第参拾壱集
「どこから話せばよいのか……」
エンジェリックガーデンにある家の中を興味深そうに探索する明琰に、香砂はまるで覇気のない声で言った。
明琰はそんな香砂の背を、思いっきり強くたたいた。
「げほ! 痛い!」
「何を気にしているのだ。すべて話してしまえ。このような事態になり、さらには友人が人間ではないと知った今、私の心臓は鋼のように微動だにしない自信があるぞ」
「さ、左様ですか」
「うむ。さぁ、すべて話せ」
「では……。お茶でも飲みながら話しましょう。あと、そのボロボロの束帯は着替えたほうが良いのでは……」
「お茶か。頂こう。着替えは……」
「わたしのでよろしければ、直衣か狩衣をすぐに用意します」
「では、単を頼む。寛ぎたいのでな。誰に見られるわけでもないし」
「かしこまりました」
香砂が装束をとりに行こうと明琰に背を向けると、「ちょっと待ってくれ」と声をかけられたので、足を止めて振り向いた。
「……さきほど、〈風呂〉もあると言っていたな?」
「はい、ありますよ」
「入ってもいいだろうか」
「もちろんです」
「ああ、ありがとう。家族や他の者には言えないのだが……、私は風呂が好きなのだ。毎日入りたい。もはや川でもいいと思っているくらいだ」
「え、珍しいですね」
香砂は少し驚いて明琰を見た。
「占いを全く信じていないというわけではない。だが……。私の鼻が過敏なのか、己の体臭と薫香が混ざったにおいに気分を害してしまうのだ。鼻の下に薄荷を刷り込んで臭いに耐えるのも、肌が痛くなるからそうそう出来ることでもないし……」
「その気持ちとてもよくわかります。すぐにお湯を沸かしてまいりますので、座ってお待ちください。お着替えは脱衣所にご用意しておきます。……一人で着替えられますか?」
「ありがとう香砂。私は一人で着替えられるぞ。そうじゃないと、戦場で不便だからな」
「さすが武人……」
「賢王となられる兄上を支えるためには必要なことなのだ。では、座って待たせてもらおう」
「はいはい」
「む、また言う気だな? あの……ぶらこん? とかいうやつ」
「あはははははは。記憶力がよろしくてなによりです」
香砂は唇を尖らせて座る明琰を見て苦笑しながら浴室へと向かった。
明琰がどのくらいの温度が好みなのかがわからないので、とりあえず少し熱めのお湯をはることにした。
熱ければ水でうめられるからだ。
「たっぷり用意してあげよう。シャワーの使い方とか、ボディソープとか、シャンプーとか……、色々説明しないとなぁ。たしか慶安時代は米糠とかで洗ってたんだっけか」
香砂はキッチンに行き、冷たいお茶を淹れてソファに座る明琰のもとまで持っていった。
「おお、ありがとう香砂。綺麗な……、茶器? だな」
「硝子で出来ている湯呑……、というか、まぁ、そんな感じのものです」
「茶の色は、光に透けるとこのような美しい色になるのだな……」
いつも香砂が何気なく見ているものも、実はとても素晴らしいものなのだと明琰は気づかせてくれる。
純粋な感性を持った彼だからこそ、香砂は友人でいたいと願うのだ。
二人でお茶を飲みながらくつろいでいると、風呂が沸いたことを告げるアラームが鳴った。
「では、行きましょう。もちろん一緒には入りませんが、洗浄剤などの説明をしますので」
「おう、頼む」
香砂は簡単にシャワーやボディソープ、シャンプーとコンディショナーの役割を説明すると、浴室から退出した。
着替えとタオルは綺麗に畳んで脱衣所に置いておいた。
数十分後、満足そうな笑顔をした明琰がリビングに出てきた。
「素晴らしいな! とても良い体験をさせてもらったよ。いいなぁ、シャワー……。私も欲しい」
「つけてもらえるのでは? 蒸気機関の発明も進んでいるようですし……。似たようなものを造れる職人がおりましょう」
「そうだな。今度聞いてみるとしよう」
お風呂上がりの水分として、香砂は冷たいお茶を淹れ直したコップを明琰に渡した。
「おお、ありがとう」
明琰は受け取ったお茶をぐっと飲み干すと、真剣な顔で香砂に尋ねた。
「で、今京には何が起ころうとしているのだ。知っていることを、全部話してくれ」
「……わかりました」
香砂は一から話しはじめた。
仙子族のこと。
春光子のこと。
明善のこと。
春光子が企てていたこと。
妖魔を使った実験のこと。
仙子族の身体を使った実験のこと。
出来上がった薬。
それがもたらす災厄。
そして、〈鬼〉のこと。
「……そうか」
明琰はしばし言葉を失うと、額に他を当ててソファに勢いよく寝転がった。
「私は……、私は何も知らなかったのだな。友人である香砂のことすらも」
「それは……。わたしたち一族は自分たちの存在を隠して生きてきたので、知らなくとも仕方がないのです」
「それでも、だ。それに、兄弟のことも何も気づいていなかったのだ。明善をあれだけ監視していたのにも関わらず……。私はこれでよくも兄上を支えるなどと言えていたものだ。恥ずかしい」
「そんな! すべて仕様がなかったことなのです! 人間とその他の種族では世界の見え方が違うのです……。だから……」
何を言っても、今の明琰には何の慰めにもならないだろう。
「今日はとにかくお休みください。少しでも眠れば、頭もすっきりとするでしょうし」
「そうだな……」
香砂は口数の少なくなった明琰を和室に案内し、来客用の高級な布団を敷いて部屋を出た。
夜中でも水分がとれるよう、文机に冷たいお茶が入った保冷ポットと湯呑を乗せたお盆を置いて。




