コドクを強いた末路
「ネエネ! ネエネ!! 待ってネエネ!」
狂ったようにドアを叩くが、エレベーターは戻る事を知らない。『%F』が何処なのかも分からなければさっきの階が何処かもはっきりしない。
「ネエネ! 待って 置いてかないで! おれを一人にしないでよお!」
全て納得がいってしまった。あの不審者が何故俺に肩入れするのか。俺にとっては味方で、俺達にとっては敵じゃないなんて妙な言い回しをしたのも。確かに職務とやらはあるのかもしれない。それは間違いないだろう。でなきゃあのネエネが姿を隠す様な事をするとは思えない。
だからそれはそれとして。個人的に俺を助けてくれていたのだ。
流石に昔と比べて背は大きくなっているどころじゃない。高校生の俺より高いなんて。俺が夜更かしのせいで身長が伸び悩んだ事を踏まえても、気づきにくかった。うちの高校に長身女子はいなかったし。
大好きな人に会えて嬉しくないと言えば嘘になるが、ネエネを―――名前も知らぬ最愛との邂逅は、トラウマを刺激される以上に、辛かった。
「ネエネエエエエエエエエエエエ! うわああああああああああああああああん!」
精神はあの日へと逆行し。築き上げた強さが。『アイツ』が何より俺に求めた男らしさが。崩壊していく。たとえ目の前に晴や椎乃が凛が居ても、俺は泣くのを止めないだろう。会おう会おうと思っていて、それでもあきらめていた。
それがまさか。こんな身近に。それもずっと俺を助けてくれていたなんて。そんな大好きなネエネの事にも気づかないで。俺は。
「繝阪お繝阪r荳也阜縺ァ荳?逡ェ螂ス縺阪↑縺ョ縺ッ菫コ縺ェ縺ョ縺ォ繝阪お繝阪r荳也阜縺ァ荳?逡ェ螂ス縺阪↑縺ョ縺ッ菫コ縺ェ縺ョ縺ォ繝阪お繝阪r荳也阜縺ァ荳?逡ェ螂ス縺阪↑縺ョ縺ッ菫コ縺ェ縺ョ縺ォ」
菫コ縺ェ縺ョ縺ォ!
菫コ縺ェ縺ョ縺ォ!!
名前も知らない、過去も知らない。それでも俺はネエネが大好きだ。気づかないなんて……最低すぎる。
素顔を見たら後悔する? 流石ネエネは俺の事を良く分かっている。とてつもない後悔だ。こんな無力感はない。こうなると分かっていたなら俺は顔をみたくなんかなかった。ネエネの存在は思い出のままで……それで、良かったのか?
エレベータが開くと、外の景色が見えた。ここは何処の建物だろう。恐らくマンションの一角……外に出てみたが、普通の世界だ。ネエネの所に戻ろうとエレベーターに戻ると、『%F』はなくなっており、パネルの全てが正常なただのエレベーターになっていた。
「………………会いたいよ、ネエネ」
他の全てがどうでも良くなってしまうくらい、強烈に焦がれている。きっとまだ俺を覚えていてくれた事に。まだ俺より背が高くて、あの日を思い出す様に。
―――言う通りにしたら、また会える?
こんな所でしょぼくれていても仕方ないのでは。エレベーターは動いてくれたが、それは二階が一階に移った程度の現実的な変化で。質感非世界に舞い戻る挙動ではない。そうと決まれば話は簡単だ。早く椎乃と凛と澪雨と晴を……探さないと。
「み゙を゙ざ゙ま゙」
しゃがれた声に背筋が凍る。マンションの外へ出ると、老人が道路の上にしゃがみこんでいたのもそうだが、そう言えば空も真っ暗だ。時間の流れが違うという言葉を思い出して携帯を見るも電波が通っておらず、異国は『四時四四分』を示したっきり動かない。一分待って確認した。
「何が……起きて」
季節は夏。どんな悪天候でもここまで暗くはならない。、まるで深夜の様じゃないか。分かりにくいが前述の四時とは十六時の事なので、午前四時という意味ではない。老人に近づいて声を掛けると、彼は喉を握り潰そうとしながらこちらを向いて、仰向けに倒れた。
「ごへ! ぐえ! げえええええ!」
姿勢が災いし、気道を確保しようとする身体が咳を誘発。どす黒い血が道路に飛び散り、付着する。血走った目からも出血しており、もうその命は長くないだろう。もし俺が救急車を呼んでも同じ事だ。
それでも呼ぶのが良識というものだが、そもそも電話が繋がらないし。それどころじゃない。
「どごにぃ……………げば!」
老人の両目が大きく膨らんだかと思うと間もなく破裂。割れた眼球からわらわらと湧いて出て来たのはムカデやらゴキブリやらカナブンやらありやら有象無象の虫達だ。虫そのものに苦手意識はなくとも、唐突にこんな状況に置かれたら誰だって狼狽えるし、俺は質感非世界のせいでかえって受け入れてしまった為に、真っ先に逃げるという選択をした。
「う、うわああああああああああああああああああ!」
あの虫に触れたらいけないと。そんな気がしている。そもそもここは何処だ。町内だとは思うが、祭りの会場は……いや、あの神社を目印にすれば探しやすいか。
「パパ! どうしたの!?」
「ご…………うう。は、離れろ! 駄目だ! 熱い! あ、あああああ…………
「あなた!」
会場は近づいてきていると思う。帰路についていたであろう親子三人組が道路の端で固まっていた。遠目から見るに父親が胸を押さえて喀血している。皮膚は目に見えて変色し、髪は散髪と呼ぶには過剰な勢いで抜け落ちていく。
「胸の病気!? でもそれって、この町に来てから治った筈じゃ……」
「………………いあ、………………ぁ」、
「……………パパ? ねえ、パパってば。ねえ、ねえええええ! ぱあああああぱあああああ!」
父親の方が、息絶えた。
子供は死体にしがみついて泣き喚いている。叩けば起きると言わんばかりに頭を叩いており、母親の方は止める事もせず、心労に堪えかねてこちらも嗚咽を隠そうともしない。二人の横を通り過ぎるおは何だか気まずいと思い始めていると、マンションから落ちて来たコンクリートが母親の頭部に直撃し、即死。
ゴッガッ。バキガンなんて。どこもかしこも壊れた様な音が鳴り響く間に、人が死んだ。子供は自分の泣き声の大きさに耳をやられているのか気づいてもない。
―――何が、何が起きてるんだ。本当に。
直ちにこの場を去るべきなのに足が動かない。ふと、子供が静かになった母親を不審に思って振り返る。そこに居るのは頭部をコンクリートに砕かれた母親の死体と、その主犯であるコンクリートの破片。
「……………………」
頭から血を流している。割れた頭部が開き、てらてらと赤い血だまりを輝かせている。子供の方はそれを認識出来ていないのか。ちょんちょんと母親をつついて、反応を確認していた。
「ねえ。ママ。ママぁ?」
「………………………………ママ」
壊れた機械の様になってしまった子供を通過してまで、何とか会場に到着したが、文明から光が失われると夜はこんなにも暗いのかという事実を再確認中だ。ああこれは―――夜更かしの時はいつも思っている事だが。
異様なのは、屋台が残ったまま片付ける様子もなく、また人も居ないという所か。ゴミ箱はきちんと設置されているのに辺りには串だのアイスの棒だのビニールパックだのがポイ捨てされており、また踏みつけられてもいる。マナーがどうとかいう問題じゃない。何かあったのだ。
「椎! 凛! 晴! 居るか!」
携帯のライトを頼りに会場内を散策していくが、一向に人気が感じられない。いっそ神社に行けば見つかるだろうか。だがそれは早計だ。まだ全体を探し終えていないならまずはそこを潰した方がいい。特に凛があの神社に行っているとは考えにくいし。
「やだやだやだやだ! ちょ待って―――やめろ! 私に触らないで!」
―――壱夏?
アイツもこのお祭りに参加していたのか。平常点が欲しいなら納得だが、会場内で声を掛けてこなかったのは優しさだろうか。何かに追われているらしかったので手を貸そうと思ったが、追いかけている途中でまた別の方向から違う声が聞こえた。
「美味や美味や。線まで美味やヒトの身体は」
――――――。
張りつめていた緊張感が、一気に薄れる。まだ正体は確認していないが。何だろう。超能力にでも目覚めたかもしれない。俺には彼女の正体がわかる。ライトを消して歩いて近づいていくと、無数の何かがひしめき合う音をも貪る勢いで、聞き覚えのある声が露骨に喜んでいた。
ライトを照らしてみると、案の定それは椎乃。
「何してるんですか」
もとい、惹姫様。憑巫の身体を乗っ取っているので見た目は椎乃だが、そこに転がっている死体を頭から丸かじりしているので確定だ。緒切椎乃にそんな倒錯した趣味はない。俺の声に気づいたお姫様は食べるのをやめると、立ち上がって俺の方を向いた。
食べかけの死体なんぞ見たくもないのでライトを消すと、真っ赤な瞳が暗闇の中でハッキリと輝いている。
「食事だガ。やはり祭りとはこうでなくてはナ。奴が来ない内に早く食べねばならぬナ。しかし、生で食べるのもそろそろ飽きてきタ」
「…………人間の死体に調理法もクソもないでしょ。まず食用じゃないですし」
「そうとも限らないナ。ことこと煮込む」
「ことこと煮込む!? いや……違う違う違う。まだ夜じゃありませんし。勝手に乗っ取らないで下さいよ。椎が可哀そうでしょ」
「『感染』中だ。同じ事ヨ」
「『感染』? ―――痛ッ!」
暗闇の中で不意に手が痛くなったので慌ててライトをつけると、複の袖から這い出て来たムカデが掌の中心を切り裂いていた。切り口から出てきたのは血液ではなく、無数の虫だ。それこそさっき見た様な多種多様な虫が一斉にワッと飛び出してきて、地面にぼとぼと落ちて広がっていく。
「うきゃああああああああ!」
慌てて手を振って虫を吐き出そうとするが逆効果だ。一部の虫は腕に沿って服の中に潜り込み、進路を開拓していく。
「いやあああいいあやいいあやいやいあいあやいやいあいああああああああああ!」
「慌てるナ」
惹姫様は俺の身体にしがみつくと、甚平の上から噛みついて、虫を舐め回すように食べ尽くす。
「我が従者の身体は巫女如きに渡さぬナ。少しばかり、大人しくしていロ。儂はまだ、空腹ダ」




