仮面の下の
思えばこの不審者とじっくり話をする機会に恵まれたのは初めてだ。大抵は一方的にアドバイスをされるか、それどころではないか。デスゲームの時は別の部屋だったし、合流した時にはやっぱり気掛かりな事が多すぎたし。
仲良くなろうとは思わなかったが、不審者はかなりここの事情に精通している様なので、何とか情報を引き出したい所だ。まずは長年の疑問を……いっそ本人に聞いて、解決させてしまいたい。
「性別どっちなんだ?」
「…………性別?」
「肉体的な話だぞ。ボイスチェンジャーで声も分からないし、身体も全体的に隠してるし全然分からない。それくらい教えてくれよ」
「私にディースくらい分かりやすく振舞えとでも言うつもりか? そんなのは想像に任せる。どっちであってもお前に不都合はない筈だ。それよりもこの場所について気を張った方が良いぞ。さっきも言った通り、安全じゃない。お前はな」
「そういうアンタは?」
「私は……そうだな、これくらいは教えてもいいか。そもそもこの質感非世界は意図的に誰かを招く事はない。基本的にはな。たまたま現実に穴が出来て、その穴に入り込んだ先がここになる。だからこの場所も、他の非世界も、脱出は想定されてない。出ようとしても別の非世界に移るだけだとさっき言っただろ。データ上、現実に帰還出来た人間の殆どは精神異常、大部分の欠損を抱えて、間もなく自殺している。私はその不幸な生存者の中で唯一五体満足で帰ってきた存在だ。そういう仕事だったんだがな。全ての非世界を体験した上で解明した。だから『制覇者』とも呼ばれている」
「制覇者…………調べても何も出てこなさそうだ」
「同僚や上にそう言われてるだけだからな。全ての非世界を渡り歩いた恩恵か……いや、この説明は後にした方が良いな。今しても実感がわかない」
「―――何の仕事だよ。危なすぎるだろ。裏バイトみたいな……」
裏バイトとは言うものの、その存在が確認できた事は一度もない。高時給とか簡単とか色々聞いたが、聞けば聞くほど眉唾というか。
今は一千万円があるので気にしていない。綺麗な金だといいが。
「仕事は仕事だ。危ない仕事は幾らでもあるだろう」
「……死ぬのが怖くないのか?」
「……怖くないとは言わんがな。私には命よりも大切なモノがある。それを守る為なら惜しくない」
不審者はそれ以上己の事情を語ろうとしなかった。
無言の時間は不思議と気まずく感じない。
ただしこの下水道みたいな場所をゴールも分からぬまま歩き続けるのは精神的に辛い物がある。歩いていると突然壁に穴が開き、水が流れ出てきた。
「避けろ」
「え」
反応する間もなく、蹴り飛ばされる。俺が立っていた場所に水のアーチがかかり、不審者はその死角をそっと屈んで抜けた。
「痛……くなかったけど。何するんだっ」
「ここは現実じゃない。だから物理法則も中途半端だ。そして現実とは違い、全く別のルールが適用されている事もある。伝え忘れていたのは私の落ち度だ。すまないな」
現実と違う事については、突然湧いて出て来たパイプと、そこから流れてきた水が証明している。液体のアーチは慣性に押されて成立しているかと思ったが、よく見ると水は自らの意思で動いており、俺の身体が近づくとその方向に向かって流れが変わるではないか。
「まずこの水は、触れるな。より正確に言うと体内に取り込むな。体内に入れないなら触ってもいいが、皮膚から浸透するからお前には無理だな」
「何でだ?」
「まずこの水は肉食性だ。一度水に触れた個所は骨になるまでしゃぶられる事になる。時々赤い水が流れる事があるだろうが、それはまだ消化しきっていない誰かの肉だな」
「…………ちょっと待ってくれ。水が肉食性ってのが良く分からないんだけど、それよりも誰かの肉って事は―――俺達だけじゃないのか? ここに居るの」
「居るかどうかは知らないが、世界中の〇.一%程の行方不明者はこの質感非世界に落下していると言われているな。ここじゃないかもしれないが、ここにもいるかもしれない。他の奴を助けようなんて考えるな。お前は、自分が戻る事だけ考えろ」
不審者の発言は冷たい様な、ある種の諦観とも取れる寂しさがある。俺にはこの世界の事も不審者の事も何一つ分からないが、コイツが悪い奴じゃないのは分かる。何度も俺を手助けしてくれたのだ。見た目は怪しすぎるが極悪人ではない。
俺を助けるというくらいだから、不審者に従えば出られるのだと思う。だが、何の関係もない一般人がそれを出来るかと言われたら微妙だ。安全らしい風船の世界だって最初に連れてこられた時は困惑した。こんな下水道に突然落ちたら誰もまともじゃいられない。そんな時に白いコートを着た仮面の奴が出てきたらやっぱり信じられない。
下水道の道のりは単調で、ただ複雑にすれば面白いと思ってる迷路みたいだ。時々壁に穴が出来て水が流れてくるのを除けば、特に危険性は……
「ここはあまり長居すると水が氾濫するから早く出ないといけない。モタモタするなよ」
「……この水にさえ気をつければ後は良いのか?」
「…………ああ、すまない。水に関してもう一つ説明を忘れる所だった。この水には同じ水に作用する磁力に近い性質がある。手足を喰われても生きてるならまだマシという考えは危ない。しゃぶりつくされればそれまでだが、その間磁力は働き続ける。私達が歩いてる場所は安定した平坦な地面だが、それでも極端に重心が傾いたらこの水の中に落ちてしまうな。まだ水路にある水は浅いが、初期状態でも横になった大人を覆えるくらいの深さはある。後は分かるな?」
「磁力で引っ張られるから自ら起き上がれなくて溺死…………?」
「身体を喰われながらな」
「やっぱり…………見た事あるのか?」
それとも、突き落としたりしたのか。
不審者は答えなかった。
「水についての説明はこれで終わり……おっと」
今度は不審者の足元に穴が出来てそこから間欠泉の様に水が噴き出したが、穴が生まれたと同時にステップを刻み、同時に俺の手を引いて距離を取った。
「顔を隠してるから気付かないか。仕方ないな」
「…………え?」
「――――――私は世界で初めてすべての非世界を体験し、帰ってきた。それに対する祝福というべきかな、こういう非世界における敵対的存在は、私にだけ友好的になってしまったんだ。だからお前にした説明は全て括弧でただし私を除くという言葉が入る。もし見た事があるとすれば、そんな私を遠巻きに目撃して、じゃあ自分も大丈夫と思った愚か者が居たんだろう」
居たのか。
角を曲がると、下水道の隅っこに子犬が蹲っていた。
「え?」
「――――――逃げるぞ」
急速転進。不審者は首をへし折る勢いで俺の身体を振り向かせると子供の様に抱え上げて水路を跳躍。犬が反応を見せるより素早く音を立てて走り出した。
「なになになになに!」
「声を出すな。目を合わせるな。水より先に説明すべきだったかもしれない。ここの敵対的存在はあれだ」
「――――――!」
そんな事言われたら、言い出せない。
犬の背中を切り開く様に現れた大きな目玉と、ばっちり視線を合わせてしまったなんて。
「町の皆さん、澪雨様の捜索にご協力下さい!」
「巫女様が消えたのじゃ!」
午後四時。
お祭りの様子が、おかしくなってきた。アイツ、こっちの処理が面倒だから逃げたよね、絶対。同じ組織の人間として心底軽蔑するよ。僕のか弱さを知っててやったのか。
「ねえ、お姉さん暇? 一人? もし一人だったらどう? この祭りの間だけでも」
「ごめんね。用事があるからさ……」
町内会の人間が恥も外聞もなく木ノ比良澪雨の捜索をしているのに、お気楽にナンパなんてしちゃって。僕はそれでもしつこく食い下がろうとする男性の手をひらりと躱して雑踏の中に逃げ込んだ。この町の実態は蟲毒の加護に基づいた閉鎖社会だけど、地理的には閉鎖なんてされてないから外部の人間も居るのか。
「…………あの、緒切先輩! なんか空が……暗くなってませんか?」
「そりゃ、もう夕方だからね……って。本当だ。ユージンも澪雨も何処行ったのかな……」
「…………ミオミオは何処行ったのかにゃ~」
見守る様には言われてないけど、こうなるんだったら守らないと面倒だ。僕は無線機の電源を入れて連絡をしようと思ったが―――電波が通じなくなっている事に気づいて、やめた。
手遅れか……




