第弐拾肆集
仙丹。それは人間を不老不死にすると言われている霊薬。
調合する材料によっては、あらゆる病を治し、飲んだ者に摩訶不思議な〈力〉をもたらすことがある。
歴史上、最も有名な材料は辰砂――水銀だが、それは人間たちに伝わっている中でも間違っているものの代表だ。
あれはただの毒。人間を仙丹から遠ざけるためについた嘘。
では、なぜそんな〈嘘〉を人間が信じてしまったのかと言うと、それは実際に仙丹を服用し長寿を勝ち取っていた〈人間〉が言った言葉だったからだ。
人間の名は徐幸。天下統一を成した『林』の始皇帝に仕えていた宮廷医師で、幼いころ、眠っている龍の口の中に間違えて入ってしまったことから、後天的に〈魔法族〉となった男。
徐幸は人知を超えた医療技術の数々で始皇帝の信頼を得た後、〈仙丹〉についてほのめかした。
少しでも太平の世を長く保つために自分という存在が不可欠だと思っていた始皇帝は、徐幸の話に飛びついた。
そして徐幸が望むままにありとあらゆる手段を講じて材料を集め、〈仙丹〉の完成を急がせた。
妖魔の素材は、白澤図という瑞獣白澤が黄帝のために書き残した妖怪に関する説明書のようなものを用い、探したという。
しかし、それらの行動が間違いだった。徐幸は完成した〈仙丹〉を自分だけに使い、偽物を始皇帝に献上していたのだった。
謎なのは、どうやって徐幸が〈仙丹〉の製法を知ったのか、ということ。
一説には、徐幸は医学の神である黄帝の弟子だったことがあり、そのときに秘伝書を盗み見たのではないか、と言われている。
その徐幸だが、没地は扶桑国――別次元の日本国――だという伝承が残っているのだ。
「扶桑国に移り住んだ後、徐幸はその才覚をもってまたもや皇帝家に仕えたが、ある陰陽術師により正体を暴かれ、〈力〉を封じられた。後世は小さな農村に住み、医学の知識を人々のために使ったという……。亡くなった後は村人たちによって祀られ、立派な墓と小さな社が建てられた……らしいです」
石榴は複数の資料を年代、次元別に並べながら徐幸の人生について話した。
「どの次元の地球でも、日本に渡った徐氏は亡くなっているのね。魔力を失った後はどの徐氏も〈仙丹〉を作っていない……いえ、作れないんだわ。強い効力をもつ本物の〈仙丹〉を作るためには、素材もそうだけど、制作者本人にも魔力がないといけないってことよね」
「そうなりますね」
「まだその〈秘伝書〉とやらは存在するのでしょうか」
存在しないでくれ、と願いを込め、香砂は尋ねた。
「いえ、しないようよ。弟子の徐氏が起こした大罪を憂いた黄帝が焚書にしているわ」
アルネメティアが読んでいる書物には、医神黄帝が書を焼く描写が描かれている。
「では……どうして赫夜は〈仙丹〉の製造方法を知っていたのでしょう」
「ううん。月には〈高天原〉や〈根之国〉の医学の神が往診に行くこともあったようだから……。薬学と酒の神である少彦名命の書物を盗み見た可能性もあるわね。時期は違うけど、少彦名命も〈仙丹〉の製法が載っている書籍はすべて焚書にしているようよ」
何十冊もの書籍に目を通したが、わかったのはこれだけだった。
やはり、〈仙丹〉の製造やその効能、副作用に関する研究書はすべて処分されてしまっているようだ。
「効力を無効にするには薬を絶たせるしかないのかしらね」
「どこにも無効化の記述がありませんね……」
「ということは……」
大本を絶つしかない、ということ。
「春光子……、つまりは承香殿の女御様を殺すしかないということでしょうか。製薬工場も跡形もなく破壊し、製造方法を一部でも知ってしまった〈魔法族〉の人々も……、〈仙丹〉のことが広まらないよう殺すしかない、と。そういうことでしょうか」
「それは避けたいわね……」
アルネメティアとロアは、思いつめたようにうつむく香砂を、どうにか救いたいと思った。
しかし、緘口令が通じる相手ではない。契約書を作ったとしても、そんなものは薄っぺらい紙の上に書かれた墨の染みに過ぎない。
例え強力な呪を用いて葦原国ではもう二度と仙丹の製造を禁じ、製造方法の口外も禁止する、と契約しても、他の次元に逃げられたら効力はない。
なぜならば、相手は周波数渡航者なのだ。
次元間移動はお手の物だろう。多次元に及ぶ指名手配をしたところで、〈仙丹〉の製造方法を知っているともなれば、様々な種族が喜んで彼らを匿うだろう。
永遠に口をつぐんでもらうには、その命を奪うほかない。
「私ですら、仙丹の製造方法には興味がある。だから、もし仙丹が現存していることを他の妖精王や女王が知れば、中には欲しがる者も出てくると思う。相談するにも、慎重にならざるを得ないわ」
「そう、ですよね……」
まだ十五歳の少年には、あまりにも重すぎる現実。
(もし、もしもこの世に〈魔王〉なんてものが存在するのなら、何歳の時に決断したんだろう。そうなろうって。悪役に……なろう、って……)
護りたいものの重みに安心感を覚え、いつからか希薄になっていた自分という存在。
人はこれを『依存』と呼ぶ。
もしここで行動すれば、それを『愛』だと叫ぶことはできるだろうか。
「アルネメティア様、ロア、色々ありがとうございました。わたしは一度向こうへ帰ろうと思います」
思わず、ロアは香砂の腕をつかんでいた。
「大丈夫だよ、ロア。話をしに行くんだ。もしかしたら、わかってくれるかもしれないでしょ?」
だって……と、香砂は今にも泣いてしまいそうな顔で言う。
「だって、寿命の違うひとたちを想う気持ちは、わたしにも痛いほどわかるから」
ロアはこらえきれず、香砂をその腕で強く抱きしめた。
「わかったよ。僕はいつだって香砂を信じてる。待ってるから、待ってるからさ。終わったら必ず会いにきてよ。どんな結果になった後だとしても」
「うん。約束だ」
アルネメティアは何人かの心から信頼をよせている妖精王族に連絡を取ってくれるという。
もし周波数渡航者との大規模な戦闘になった時に備えて。
そして、香砂とその家族を護るために。




