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第弐拾参集

 叶わない恋ならば、乗り越えられるのに。叶ってしまった悲恋を、忘れる術など無く。

赫夜(かぐや)は、きっと処刑前に姫の記憶だけは取り戻していたかもしれないね」

 石榴(ロア)の言葉に、香砂(こうしゃ)は涙で霞む目を拭いながらうなずいた。

 香砂(こうしゃ)とて、考えたことがないわけではない。

 育ててくれた両親も、連珠(れんじゅ)も、ロアも、〈魔法族〉とはいえ、人間だ。

 百倍以上の時を、香砂(こうしゃ)は生きることになる。

 今はまだ感じたくもない感情が、あと数十年後には現実になるだろう。

 そのとき、香砂(こうしゃ)には赫夜(かぐや)を責める権利などないことに気づく。

香砂(こうしゃ)……。赫夜(かぐや)のことを調べるのは、きっと、香砂(こうしゃ)にとってはつらいと思う。だから、そばにいるよ。ずっとね。それを忘れないで」

「うん……。調べるって決めたのはわたしだから……。頑張るよ。大丈夫、大丈夫」

 二人は手をぎゅっと握り、いつものように微笑んだ。

「さぁ、一気に調べちゃおう」

「うん!」

 香砂(こうしゃ)はひとつの文箱を手に取った。

「この意匠……どこかで見たことがある……」

 心がざわついた。少しのイラつきと、申し訳程度の畏敬の念。

 季節は春か初夏の頃。たしか、賀茂祭(かものまつり)の宴席でのこと。

 御簾の隙間から出ていたわずかな布地からもわかる十二単の豪華絢爛な意匠。

 皇帝の妻たちは、それぞれに与えられた〈御印(おしるし)〉と呼ばれる植物の〈紋〉を十二単に刺繍であしらい、その美しさと地位を表現する。

 皇帝陛下の御印は『姫百合』。花言葉は『誇り』。

 中宮は『深見草』。牡丹とも呼ばれ、その花言葉は『富貴』。

「この紋は……『福寿草』。花言葉は『幸福』だけれど、その実には呼吸困難や心臓麻痺をひきおこすほどの毒がある……。たしか……」

 寒気がした。背筋に冷や汗が流れる。どうして気づかなかったのか。明らかなことに。

「福寿草は、承香殿(しょうきょうでん)の女御の紋。つまり、明善親王の母親の紋だ」

 よく思い返してみれば、ヒントは常に目の前にあったのだ。

 まず、あのプライドの塊のような明善が「良い薬がある」というだけで、妖魔(もののけ)の生体組織を使った怪しい薬に素直に手を出すなんてことはない。よほど信頼している人からの助言でなければ信じなかったはずだ。

 それに、あんなにも大きな研究所を秘密裏に建てるには、強い(上下関係)が前提の緘口令が必要だったはず。

「わたしの目は節穴か! なんで気づかなかったんだ! こんなにも簡単なことに!」

 香砂(こうしゃ)は思わず立ち上がり、大きな声で自分をしっ責した。

香砂(こうしゃ)……? とにかく、落ち着こう。深呼吸して、これからどう対処していけばいいか考えよう」

 ロアに背中を支えられながら再び席に着くと、ちょうどアルネメティアが管理人と共に数冊の書籍をもって戻ってくるところだった。

「どうしたの、大きい声なんか出して……。わかったのね……、人間の姫の正体が」

「はい。皇帝陛下の妻の一人、承香殿の女御様です」

「……その女御、名前はなんていうの?」

 アルネメティアの脳裏に、ある夫婦の名前が浮かび、背筋がひやりとした。

「たしか……春光子(はるあきらこ)、だったはずです」

「そう……。やっぱり、そうなのね……」

「やはり、とは……?」

春光子(はるあきらこ)は……、本当の読み方は春光子(しゅんこうし)っていうの。人間ながらに聖域(シード)に迷い込み、維縵(ユイマン)妖精王の娘、維摩(ユイマ)姫と結婚した『甲賀三郎』と、その人間の妻である『春日姫』の間に生まれた女児よ」

「……え! それって……」

「そう。のちに〈精霊族〉に迎え入れられ、諏訪大社の〈神〉となった甲賀三郎と春日姫。その娘である春光子(しゅんこうし)は巫女となるべく修業を積んでいた最中、行方不明となっているわ。今現在もね。まさか、赫夜(かぐや)に庇護され、のちに皇帝の妻となっていたなんて……」

 アルネメティアは書籍を机に置くと、大きくため息をついた。

「おそらくだけど、異界行(エフトラ)の仕方は父である甲賀三郎から教わっていたのでしょう。そこに、赫夜(かぐや)からもらった〈仙丹〉の力が加われば……」

 アルネメティアは香砂(こうしゃ)を見つめ、困ったように微笑んだ。

「だから香砂(こうしゃ)たち周波数渡航者フレクエンティア・トラベラー赫夜(かぐや)族と呼ばれているのね。どこかの世界で春光子(しゅんこうし)が名乗り始めたのが広まったんだわ」

「ということは……、春光子(しゅんこうし)周波数渡航者フレクエンティア・トラベラーの始祖……?」

「そういうことになるわね」

 香砂(こうしゃ)は動揺し、ストレスが頂点に達したのか、頭が思考を止めた。

 ただただ真っ白な吹雪の景色が脳内を流れている。何も考えられない。

 ただ隣にいるロアが心配そうに見つめてくるのが視界に入るだけ。

「アルネメティア様、ではなぜ、春光子(しゅんこうし)は愛していたはずの赫夜(かぐや)の種族である妖精族を材料に〈仙丹〉を作ろうなどと思ったのでしょうか。自分を赫夜(かぐや)族とまで名乗っているのに……」

 ロアは香砂(こうしゃ)の背をさすりながら、アルネメティアに尋ねた。

 アルネメティアは少し考えた後、悲しそうな瞳をロアに向け、話し始めた。

「本当のところはどうかわからないけれど……。赫夜(かぐや)は突如捕縛されたでしょう? 春光子(しゅんこうし)からしてみれば、突然いなくなったのと同じ。愛する恋人から捨てられたと思った可能性もあるわね……」

「そんな……」

「他人の心はわからないものよ。何が狂気の引き金になるかなんて……。それに、まだ悲恋が理由だと決まったわけではないのだし。とにかく、調べましょう。〈仙丹〉に関する書籍が何冊かあったから、手分けして読みましょう。香砂(こうしゃ)は休憩する?」

「あ、いえ……。調べます。調べ続けます。色々……その、理由を知りたいので」

「そうね。頑張りましょう」

 アルネメティアから手渡された書籍を机に置き、さっそくページをめくり始めた。

 すこしかび臭い。とても古いもののようだ。

 目がかすむ。疲れなのか、それとも涙なのか。

 香砂(こうしゃ)は静かに読み始めた。

 暗闇の中見えないものを、手探りで探すように。


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