第弐拾弐集
「女王陛下!」
顔見知りの衛兵に案内され、アルネメティアの研究室へと通された二人。
そこは薬草と清らかな水の香りが漂う魔法が溢れた場所。
ステンドグラスの色鮮やかな光が、執務机の上にあふれる書類の山を煌びやかに照らしている。
机の向こう、椅子に腰かけガラスペンですらすらと文字を書く女王は、まるで白亜の彫刻のように美しい。
青と紫に染まった髪は月夜の海のように深く、目を逸らしがたい魅力にあふれている。
「おお、香砂と石榴じゃない。どうしたのかしら」
「急ぎ、お伝えしたいことと、お尋ねしたいことがあります」
「何かしら?」
「わたしが今住んでいる中世クラスの文明を持つ葦原国にて、妖精の生体組織由来の〈仙丹〉の研究が秘密裏に行われております。それについて少し調べたところ、〈月の妖精族〉という一族の姫、赫夜と、その恋人だった〈人間〉の姫が関わっているのではないか、という……」
「赫夜、ですって? 彼女はもう亡くなっているわ。たしか……日本国の室町時代に捕縛されて……記憶を消されたのち、全く別の地球で罪を償った後……、どうやってか姫の記憶を取り戻してまた会いに行こうとしたから……処刑されたわよ。〈仙丹〉を摂取していた人間の姫は……まだ生きているってこと?」
『処刑』という言葉に動揺し、香砂は手が震えた。
「そんな……。〈仙丹〉の作り方を知っているのは、おそらく、その人間の姫だけなんです……」
「だから香砂は、もし赫夜が生きているのなら、姫に繋がるなにか物証を探そうと……。赫夜の遺品はどうなったのでしょうか」
アルネメティアは額を手で覆い、静かに呼吸を繰り返した。
「〈月の妖精族〉っていうのは……。そもそも〈月〉が、罪を犯した〈古代精霊族〉の流刑地なのよね。今は違うけれど……。一万年前くらいまでは、宗教関係なく、罪を犯した神々が収容されていたの。収容って言っても、尊厳を奪うわけじゃなくて、地球やそこに住まう人間たちから離れたところで、干渉せず生きてもらう、というか……」
アルネメティアは真剣な表情で聞く少年二人に応えるべく、遠回しな言い方を辞めた。
「神々の記憶と力を奪い、それを結晶に変えて作ったのが〈月〉なの。だから、赫夜も、もともとはいわゆる〈神様〉で……。月読尊と人間との間に出来た、たったひとりの娘なのよ。真名は、暁世赫夜毘売。彼女は生まれた時から父親の罪を背負っていたの。巫女でも何でもない、何の力もないただの〈人間〉の女性を愛してしまった、月読の罪を……」
赫夜の母は、その母体が〈精霊族〉の力に耐えられず、出産と同時に亡くなってしまったらしい。そしてそれを嘆いた赫夜はあろうことか母を甦らそうと、〈仙丹〉の先駆けとなる薬と呪術を創り出してしまった。
そのことを重く受け止めた八百万の神々により、赫夜は〈精霊族〉としての力と記憶の一部を奪われ、〈妖精族〉としてある地球に堕とされた。そこで出会ったのが、人間の姫だった、とのこと。
「きっと戻りかけていた記憶をたどり、『人間はいつか死んでしまう』と、そんな当たり前のことを受け入れられなかったのね。彼女は〈仙丹〉を完成させてしまうの。赫夜は捕まった後も絶対に〈仙丹〉の製法については話さなかった。姫の所在についても……。もし霊凰が香砂に言った『紅として渡していたのかもしれない』というのが事実なら、私には切なすぎて……。心が痛いわ」
それでも、その〈人間の姫〉を探さなければならない。妖精族の命が奪われ、人間は心を失ってしまうから。
「赫夜の遺品はそう多くないけれど、いくつかは『暁の残骸』として博物館の保管庫に置いてあるかも……。見に行きましょう、今から」
アルネメティアは書類をしまうと、二人を連れ、聖域外城塞都市にある大きな博物館へと向かった。
そこは見物客や学生、観光客で大盛況で、香砂たちは管理人と学芸員に案内され、裏口から保管庫へと入っていった。
「暁の残骸を調べているなんて、物好きですね」
そう学芸員に言われ、香砂は苦笑いで返した。
「ちょっと興味があって……」
「犯罪者の遺物に興味を持つのは思春期にはよくあることですからね。あまりのめり込んじゃだめですよ。心の健康が奪われかねませんから」
香砂は困ったように笑った。どうやら、人間や他の種族には赫夜の遺品は「犯罪者が残した歴史的品」という認識らしい。
そもそも、赫夜のものだとも思っていないのかもしれない。
それだけ、研究する価値のないものなのだろう。
香砂は胸の奥がチクリと痛んだ。
「さぁ、ここです。この棚の一番上とその次の棚にあるのが暁の残骸です。手袋をつけてマスクをしてみてくださるのなら、どれを手に取っていただいてもかまいません。終わったら机に広げたままでも大丈夫ですよ。専門家がちゃちゃっと片付けちゃうので」
「わかりました。ありがとうございます」
学芸員に説明を受けた少年二人は、さっそく棚から遺品を取り出し始めた。
アルネメティアは管理人に連れられ、〈仙丹〉に関するすべての資料をさらに奥の倉庫へと探しに行った。
二人は机に広げた遺物を一つずつ手に取り、椅子に座って中身を確認し始めた。
「健康を願って大切なひとへ贈る薬玉……。まだ伽羅の香りがする。きっと……」
「香砂、感情移入はやめておこう」
「うん……」
遺品から感じたのは、どれも、深い愛情。長寿、繁栄、慕情。共に生きたいと願う強い気持ちが、愛となり、その結晶が贈り物という形で表れていた。
これらはすべて赫夜が人間の姫から受け取った宝物の数々だ。
(想いあっていたんだな……哀しいほど)
失った記憶がよみがえりつつある中で、ある日突然知ってしまう寿命の違い。
一緒に生きられない時間があると知った時、赫夜はどう思っただろう。
香砂は感情を振り切るように、真剣に遺物と向き合った。
その時、ロアが涙を流し始めた。
「どうしたの?」
「これ……、手紙がっ……」
そこには、こう書かれていた。
――もしあなたと共に生きていけるなら、美しい桜ではなく、苔むす岩になりたいわ。川を転がり、欠け、小さくなろうとも。永遠をあなたと同じ刻の中で過ごせるのなら、地中深く眠る結晶でもいい。今日もまた、手のひらに彼岸花が咲いたの。もう長くはないようね。どうか、どうか、お願い、あなたはその永久の命を幸せに過ごして。たまに空を見上げて、星にわたしの名を呼んでくれれば、それでいいから。
香砂は自分の頬を伝う涙と、胸にあふれる苦しさで、遺物を調べる手が止まってしまった。




