第参集
香砂は大鎌となったそれを剛腕で振り回し、次々と妖魔を真っ二つに切り裂いていった。
攻撃を大鎌の柄で受け流し、切りかかってきた妖魔の集団を馬鹿力で跳ね返すと、大鎌を持ち直し真一文字に振り切る。
両親ともに魔法使い。身体自体は人間とそう違いはないため、本当ならどちらかと言うと華奢な香砂にこんなに力は出ないはず。
それなのに、幼いころから比較的力持ちだった。たいしてトレーニングをしてきたわけでもないのに。
数年前まではそれがずっと不思議だったが、慶安時代の葦原国に来てからは、そう思う余裕もなく、いつからか脳内でも心の中でも話題にはのぼらなくなっていた。
「調子に乗るなよ小僧」
低く酒焼けした人間のような声が戦場に響いた。いや、香砂の耳に鋭く届いたというほうが正しいのかもしれない。
大鎌が太刀に弾かれ、その反動で浮いた香砂は体勢を立て直すために後方に宙返りをし、相手を視界に捉えた。
「こんばんは……。お強いんですね」
大きな牙に少し上向きの鼻。香砂の大鎌を弾いたのは、猪の妖魔だった。
体格は香砂の五倍はあるだろう。身長は二メートルを超えるくらいか。
「ほう。わざと煽っているのか? 俺には効かぬ」
「大将ですか」
「お前たちの言葉でいうのなら、そうかもな」
「では、あなたを倒せば雑兵はひきますよね」
「ふん。さすがは仙子族。強く出たな」
香砂は妖魔の大将が何と言ったのか聞き取れず、呆けた顔になった。
「……なんだお前、自分について何も知らぬのか」
「自分に、ついて……?」
「怪我をすると必ず治療するのは肉親で、医師のもとには一度も行ったことがないのではないか?」
心臓が跳ねた。なぜ初対面の、それも妖魔の大将が知っているのか。
「くくくくく……。冥途の土産に教えてやろう。……この匂い、やはりそうだ。お前は仙子族の〈取り替え子〉だ」
動悸がする。呼吸が荒くなり、なぜか手足が冷えていく。
「せ、仙子族……? 取り替え子……? そんなの、ただの御伽噺じゃ……」
仙子族というのはいわゆる〈妖精族〉のことで、〈取り替え子〉は妖精が人間の子を育て、人間が妖精の子を育てる古の風習のことだ。
香砂が生まれ育った世界では、魔法使いが通う学校の古文の教科書に載っているくらいの古い、おとぎ話のようなもの。
「切りつけられても血は出ず、水蒸気のようなものが立ち昇るだけ。傷は毎回三日以内に完璧に塞がり、周りの子供よりも少し体の成長が遅い。そのわりに力が強く、魔法も得意。そうなのだろう? なぜならお前は仙子だからだ」
巨大な錘で頭を殴られたような、そんな心境だった。
(妖精……? わたしが、妖精……? 父と母の子では……ない? 姉と血が繋がってないの……?)
「そうかそうか。本当に、本当に何も知らなかったのだな。それは申し訳ないことをしたな。そのお詫びに、苦しませずに殺してやろう!」
太刀が振り下ろされた。銀色と赤黒い血の混じりあった閃光。
嫌になる。身体が生存本能で勝手に反応したのか、気づくと妖魔の大将の一撃を大鎌で防いでいた。
「なっ!」
香砂はいまだ放心状態ではあったが、それでも、丸々一年、戦場に身を置いてきたのだ。
ちょっとやそっとのことで身体が動かなくなるほど、経験は浅くない。
「教えてくれて……ありがとうございます。どう消化すればいいかわからないけれど、お礼はしなくてはなりませんね……。苦しませずに殺してあげます」
「それはこっちの台詞だぁああ!」
逆袈裟斬りに太刀が振り上げられたが、それを後方宙返りで除け、地面に着地した反動を使い、飛びつくように間合いを詰めると、大鎌の刃を大将の首にあて、一気にひいた。
灰色の体液が飛び散り、首は回転しながら地面へと落ちた。
「うぐっ……。こ、このままでは……す、すまない、ぞ」
妖魔の大将ともなれば、絶命まで時間がかかるのだろう。
生気を失った身体とは違い、頭部は最後まで香砂に向かって呪の言葉を吐き続けた。
「人間に、み、味方など、するな、仙子の、小僧……」
瞳から薄ぼんやりとした光が消え、妖魔の大将は絶命した。
硫黄の臭いが立ち込め、少し目に染みた。
「雑兵の皆さん、もし退却するなら、今夜は追いません。もし立ち向かってくるのなら、同じ目にあわせますよ」
妖魔の雑兵たちは香砂に怯え、一目散に我先にと逃げ始めた。
その動きに連動するように他の戦場でも妖魔たちは退却をはじめ、今夜の戦いはひとまず終了となった。
兵たちが歓声を上げる中、香砂の心は動揺で何も定まらずにいた。
(わたしは、仙子族……なのか?)
両親はもうしばらく華煉国から帰ってこない。きっと姉は知らないだろう。
「エースなら、何か知っているかも……」
子供のころ、両親不在の時に、何度か手当をしてもらったことがある。
「傷口から漏れる水蒸気みたいなもの……。ずっと魔力が漏れているんだって教えられてきたなぁ……。血が出ないのは……母親の……愛の魔法が、な、治しているからだって……」
涙が出てきた。嗚咽が止まらない。
嘘をつかれていた。でも、傷つけるためではないことはわかる。
それでも、『どうして何も教えてくれなかったのか』という思いは消えない。
香砂は近くにいた武官に先に帰ることを告げ、その場を後にした。
家に戻らなくては連珠が心配する。
でも、どんな顔をして帰ればいいのかわからなかった。
香砂は人気のないところまで来ると、檜扇に魔法をかけ、巨大化したそれに乗り、空へと飛んだ。
「一時間くらい飛んでから帰ろうかな……」
涼しい夜風が気持ちいい。泣いたばかりの顔は熱を帯びているから。