第玖集
「な、なんだ、ここ……」
外は土砂降り。雨でふやけた烏帽子を脱ぎ捨て、紐で髪を結い直す。
家を出発してから数時間後、林で見つけた痕跡を追い、わずかに漏れ出す瘴気の強い方へと歩を進めた結果、見つけたのは大掛かりな研究施設だった。
各部位に切り分けられた妖魔の身体は、まるでひき肉にするかのように機械で粉砕され、体液と乾いた肉片や骨片に分けられていく。
液体も身体の粉末も一キログラムずつに瓶に収められ、白衣を着た人々がそれぞれの瓶にラベルをつけたあと箱に詰め、台車に乗せて各部屋に運んでいく。
その先は覗くことが出来なかったが、察しはついた。大人が見るような社会派の科学番組で見たことがあった。
(もぐりの製薬工場だ……)
古来より、生体物質の中でも骨や脂肪、胆汁や分泌物は生薬として使用されてきた。
この工場は、それを妖魔の身体でやろうとしているのだ。
いや、すでに出回っているのだろう。だから下位の文官が戦場で濃い瘴気の中でも平気で呼吸できたのだ。
(一体、どんな効能があるんだろう……)
どうにか薬の一つでも手に入れられないかと、工場周辺を覗いていたところ、何かの掛け声のようなものが聞こえてきた。
(運動場か? 福利厚生の一つって感じなのかな……)
香砂は雨の中水音を立てないよう慎重に運動場へと向かった。
(……魔法だ。人間が魔法を使っている。そういうことか……)
運動場に広がっていたのは恐ろしい光景だった。
陰陽師でも魔法使いでもないただの人間が、魔法を使っているのである。
(……あの武官! このあいだ、戦場にいた……)
たしかに、あの時点ではただの人間だった。魔力もなにもない、ただ武芸が優秀な武官。
参加者を見回してみると、そのほとんどが顔見知りの武官だった。
(でも、何のために? そもそも、門を開けなければ妖魔と戦う必要なんてなかったのだから、魔法もいらなかったはずじゃ……)
違う、順番が、違うのだ。
魔法を得るために門を開放したのだ。では、なぜ。
(……そうか。エネルギーとして使うためか!)
普段見慣れているもの変化には気が付きにくい。明琰が言っていた「新しい燃料」という言葉や、内裏の火を見て気づくべきだった。煌々と燃えている火だが、よくよく考えれば、火そのものに妖魔を退ける力などないし、夜通し燃え続けるなど、人の手なしには不可能だ。
蒸気機関の発達には目を見張るものがあるにはあるが、不具合も多く、夜間でも激しい音がすることが多々ある。
それに、何よりも松明にしては明るすぎるのだ。
(静穏性の低い蒸気機関ではなく、妖魔の生体物質を動力とする技術を作り出し、その副産物が、魔法が使えるようになる薬ってことか……。でも、そんな怪しい薬を簡単に信じ込んで使うだろうか)
治水を含め、京周辺のそういったインフラ整備を担当しているのは親王の一人。
(黒幕は、明善殿下か。ますますおかしい。今視界に入っているだけでも、明善派ではない武官もいるし……。自分が忠誠を誓っていない奴から提案された薬なんて素直に摂取するだろうか……)
しばらく武官たちを観察していると、中には攻撃的になったり、フラフラと足元がおぼつかなくなったりする者が出てきた。
彼らはそのたびに紐のようなものに火をつけ、小さな香炉に入れてその煙を吸いだした。
(あれは……麻薬じゃないか! そうやって摂取しているのか!)
紐にしみ込ませれば、かさばることなく持ち歩くことができる。
(聞いたことがある。祈祷で使う芥子……、つまりは阿片を勝手に持ち出して貴族の若いひとたちが使ってるって……。そんな貴重なものがそうやすやすと出回ることはない。だからそれを利用したのか。『気持ちよくなれる薬がある』とでも言って……。それの妖魔版ってことなのか……?)
香砂の心に、微かではあるが、怒りがわきおこった。
「あのバカ皇子、自分の功績のために門を開門し、妖魔を呼び込んだのか……? 皇太子になるために……? この国の、帝になるために……? ただ、そんなことのために⁉」
魔法を使えるようになることを謳い、武官たちにさらなる力を約束し、結果的に彼らは薬漬けの薬物中毒患者となりつつある。
(辞めさせなきゃ。でも、どうやって?)
ここまでの大事を秘密裏に進めてきた手腕は尊敬に値しなくもないが、やり方が汚すぎる。
ただ、もしこのことを主上に上奏すれば、「あなたは息子の大胆な裏切りも見抜けなかった無能な王ですね」と言っているようなもの。
市井にまでこのことが伝われば、間違いなく皇帝家の権威は失墜する。
国は大混乱となり、規模の計り知れない戦乱の世に突入することだろう。
(そうなれば、中宮に仕えている姉は間違いなく巻き込まれるし、父や母もどうなるかわからない。どうにかして静かにことを進めなくては……)
香砂はエンジェリックガーデンから画像の加工ができないインスタントカメラを取り出すと、今視界にあるものを撮りだした。
誰を説得するにしても、証拠は必要だ。カメラなど古代にはないが、そんなこと気にしてはいられない。
ジジジ、と音を立てながら、撮影された白いフィルムが出てきた。
数分もすれば何が映っているか見えるようになるだろう。
土砂降りの中、香砂はあらゆる場所を撮影し続けた。
附子が背後にいることも気づかず、気づけば五十枚以上も撮り続けていた。
「香砂さま、香砂さま」
「え、あ、ごめん。気づかなかった」
「報告があります」
「どうしたの? 公主様、やっぱり毒だった?」
「はい。それも……、おそらく、巫蠱が関わっているかと思われます」
「最強の呪術師たちか……」
巫蠱は呪術師の中でもその才能に恵まれた呪術の実力者にのみ与えられる称号のような者である。
「魔物ではなく、正真正銘、人間の仕業っすね」
「もう、本当に嫌になるなぁ。次から次へと問題ばかり……。姉さんはなんて言ってた?」
「一言一句違わずお伝えしますねぇ。『あんたが病み上がりなのはわかってるけど、このままじゃ公主様の命が危ない。だから、お願い。巫蠱をぶっとばして私の前に連れてきてちょうだい。そのあとは……私が殺る』とのことです」
「……こわっ」
「すでに効力を発揮し、ただの塵になってはいますが、一応、連珠さまからこれを預かってきました」
附子の懐から出てきたのは、いわゆる〈呪袋〉と呼ばれる呪具だった。
「中身はもう確認した?」
「はい。連珠さまが開けてみたところ、公主様の髪の毛と、兎の骨、赤子の指の骨、蝶の死骸、アステカ文明のコインでした」
「アステカのコインなんてそうそう手に入る代物じゃない。そのコインって完全体?」
「これっすね。欠けのない、一級品です」
香砂は袋から出てきたコインをつまみ上げ、その細部まで確認した。
「うわ、本当だ。本物だね」
香砂は大きくため息をついた。
こんなにも連続して事件が起こるのは偶然なのだろうか。
「じゃぁ……、明日にでも交易船が停泊している港にでも行ってみようかな……。この雨じゃ商いしてないだろうし。今日はジャスパーの解呪の呪いをかけた木人形を作るから、公主様の枕元にでも置いてきてくれる?」
「かしこまりました」
土砂降りの中、心の中までどんよりと曇り、嫌な気分から抜け出せなくなりそうになる。
それでも、妖精族の自分だからこそ使える強力な鉱石の魔法がある。
少しでも公主の体調を安定させ、姉を安心させてあげたい。
香砂は附子を伴って急いで自宅へと帰った。
今できる一番効果の強い祈りの呪いを作るために。