先輩もやりたい事とか!」
「それが無いんだよな。困った事に。だからまあ……あんまり気にするな。大学生になってあの町を出たらまた一緒に馬鹿やろうぜ」
「ユージン、多分そういう意味だけじゃないと思う―――」
「有難うございます!」
何か言いかけた椎乃の声を遮って、晴が俺の手を握った。
「日方先輩が待っててくれるなら、私、凄くやる気が出ます! 絶対絶対、行きましょうね!」
「お、おう…………」
「おーい。私を無視するんじゃないぞー」
椎乃は俺の契約によって命を繋がれ、切っても切れない関係となった。縁の切れ目は命の切れ目、しかし晴はそんな事など知る由もない。こんな暗闇でも輝いて見えるくらい、後輩は弾けんばかりの笑顔で嬉しそうにしていた。
就寝際に晴を迎えに行く約束をして、俺達は部屋のある階に戻った。
「ユージンってタラシ?」
「は? 何で?」
「あんな事言われたら……そりゃ嬉しいでしょ。あの子一筋ならいいけどさ、他の子に目移りしようものなら最悪よ? 色々残酷だって分かってる?」
「いや、そういう意味じゃないと思うぞ。多分、今まで趣味に理解される事がなかったんだろ。アイツからあんなオカルト話を聞いた事って一回くらいしかないしな。どうせやる事も何もないんだから、そりゃ承諾するだろ」
「あのねえ…………ちょーっと微妙に腹立ってきたわ。お腹にパンチしていいかしら」
「駄目に決まってんだろ。何その、ちょっと耳貸せみたいなテンション」
「だったらキス!」
「代替案がおかしい! 今は駄目だ、やめろ! 後で、後でな……」
祭りの前にやけっぱちになってからというもの、椎乃は自分の気持ちを隠さなくなった。彼女が俺を好きで居てくれているのは知っているし、それは今も嬉しい。けど公衆の面前で見せつけるのは気が引ける。実際に付き合っているかと言われたら違うし。
そもそも今はそれどころじゃないし。
「……部屋違うの、こんな最悪って思った事はないわね。アンタと二人きりだったらどれだけ気が楽だったか……とほほ」
「ほぼ死語みたいな落ち込み方をする辺りは同情する……また夜にな」
「はいはい。また後でね」
椎乃と別れて、自分の部屋へ。凛も澪雨も最後まで姿を見せなかったのは悔やまれる所だ。特に澪雨なんてここに居る全員が期待しただろう。神聖なる巫女様の水着姿は、邪な心がなくとも一度は見て見たいと思うのが道理ではないか。
扉を開けると、暗室の中から布団をごそごそする音が聞こえた。
「凛?」
電気を点けると、布団に包まっていたのは凛ではなく。昼間は姿形の見えなかった澪雨。何故か顔を赤らめており、隠しきれていない肩部分は素肌が剥き出しになっている。
「澪雨! お前、何処に居たんだ?」
「ひ、日方! み、見ないで! あんまり見ちゃやだ! 違うの! これは七愛が―――!」
「七愛凛が購入していた水着を着ているだけだ。決して全裸ではないから、安心しろ」
心底からリラックスさせる様な声に、全ての関心がそちらに向かう。ネエネが壁から顔だけを出して俺を見ていた。ボイスチェンジャーは使っていないが、相変わらず卵みたいに真っ白い仮面を被っている。
「ネエネ!?」
「え? あ……………だ、誰ですか?」
「俺のお姉ちゃん」
「違う」
ネエネは全身を壁から出すと、迷彩柄のコートを脱いで、黒いタンクトップ姿に。仮面を外すと、本人が幾ら否定しても否定しきれない、大好きなネエネの面影があった。
「―――本当は、二度と姿を現さないつもりだった。だがディースからお前のモチベーションに関わるからと説得されてな。あんまり煩いから来た」
「お、お名前は?」
「私に名前はない。いや、覚えてないと言った方が正しいか。色々タイミングはあったが―――元巫女様なら問題ないだろうと思った。シンはまだ脆い所があるからさ。誰かが傍に居てもらった方が良いでしょ?」
無機質で冷たい喋り方が、温かみのある、柔らかい言葉遣いに代わる。間違いない。間違えようがない。やっぱりネエネだ。
「ネエネ、どうして今まで俺の元に来なかったの? 俺は…………俺はずっと、待ってたんだ!」
「ど、どっちなの? 日方にはお姉ちゃんが居るの、居ないの? 分かんないじゃんこれじゃッ」
「居たし、ここに居る!」
「居たが、ここには居ない」
「????????」
「ネエネ! 何でそんな事言うの! ネエネはいつだって……俺の大好きな、ネエネじゃんか」
「違うもんは違う。お前はこんなのをネエネと呼ばないでくれ。今日伝えに来たのはそんな事よりも大事な―――」
「そんな事なんかじゃない!」
不意に、澪雨の方から抗議の声が上がって部屋が静まり返る。布団をぎゅっと握り締めながら澪雨はネエネに食って掛かった。
「私、日方の事何も知らない! お姉さん……なんでしょ? だったら日方を大事にしてあげて! 私ももっと知りたいの、彼の事! こんな泣きそうな日方見てらんないよ……」
「――――――澪雨」
「日方を無視するなら私何も聞きたくない! 悲しい顔なんか見たくないもん!」
ネエネは困り果てて前髪を掻き分けた。イレギュラーな反応と声明に答えを出しかねている様子。俺も……様々な見栄を捨てて、弟として。もう一度尋ねる。
「ネエネ、教えて? 何で俺の所に来なかったのか。どうして変な組織に居るのか。そもそも離れる事になった訳は? 全部……全部教えてよ!」
「…………………………………………どうしてそこまで他人様の過去を詮索したがるのやら。元巫女様に聞く耳持たれないんじゃこっちも仕事が終わらない。分かった。分かったよ……全部話してあげるけど、後悔しないでよ」
「しない! する訳ない!」
「まあ、どうせするから気にしてないよ。シンの事は一番良く分かってる…………気が進まないけど、尊重する。絶対に後悔するし、これを話すタイミングは今じゃないけどね」
自分は姉ではないと言いながら、露骨に俺を気遣う様子がやっぱりネエネっぽい。しかし何故こうも意固地に否定するのかは分からない。何気なく澪雨の方を見ると、腕のガードが緩んでレースアップの白い水着が、零れ落ちんばかりに膨らんだ胸を支えて、谷間を作っていた。
「…………あ、違! ちょ、見ないで! そういう雰囲気じゃなかったじゃん!」
「いや。いい話のきっかけにはなる」
ネエネがフォローを入れるように口を開いた。
「まず私は、そんな風に肌を出したくない。元巫女様と違って貧乳だからとか、そういう理由ではないぞ」
「……?」
タンクトップから見える鎖骨を指さしたかと思うと、そこが人体の構造上あり得ない凹凸を繰り返し、その奔流が身体全体に広がっていく。
「私の身体の九九パーセント、脳も含めて非世界の『蟲』に寄生されている。見た目はネエネでも、もうとっくに―――化け物さ」




