姫様は遊び盛り
「カカカカカ」
「びびびっくりしたじゃないですかあ!」
「ユージンちょっと静かにしてよ」
「いやいやいやいや! いやいやいやいや! 驚くだろこんなの! え? なんで? え!? ええ!?」
バッグの中は無限の空洞であったか。いや、惹姫様に常識を求めるのはどうかしていると思うが、まさか鞄の中から顔を出すとは思うまい。本当に驚いたし、車内で出していい声量じゃなかった。引率……は居ないので、驚いたのはバスを同じくする同学年の者達。
「なんだなんだ!」
「どうしたの!?」
「ごめんごめん! 私がちょっと擽ったらびっくりしちゃったみたい! あはは、だ、だから何でもないわ!」
椎乃が機転を利かせて難を逃れる最中、眠気と引き換えに俺はしばしの放心状態へ。姫様が分離出来るのは知っている。お店で一度分離していた。本人曰く泡影らしいが、それは飽くまであの町に居たからこそ出来たと考えるべきだ。そして出てくるにしても真夜中だとばかり思っていた。そんな今の時間帯は十時を過ぎた辺り。どうみつもっても後十二時間は経たないと真夜中とは言えない。
椎乃が周囲の騒ぎを何とか鎮めると、割と強めの力で頭を小突かれた。
「痛い」
「あんな大きな声出すなんて想定してなかったわっ。いや、私もびっくりししたけどね?」
「え、打ちあわせ済みじゃなかったのか?」
「鞄の中に居るんだったら最初に言うでしょ。驚きたかったけど、声が出なかったの。隣が驚きすぎたもんだからね」
「儂を置き去りカ。悲しいナ」
「……これ、姫様の声聞こえてるのか?」
「知らない……」
「聞こえてはおらぬナ。ごらんの通り儂は闇からひょいと顔をだしただけダ。此度の祭りで儂は随分肉を喰ろうてやった。蟲もな。腹は満ちておる故、ほんの少しかつての力を取り戻せたという訳よナ」
「…………成程。育ち盛りの時に一杯食べたからちょっと大人っぽく成長したと」
「然り」
だから目を合わせられないのか。契約者の椎乃には影響はないらしい。俺はというと、血で作られたような瞳を直視出来ない。見ているだけで心臓が壊れそうだ。手と顔だけが鞄から出ているので服装については言及しにくいものの、血に濡れたワンピースは清潔になって、真っ白になっていた。
「驚いたカ?」
「マジで十分すぎるくらい驚いたので、もう引っ込んでてほしいかもしれないですね」
「しゅん」
特に何事もなく、お姫様は鞄の中の闇に溶け込んでしまった。まさかと思うが、本当に俺を起こしに来ただけ……? 何の裏もなく、単なる善意?
「……ねえユージン。あのお姫様、めちゃ美人じゃなかった?」
「…………えっと。お前のが可愛いっていう場面かここは」
「ば…………」
まさか契約者を前に『殺される所だった』とは言えない。適当に誤魔化したつもりだが、椎乃は顔を真っ赤にしたまま固まってしまった。
気まずくはないが特別どうという訳でもない沈黙から三〇分以上。
俺達のバスはようやく目的地に辿り着いた。
「ようやく着いたか……」
引率の大人が居ない以上、団体行動には何より協調性が必要になる。俺達は平常点の高い選ばれし生徒だから大人が率いる必要はないとの考え方だ。学校として問題がある対応だと思うが、きっとどこかに大人はついてきているだろう。でないとホテルの手続きとかが面倒そうだし。
ただ、一応三年生が居るので、困った時は彼らについていけば問題ない。そして一年生は困ったら俺達二年生についていけば問題ない……問題、ない。
普通ではあり得ない修学旅行に、三年生は異常な盛り上がりを見せている。これ、大丈夫だろうか。
バスの下部に収められた荷物を担いで、ついでに椎乃の物も取ってやる。パンフレット曰く、まずは宿泊先に一度行って、荷物を置くそうな。それからはグループに応じた自由行動。本当の意味で自由とは言い難いが、一応『修学』だ。決してお遊びではない。もしそんな時間があるとしたら夕方に宿泊先に帰って、それ以降になる。
「ふと疑問に思ったんだけど。日光東照宮とか大仏とかある訳じゃないし、グループ行動の意味が良く分からないわね。どうしてだと思う?」
「……いや、俺に聞かれてもな」
純粋に楽しむつもりだったのでそっちの方に思考が冴えていない。平常点で分けている所に意味がありそうだ。それもろくでもない意味が。
壱夏の発言は裏こそ取れていないが、あそこまで平常点に執着する理由だとすれば辻褄が合うのだ。自分の命を守るのは生物として当然の事。多少規範を超えた行いも、命には代えられない。
平常点が関わっている時が大抵ろくでもない狙いがあると見るべきだ。満点の俺には縁のない話だろうが、椎乃や晴なんかは……もしかしたら危ない?
そうなると今度は何の為の足切りだったのかという話にもなってくる。いずれにせよ気をつけた方がいいか。
「ユージン。置いてくわよ」
「あ、人がせっかく考えてやってるのに!」
「うおおお……でかいホテルだ」
幾ら幸福の町でもこんな建物にはお目にかかったことがない。三年生主導の下、俺達はチェックインを済ませて各学年の部屋へ。
一人一部屋なんて都合の良さはないが、人の割り当てに男女の区別はなく、一部男子はそれだけで色めきだっていた。勿論ここも平常点と学年によって分けられている。普通の修学旅行と違うのは参加人数か。
大勢と言っても厳選された生徒達による旅行。一部屋に二人も割り当てられたら十分であった。
「…………奇跡だろこれ」
「……確かにこれは、奇跡ですねー」
俺が部屋を共にする相手は、凛。まさかの夜更かし同盟である。気兼ねない相手と言われたらその通りだし、聞きたい事も色々あった。これ以上ない幸運に恵まれて、さて俺は誰に感謝をすればいいのだろうか。これがムシカゴとは思えない。
部屋の前でバッタリと出くわした俺達は雑談もなく部屋に入ると、荷物を置いてふかふかのベッドに寝転んだ。
「あー。暑いし重いし最悪だー。歩きたくねー」
「…………日方君。事情を尋ねないんだ」
「……聞いてもいいのか? お前の事だから誤魔化しそうだ。澪雨の事となると特に」
「何それ。私がいつ澪雨様の事で誤魔化したの。でも正解。もうちょっとだけ待ってね。ちゃんと貴方には説明するから。もう少しだけ」
体の疲労を羽毛が吸い込んでくれるようだ。無気力に寝転がっていると、ブラウスを胸の先端まで開け放した凛が、俺の上に跨った。
「は、は?」
「脅しのネタ。そろそろ更新しないとね」
「はあ!? ちょ、ちょっと待て、意味が分からない。状況考えろ、もう脅さなくても俺は協力するって!」
「そういう意味じゃ、ないんだ」
ベッド以上に柔らかく温い感触がゆっくり胸元に降りていく。壁で潰れた柔らかさは上に隆起して、俺と凛の間に豊満な谷を作り上げた。
「今日、暫く振り回したいの。これはその保険。従わなかったらまた写真でもばら撒こうかな」
「…………」
こうなっては打つ手がないと目を瞑って受け入れる。しかしいつまで経ってもシャッターの音はしなかった。
「……今だけなんだ。澪雨様の目を盗んで貴方と話せるの。だからお願い。今日一日の暫くは。私の物になって? ……お願い、悠心」




