第肆集
「ちょっと香砂! 顔真っ赤じゃない!」
「んふぇ?」
帰宅した香砂を見て、連珠は絶叫した。
自分が本当は何者なのかを初対面の敵の大将から教えられ、そのショックのせいもあり、戦闘で汗をかいたまま夜風にあたりながら空を飛び、香砂は知らないうちに風邪をひいてしまったらしい。
「あ、なんか、家が回転してる……」
「なんでこんなになるまで飛ぶのよ! 馬鹿じゃない⁉」
「ごめんな……さい……ふぇ」
「あとで文句言うんじゃないわよ」
連珠はエースを呼ぶと、二人がかりで武官束帯を脱がせ、香砂を素っ裸にすると、肩に担いで風呂場へ向かい、そのまま湯船へと投げ込んだ。
「ぷはああ! な、何するの……」
「あ? お姉さまに楯突く気?」
「そ、そういうんじゃなくて……」
「あったまりな! 震えがおさまったら出てこい。水分はエースに運ばせるから、ちゃんと飲め。いい? わかった? 返事は?」
「はいぃ……」
怖い。般若のような顔。ゴリラかと思うほどの怪力。いや、あの怪力は魔法によって補助されてはいるが、幼いころから香砂は一度も敵わなかった。
(……ん? もしわたしが本当に仙子族なら……勝てるはず……)
「あ! もしかして……」
連珠も知っているのでは、と、香砂は考えた。
帰宅中はショックと寒さで朦朧としていため気づかなかったが、湯船に投げ入れられ、身体が温まってきたことで、幾分冷静に考えられるようになってきた。
(もしかして、わたしが両親の話をちゃんと聞いていなかった可能性はないだろうか……。うん、ありうる。小さいころからよく「人の話を聞かないんだから」と注意されてきたけど……)
香砂は湯船に肩まで浸かり、エースが持ってきてくれたスポーツドリンクを飲みながら幼いころのことを思い返してみた。
――「お父さんとお母さんにはね、血のつながりはないけど家族同然の友達がいるのよ。香砂も連珠も、仲良くしてくれると嬉しいな」
――「その友達はね、ママちゃんが留学していた学校がある土地に住んでいるんだ。たくさんのひとたちが仲良くしてくれる。今度の日曜日、みんなで会いに行こうな」
――「どこに会いに行くの?」
――「妖精族が住む聖域の一つ、〈シード・オブ・アルネメティア〉。聖なる泉を守護する妖精女王アルネメティア様が統治している場所だ。とても美しいんだぞ。それに……」
記憶の宮殿を駆け足で巡りながら、父の言葉を必死で思い出そうと、香砂は湯船から半身を出し、深呼吸を繰り返した。
――「香砂のもう一人の兄弟……ある意味双子のような、そんな存在に会えるしな」
――「ええ……。香砂にとっては、生涯を通して関わりあっていく大切な存在よ。それに、〈シード・オブ・アルネメティア〉が気に入ったら、連珠も香砂も留学を考えてもいいかもね」
――「ふふふ、そうだな。宿泊は聖域外城塞都市だから、にぎやかで楽しいぞ」
紅茶の香り、食後のデザートにはレモンケーキが出た日だった。
香砂は当時五歳。連珠は友達の家へとお泊りに行っていた。
「そうか! あの子が僕と取り替えられた子なのか! 会ってる! それに、連絡もとってる、わたしの親友じゃないか! 君だったのか、石榴!」
香砂は勢い良く立ち上がると、そのまま湯船に倒れ込んだ。
立ち眩みだった。
大きな音で驚いた連珠とエースは急いで浴室へと入り、香砂を脱衣所まで運んだ。
二人は再び小言を言いながらも、香砂にバスローブを着せ、涼しい場所に寝かせた。
「ねぇ、なんなの?」
「ごめんなさい……。でも、思い出したんだ! あの、ロアのこと」
「ロア? あんたの一番の親友でしょ? 忘れてたの?」
「違う、そうじゃなくて! その、妖精の……」
「ああ、〈取り替え子〉のこと? 何よ今更。それを忘れてたの?」
「そう! 今日妖魔に『お前は仙子族だ』って言われて……」
「え、自分のことただの魔法使いだって思い込んでたの? 何度もお母さんたちに説明されてるのに? 馬鹿なの?」
「うぐっ……。なんで忘れてたんだろう……」
凹む弟を見て、連珠は何か原因はないかと、持っている知識の中を探った。
「あぁ……多分だけど、異界行したときに上手く記憶の防護が出来てなかったのかもね」
「え、あの不味い薬ちゃんと飲んだのに?」
「香砂は妖精だからねぇ……。前回はあんた横着して魔法使い用のゲートを通ったから、ちょっと混線しちゃったのかもね」
「そういうことか……」
「妖精族は本来なら自分でゲートを開かないといけないからね」
呆けた顔で一点を見つめる弟の顔に、ホッと胸をなでおろした連珠は、その頭を軽く小突いた。
「そんなことで悩んで夜風にあたって風邪ひいたの?」
「……そうです」
イライラさせられることもあるけれど、それでも、大事な家族には変わりない。
弟が悩んでいるのなら、助けてあげたい。
連珠は自分でも気づかないほどの優しい目で弟を見つめた。
「もう。何か悩むことがあるなら、私でもロアでもお母さんお父さんでも、ちゃんと相談しなさいよ。一人で悩んで身体壊すなんてもったいないじゃない」
いつもなんだかんだ優しくしてくれる、守ってくれる姉の姿に、香砂は口元を緩めながらうなずいた。
「うん、ごめん。今度からそうする」
「うんうん。あ、もしかしたらまだ妖精について忘れていることがあるかもしれないから、ロアに連絡して教えてもらった方がいいかもよ。〈取り替え子〉になった理由とかね」
「たしかに。じゃぁ、さっそく」
「熱下がってからね。今日はお粥食べて歯磨いて寝ろ。明日の出仕については私から連絡しておくから」
「ありがとう。迷惑かけます……」
「はいはい。私の体調不良がうつっちゃったことにしとくからね」
「はぁい」
今度は姉にお姫様抱っこをされながらリビングのソファまで運んでもらった。
少し恥ずかしかったが、立ち眩みのせいで足に力が入らなかったので、これも致し方ない。
おそらく、お粥には肉も入っているだろう。
久しぶりに食べられる連珠の料理に、香砂は胸の辺りがきゅっと暖かくなるのを感じた。