善意に濡れる姫の血肉
更新遅れてすみませんでした。
「~♪」
ただただ赴くままの澪雨に手を引っ張られる事二十分。会場からどんどん離れているし、人気も全然なくなっているが本当にいいのだろうか。
「なあ澪雨、何処まで行くんだ?」
「内緒♪ ふふふ。大丈夫、危ない事なんてないよ」
何処へ行くつもりか知らないが、たくさん食べていた事が結果的に功を奏していた。左目の代償は気にしなくてもよさそうだ。首の痣は……良く分からない。あの影の仕業なら、これからはあまり気にしなくても良いのだろうか。
「どうかした?」
「……首の痣がちょっと気になる。お前も背中の百足みたいなの気にならないのか? 俺の記憶が正しければ痣が疼く時、お前だけ特別痛みが強そうだったぞ」
「気にしてても、仕方ないでしょ。だって治し方も分からないし」
「…………なあ澪雨。お前の家で怪異毒みたいな文字は見かけなかったか?」
「怪異毒? …………無かったと思うけど。お父様が他に資料を隠してる可能性は大いにあるから、絶対は言えないけど。もしかしてそれがこれの正体なの?」
「いやー詳しくは聞けてないから何とも言えないんだけど………………目的地に着いたら黙るからさ。それまで俺の話に付き合ってくれないか?」
「それは、もう全然。新しい情報があるなら教えて欲しいくらいね」
「本当に俺達についた痣って、同じ所から来てるのか?」
ずっと引っかかっていた。
『首枷の契り』とやらが、その正体で良かったのかと。誰も何も詳しくないから当初はその仮定を真実として歩くのは正しかったが、俺はここに来て惹姫様という情報提供者を手に入れた。あの腹ペコワガママお姫様は明らかに有力な情報を握っている。だからたとえ人の道に反したとしても情報を得る為、何より椎乃を生かす為。俺は死体を手に入れないといけない。
それはさておき、情報だ。『首枷の契り』と『怪異毒』はどうも話がかみ合わない。全く違うとまでは言わないが……どちらを信じるかどうかの話になるのだろう。澪雨を疑っている訳ではないが、惹姫様が嘘を吐いているとはどうしても思わないのだ。そんな知性があるとさえ思っていない。
ならば勘違いじゃないか、というのが俺の仮説。惹姫様は椎乃を憑巫にしているのだから凛や澪雨の事情もある程度知っている筈だ。それなのに敢えて俺の痣を怪異毒と言った。凛も澪雨も同じならお前達と言ってもいいのではないか。
「…………違うとしたらさ、ちょっと絶望的だよね」
「本当にそれぞれ別なら三通りのそれぞれの原因を探らないといけないからな。一緒なら俺も良いと思うでも話はそんな簡単じゃ無さそうだ。俺達に都合が良かった事が過去一度でもあったか?」
「ついたッ。ここだよここ。この家の中!」
それは、家というより、小屋。トタン屋根が被さっているだけの立方体と言えば分かりやすいか。これを家とするならそれは貧乏エピソードが盛り上がるタイプの芸人が話に出すようなレベルだ。周囲にはこれよりも立派な家が幾つもある。そしてここが、本当に楽しいのだろうか。
「誰にも教えてない?」
「うん!」
「秘密の場所?」
「うん!」
澪雨は目を輝かせている。
―――マジで?
「先に入っていいよ。ううん。先に入って? 日方もきっと気に入るよ。凄くいい場所なんだから」
「…………ちょっと待ってくれ。少し凛」
「七愛に教えないで」
携帯を取り出したかと思うと、澪雨は直ぐにそれを取り上げて、袖の下に隠してしまった。
「あ、おい 泥棒!」
「中で返すよ?」
嫌な予感がしたからこうしてごねているのだが、携帯を取られた以上俺に出来る事はない。諦めて扉を開くと、
「………………は」
家の構造に反した直線の廊下。その奥にぽつんと広がる六畳間があった。
自分の眼が信じられなくなって、もう一度家の外周を見て回った。何だか最初に夜の町へ出た時もコンビニや校舎に対して同じ事をした気がする。取り敢えず外観だけでも把握したい癖でもあるのか、俺は。
何処からどう見ても、立方体だ。ここは降雪地帯ではないが、雪が降ったら真っ先に潰れる様な作り方をしている。澪雨は玄関から動こうとしない。何としてでも俺を先に入れたいようだ。
―――惹姫様。聞こえてるならちょっと椎乃辺りを呼んで欲しいんですけど。
返事がない。ただのポンコツの様だ。
諦めて玄関まで戻り、物理法則に反した家の中へと足を踏み入れる。気のせいかもしれないが、デスゲームの時も直線の廊下を歩かされた。この家は行き止まりが見えているだけマシだ。何か命に関わる事が起きるとは思わない。
六畳間に辿り着くと、何となしに窓に視線がいった。今は昼の筈だが、どうした事だろう。外は尋常ではない漆黒に包まれている。後ろの方で、玄関の鍵が閉まる音がした。
「はいこれ、携帯」
施錠音に振り返っただけだが、至近距離に立っていた澪雨が携帯を差し出してきて、仰け反った。音もなく近づいてくると如何に彼女が美人でも怖いものは怖い。何か細工をされたのではと確認したが、パッと見た限りでは変化が分からなかった。
「そう言えばね、随分約束が違う事に気づいたんだ」
「約束が違う……?」
「私、日方と夜の町に出る約束をした。脅迫込みで。一緒にって……二人きりって意味で言ってたの。だから最初から約束に反してたよね。貴方は気にならなかった?」
「……別に?」
本当に微塵も気にならなかった。当時の俺はむしろ脅迫のせいで動揺していたので気が回らなかったとも言う。澪雨はゆっくりと俺の周囲を回りながら、言いたい事を言い続ける。
「七愛は私の護衛。だけどあの時は要らなかった……あの子の方から同行を持ち掛けてきたの。それだけなら良かったけど…………椎乃ちゃんが、来ちゃった」
「俺のエゴでな」
「日方、椎乃ちゃんの事どう思ってる? 好き? 嫌い? 好きだったら何が好き? 見た目? 性格? それともスタイル? 或いは教養?」
「…………男子にその質問はご法度だろ。お前も大概お姫様だな。嫌いな所はない。苦手っぽい所は結構あるけどな。そこも含めて好きだよ。じゃなきゃ女友達になんてなってないし一緒にゲームもやらないし、同じベッドで眠ったりもしない」
「そう、それ!」
澪雨の眼が血走る。さりとてそれは血管が広がるという意味ではなく。血管で形作られた様な百足が、眼球の中から一斉に逃げ出したという意味だ。
「日方、私や七愛にはそんな真似した事ないよね? どうして?」
「凛はまあ……脅迫に使われそうだし。お前はそもそも駄目だろ。日中じゃ会話すらしてないし、お前を動かすのも易くない。泊められるか」
「私って、そんなに魅力ないかな」
「そういうんじゃない! 明らかにリスクが高すぎるって話をしたいんだよ俺は! お前はみんなの巫女様だろ! お前と一緒に眠りたい奴なんか大勢いるだろうけど、そこまでのハード…………る………………が?」
それは兆候のない手足の痺れ。瞬く間に身体へ広がり、全身の筋肉へ。平衡感覚もままならず崩れ落ちると、澪雨がやや大げさに俺を抱きとめて―――無抵抗な俺に、唇を重ねた。
「な。にを」
「私、もう飽きた。町の巫女なんて良い事が何にもないの。だからそろそろ、放り出したくなってきちゃって」
澪雨は再度俺から携帯を奪い取ると、その電源を切って、部屋の隅に置いた。
「私ね、日方の善意が凄く嬉しかった。私の頼みを聞いてくれる。巫女様としてじゃなくて、対等な関係で話してくれる貴方が―――だから、甘えたくなっちゃった♪」
身体が痺れて動かないだけで、意識はまだ正常だ。視界の中心に澪雨が立って、何とおもむろに着物を脱ぎ始めた。慌てて目を瞑るが、衣擦れの音だけが耳に残る。着物って自分の力だけで着られるのだったか?
「な……なにして。るん。だ」
「楽しい事の前準備? 人生で生まれて初めてなの。七愛もお父様もお母様も他の町の方々も一切気にしなくていい……そんな夢の様な時間は。せめて、二人で過ごしたい。二人だけで」
「きっと気に入るわ。日方も楽しくて。抜け出せなくなる!」
その。刹那。
俺の身体は。『 』から崩れ落ちた。




