過去がお前を殺す為
夢の中に不測の事態は発生しない。人っ子一人すれ違う事なくディースの家に到着した。彼女の家は立ち並ぶ民家の中に紛れており、存在を知っていなければまず分からない。今までも実は俺が知らなかっただけで、何処かですれ違ったりしていたのだろうか。
「意外と部屋綺麗だな」
「意外とって何だよ。僕に掃除が出来ないイメージがあったなんて心外だな」
最初に目についたのが外れかかったカーテンなのだから俺に責められる謂れはない。むしろ床にはゴミ一つ落ちていないのに、何故カーテンだけは外れているのか。ここが夢の中だという事を加味しても尚良く分からない。本当に現実そのままという事を示しているのか。
「夢の中だからいいけど……流石に警戒しなさすぎだろ。女性が男性を連れ込むとか」
「そういう良識をまだ持ってくれているんだ。本当に何というか……一般人だな。まあいいけどさ、そこは安心してよ。僕は男だから」
…………
「え? お、男ぉ?」
「そう言えばデスゲームでは君のクラスメイトに言い寄られていたね。悪い気分じゃないよ。勘違いしてくれた方が僕も仕事が出来るからね」
「ええっと……心が女子とかそういう事じゃないんですね?
「だったら、わざわざカミングアウトする? しなければ、こんな風に君を誘う事だって出来るのに」
くびれを捻り、男性にしては大きなお尻を突き出してふりふりと見せつけるディース。先に種明かしをしたのに、よくそんな行動がとれるものだ。恥ずかしくないのだろうか。「まあお茶でもどうぞ」と夢なのに紅茶を出された。一々夢だと自覚しないと忘れそうになるくらい現実そっくりだ。窓には暴雨が打ち付け激しい音と共に家を揺らしている。こんな悪天候だが、現実の俺は晴天と共にバスに揺られている筈。
「じゃあ女装は何で? 趣味ですか?」
「趣味って言うか……僕の同僚にクソみたいな奴が居てね。うちの組織は扉一つ通るにも認証が必要なんだけど、そいつが僕の個人設定の性別を女にしやがった。認証判定は面食いゴミAIが担当してるから僕は女性っぽく振舞わないと仕事が出来ない。そうしないといけないのを良い事に裏工作を任される。ハニトラとか、性別で仕切られた場所への潜入とかね」
「うげえ…………」
それだけで彼女もとい彼の苦労が分かる。詳しい説明なんて要らないだろう。女のフリをしながらそういう場所に入らないといけない……性別を偽るだけでも地獄なのに彼の口ぶりでは命の危険がありそうな感じだ。俺にはとても真似できないし、そもそもそんな場所からは逃げ出す。
「……そう言えば、ネエネは何で逃げないんだ?」
「ん?」
「強いんだったよな。出鱈目な強さだって。だったら逃げて、俺の所に戻ってこられるんじゃ」
「……あー。うん。そうか。ごもっともな考え方だ。しかし根本的な誤解がある。君のお姉ちゃんは戻らない。戻れない理由がある。僕も聞いてないよ、でも何があっても君の元には戻れない。そういう約束だってさ」
「約束? ディースの組織って悪質な契約で雁字搦めにしてくるタイプの奴なのか?」
「してくるかもしれないが、君のお姉ちゃんは質感非世界唯一の完全な帰還者だ。好待遇・好条件は当たり前。協力してくれなきゃ困る。組織についてはここじゃ話せないけど……次会った時に僕の死体を見たいなら話は別だが。そうなる前にこちらから一つだけ質問をさせてもらおうかな。元々この話をしたかった」
ディースは黒手袋を外すと、机の上で手杖を組んで顎を乗せる。スーツを着て厳かな雰囲気も程々に、裏組織の人間っぽい!
―――こんな感想でいいのか?
何故当事者が空想寄りの印象に寄せるのだろう。
「君は木ノ比良澪雨をどうしたい?」
「…………どうって。どうって?」
「今後というか、組織的には処遇というか。彼女は既に巫女ではない。誰かがあの瞬間、新たにムシカゴを作ったんだ。よって、これまで続いてきた負の遺産は全て彼女個人に眠っている。問題は、それがいつまた爆発するかこちら側からも予測不可能という所だ。今は君のお姉ちゃんが会議を止めてるから保留だが、僕はね。君が決めるべきだと思ってる」
「俺……が。俺よりも適任が居ると思うけど。凛とか」
「いいや、君だ。君は他所から来た人間で且つ、後ろめたい事情が何処にもない。特別な出自がある訳でもないし、君自身に強力なコネクトがある訳でもない。なのに君は選ばれた。巫女様の夜遊びに招かれた。こういうの四字熟語では何と言うんだったか……とにかく、そこには僕らのように性格の悪い奴らの介入はなかった。純然たる幸運だ。そんな君に、僕は判断を委ねたい」
澪雨をどうしたいかって。
その口ぶりでは、俺が何も選ばなかったら処分されてしまうのだろうか。話を聞くに今のアイツは爆弾だ。いつ爆発するか分からないなら一秒でも早く処理をする……正しい判断には違いないのだが、俺にとっては知り合いだ。それも、割と親密な部類の。
―――アイツの事、何も知らないんだよな。
木ノ比良の歴史もそうだが、何も知らないからこそここまで親密になれた可能性はある。だが何も知らないままでは決断が出来ない。『救う』とか『助ける』とか。言うだけならタダだ。具体的な方法を示さないとディースは納得してくれないし、組織の上層部も当然納得するまい。
「考えさせてくれ」
「へえ。安易に助けるとは言わないんだね」
「それで助けられなかった時、一番後悔するのは俺ですよ。流石にもう引っ越せないし…………」
俺はアイツの過去を垣間見た。
アイツの辛さを味わった。
破滅願望を、知ってしまった。
俺は自分の身勝手で変なお姫様と契約し、椎乃を生き返らせた。それはいつまでも続くかどうかわからない。姫様の気分次第で終わるかもしれないし……俺が飢えを満たせなくなったら破棄するだろう。文句を言う筋合いはない。約束を果たせないだけのこちらが悪いのだから。
それで、椎乃もたまたま生きる事に前向きだったから良かったが、今度はどうだ。また身勝手で助けて、生きていて欲しいと願って。澪雨はどう思う? 彼女の真意を何も知らないままそんな事をすれば、いよいよ取り返しがつかなくなる。
生きていて欲しいは俺のエゴであって、生きていればいい事があるなんてのも嘘だ。むしろ澪雨は生きているだけで周りを幸福にする代償に、自らを苦しめている。俺は既に喜平を殺した。今後生きていると都合が悪いというだけで。たったそれだけの理由で殺した。
もう身勝手は十分だろう。
生かして殺して。これ以上は強欲だとは思わないか。神様にでもなったつもりなのか。俺は所詮、好きだった子が他の男に靡いたくらいで心が折れる様な弱い奴なのに。
「今回の旅行で、頑張って確認します。答えはそれからで」
「…………そうかい。そういう事なら分かった。サプライズをくれてやろう」
「サプライズ?」
「海と言えば……水着。まあ楽しみにしておいてよ。ふっふっふ」
ディースが緩やかに手を振ると、次第に視界の端から白くなってきて―――。
「ユージン。おーい。おーい」
「………………ん」
目が覚めると、俺は何故か椎乃の太腿の上で眠っていた。
「……え。俺そんなに寝相悪かったか?」
「あ、いや。まあ、その…………そ、そうよ。寝相悪かったの。何もしてないわ」
身体を起こすのにも一苦労だ。倦怠感とほんの少しの満足感。それに……どれだけ彼女の膝枕に頼っていたか知らないが、柔らかさの残滓が頭に残っている。レースのサイハイソックスと生足の中間は、思いのほか心地よい寝具だった。
「パーキング過ぎたけど。トイレ大丈夫?」
「…………あーマジか。今何時だ?」
「十時ちょっと過ぎたくらい。もうすぐ目的地自体にはつくらしいわ。もうすぐって人によるから五分とかではないけど」
「そうか。因みに凛は起きたか?」
「起きたみたいだけど、特に変化はないわ。話しかけてみる?」
「いや、やめとくよ」
然るべきタイミングというのがある。腐っても夜更かし同盟だ、その辺りは慎重に行おう。耳を澄ませると、確かにギャル凛とクラスメイト、別クラスの奴の笑い声が聞こえてくる。外面だけでも元気そうなのは良い事だ。
「まだちょっと眠いな。椎、驚くような事してくれ」
「ええ、急に無茶ぶりするの!? うーん…………」
「儂を呼んだかナ?」
椎乃の鞄からひょっこりと両手と顔を出したのは、椎乃の面影もなく成長した惹姫様だった。
「うわあああああああああ!」




