第参拾集
陽が沈み始めた京に、数多の悲鳴が響き渡った。
「きゃああああ!」
酷い状況だった。
緊急の呼び出しに応じて朱雀門に集まったときには、すでに地獄絵図。
「香砂!」
「明琰殿下!」
武士たちを従え戦う明琰の甲冑はすでにドロドロとした何色かもわからない液体でテラテラと怪しく篝火の光に揺れていた。
「物忌み中にすまない! だが、これは……」
「太門がすべて破壊されたと聞きましたが」
「そうだ。それに、大江山の上空に裂け目が……」
「そ、そんな……!」
昼間は目立たない細い裂け目だが、夜になるとその口を大きく開け、翼をもつ妖魔たちの放出と相成る。
「皇帝家の皆様は?」
「無事だ。……今は、な。昨夜の大きな妖魔やお前が攫われたこと、そして大きな星が落ちてきたこと……。何がどうなっているんだ」
「思考は置いといて、とにかく民を大内裏の内側へ。一か所に集めたほうが護りやすくなります」
すでに京は阿鼻叫喚。あちこちにどちらのものとわからない死体が転がり、建物は火矢や妖魔が放つ焔でバチバチと爆ぜている。
もう正体を、妖精族だということを隠して戦っている場合ではない。
「殿下、わたしが何者か、聞かずにいてくださるとお約束できますか」
「こんな時に何を……」
香砂の真剣な瞳に、明琰は息をのみ、頷いた。
「では、今から京中の妖魔たちを塀の外へと押し出します。戦場を移す準備をなさってください」
「承知した」
明琰は素早い判断で武士たちに指示を飛ばすと、民の救出を急ぎ、まだ戦える者を塀の外へと集めた。
香砂は大内裏で一番燃え盛っている建物の上に立つと、魔法を使い始めた。
「オパールの水蒸気、サファイアの盾、トパーズの重力操作……。鉄の剣に銀の矢……。妖魔ども、わたしの家族が住んでいる土地から出ていけ!」
燃え盛る業火の中、〈正常呼吸〉を発動した香砂は炎ごと胸に吸い込み、足元から湧き上がる上昇気流を操作した。
「水を含み舞い上がれ!」
風は香砂の動きに合わせて重くしなりながら焔を巻き込み、それを握りつぶすように消し去っていった。
その姿はまるで火を纏い逃げ惑う邪龍を捕える水龍神のようであった。
同時に、香砂に操られた幾千もの鉄の剣が妖魔の身体を貫き、銀の矢が四方八方から発射された。
妖魔たちは銀の矢に追われるように京から逃げ出すと、森の中へと逃げ込んだ。
しかし、そこで待っていた明琰の軍に抵抗むなしく斬り伏せられていく。
香砂も杖に乗り戦場へと赴くと、杖を太刀に変え、雅楽に身を委ね扇を持ちて舞う舞人のように妖魔たちの首を斬り落としていった。
「あとどのくらいですか!」
「夜明けまで一刻!」
「耐えましょう!」
香砂は今までほとんど誰にも見せずに戦ってきたが、今日はそうもいかないほど戦場は混乱している。
実力を隠している暇などない。香砂は仙子として戦場に立った。
陽が昇り始めた。空の色に変化が現れたのだ。
まだ生きている妖魔たちは一目散に太門があった場所に走って逃げだした。
翼を持つ者は空の裂け目へ。被害は甚大だが、ひとまずは人間側の勝利と言えるだろう。
「殿下! 大丈夫ですか⁉」
「ああ。腕が切られたくらいでは死なん」
「そんなこと言ってないでさっさと手当てをしてください……。冷や冷やします」
「兄上と父上、母上、そして民が無事ならばいいのだ」
「はいはい……」
「呆れた顔をするな。それで……、息災だったか」
「ええ。まあまあ元気でしたよ。風邪はひきましたけど」
「そうか。うつすなよ」
「うつしませんって」
「あははははは」
「はぁ……」
香砂はいつも通り快活な明琰の姿を見て少しホッとした。
彼はまだ知らない。承香殿の女御である春光子が息子の明善とともに企てていたこと。〈仙丹〉のこと。そして、仙子族や〈鬼〉のことも。
たずねないでくれ、とはお願いしたが、そろそろ自分の本当の種族については伝えておいてもいいかもしれない。そう、香砂は思った。
「殿下、二人で話があります。手当ももしよろしければわたしがしましょう」
「……わかった。では、侍従たちに伝えてくる」
「はい」
お付きの武士たちにしばし外出することを伝え、戻ってきた明琰を、香砂は森の少し奥、誰の目にも届かない場所へと連れ出し、エンジェリックガーデンの扉を開いた。
「こ、これはなんだ⁉」
明琰は腕からダラダラと血を流しながら興奮するので、香砂は慌てて治癒の魔法をかけた。
「え! 血、が、と、止まったぞ!」
「わたしは……陰陽術師ではなく、実は仙子族という種族なのです。今まで使っていたのは陰陽術ではなく、〈魔法〉。まったく違うものです」
「……ほう」
「……驚かないのですか?」
「むしろ、納得したぞ。やる気も覇気もない香砂に対してどうしてこんなにも信頼の念が湧くのかずっと不思議だったのだ。そうか、そうか。ただの人間ではないどころか、そもそも違う種族なのだな」
「え、ええ、そうです。……え? それだけですか?」
「ん? 何か不都合なことでもあるのか? 食べ物が違うとか? 実は言語が違うとか?」
「え、いや、別に……。気持ち悪いとか思わないんですか? 人間からすればわたしは……、どちらかというと認めたくはないですが妖魔寄りですよ?」
「いや、香砂は香砂だろう。お前がお前である限り、種族の違いなど些末なこと。気にしてどうする。気にしたら私も仙子とやらになるのか?」
「えええ……」
「変なことを気にするな。それよりも、この中を案内してくれ。簡単でいいぞ。私は報告の任があるからな。詳しい説明は後日頼む」
「え、あ、はい……。じゃぁ、庭と家をさらっとご案内しますね」
「おう!」
香砂は明琰の態度に拍子抜けした。だが、とてもありがたかった。
初めて会った日から明琰は変わらず香砂を信じてくれている。
それが伝わり、心があたたかくなった。
早朝の空気はすこし冷たさをはらんでいるが、太陽の光がそれを温めるだろう。
さわやかな風を胸いっぱいに吸い込み、香砂は明琰とエンジェリックガーデンに入った。




