第拾漆集
霊凰にたらふく奢ってもらい、長旅の疲れから久しぶりにぐっすりと眠った翌日、朝早くに支度を終え、エンジェリックガーデンから空へと飛び立った。
「地図の通りに行けばいいんだよね」
昨夜、霊凰は酒をあおりすぎ、二日酔いのため、案内できなくなったという連絡と共に地図が送られてきた。
久しぶりに香砂に会えたのがよほど嬉しかったのだろう。
食事のために移動した店で、店内にあるすべての酒を飲み干してしまったのだ。
「本当、昔っからお酒には容赦ないんだよね、霊凰さまは。わたしは成人しても気を付けようっと」
香砂の両親は、父は酒好きだが弱いためあまり量は飲まず、母は酒にはめっぽう強いが、あまり味が好きではないためそこまで飲まない。
そんな環境で育ったため、香砂も連珠も今のところ酒には興味が薄く、「薬の材料になる液体」くらいにしか思っていない。
香砂は久しぶりの熟睡が効いているのか、朝陽を見ても頭痛がしない自分にテンションが上がっていた。
「なんて清々しいんだ。朝なんて大嫌いだし正直布団から出ることが人生で一番嫌なことだけど、今日はそんなに悪くないぞ」
常に清浄で正常な呼吸ができる能力を持っている香砂でも、今朝の空気は特別美味しい気がした。
「えっと、仙境は……結構遠いな」
華煉国は葦原国のおよそ二十五倍もの面積がある巨大な国。
それだけに、移動には相当な時間がかかる。仙境ともなれば相当だ。
「まあでも山登ったり下りたりするわけじゃないし。飛べば四時間くらいで着くかな」
現在時刻は朝五時。順調にいけば午前中には着きそうだ。
二時間後、テンション配分を間違えた香砂はいつも通りの気怠さを取り戻していた。
「太陽なんて嫌いだ……」
眼下にはキラキラと輝く川面と、可愛い笑顔を浮かべながら水遊びを楽しむ農村の子供たち。
香砂には外遊びが好きだった子供時代などない。
外に出れば太陽が容赦なく照り付け、少し動けば埃が舞う。虫はそこかしこで生命活動をし、鳥や猫は糞をまきちらす。
車は排気ガスを垂れ流し、加減を知らない奴が開放感からか本気で腕を振り回し、周囲の者を傷つけていく。
外で遊んでもいいことなど何もない。むしろ最悪だ。
香砂は室内でゲームをするか、本や漫画を読んで過ごす方が好きな幼少期を過ごした。
そしてそれは今も続いている。
香砂は一度トイレ休憩をとり、げんなりとしながら飛行を続けた。
山間部に入ると、目に見える雰囲気は一変した。
(まただ……)
焼けた家、人の遺体、踏み荒らされた小さな畑。
(盗賊の被害が多いな)
なんでも、戦から逃げ出した兵士たちが結託して作られた有名な盗賊団が、首都から少し離れた場所をなわばりに活動しているらしい。
首都に出入りする積み荷や人の流れを狙い、襲い掛かるのだという。
(おっと……盗賊団って、あれか? 縄張りの見回りかな)
葦原国にもいくつかの盗賊団がいるが、妖魔の被害が増えてからはあまり耳にしなくなった。
香砂は久しぶりに見る盗賊団に飛行速度を緩めた。そして、あるものが目に入り、一直線に下降を始めた。
「あの、その子供たちはどうするんですか?」
突然現れた少年に、六人の盗賊たちはぎょっとした顔をしたが、それも一瞬だった。
自分たちも弱そうなものにはとことん強く出るのが卑怯者の性というもの。
「ああ⁉ なんだてめぇ!」
「だから……。その紐でつないでいる子供たち三人、どうするんですかって聞いてるんですけど」
「てめぇに関係ねぇだろうが!」
子供たちはおびえているが、口の端から流れる乾いた血と、ぎこちない歩き方から、表からは見えない場所を傷つけられているのだろうことがわかる。
子供たちはまったく声を出さなかった。いや、出せないのだ。舌が切られているから。
おそらく、娼館に売り飛ばすために誘拐した子供たちなのだろう。身なりはとても清潔そうだ。
「生意気な小僧だが……、綺麗な顔してんじゃねぇか。俺たちが可愛がってやろう」
「結構です」
「なんだとクソガキ!」
徒党を組まなければ虚勢も張れないような可哀そうな人たち相手に魔法を使うのは気が進まないが、盗賊相手では仕方がない。
素早く片付けなければ、香砂が話しかけたせいで子供たちがもっとひどい目にあわされるかもしれない。
香砂は致し方なく、盗賊たちに忘却と睡眠の呪いをかけた。
魔法ではなく呪いなので、彼らは一年くらいは今日のことを思い出せないだろう。
目の前でばたりと倒れていく盗賊たちにびっくりした子供たちは、香砂を見つめながら少しだけ動く手で拍手をしてくれた。
「君たち、行くあてはある?」
すると、子どもたちは首を横に振り、泣き出してしまった。
「そうか……。あのね、わたしの恩師の先生が、常に生徒を募集しているんだけど、どうかな。学校に通う……、というか、勉強に興味ある?」
すると、子供たちは涙をぬぐいながら首を縦に振った。何度も、何度も。
「じゃぁ、一緒に行こうか。あと二時間くらいかかるんだけど、君たちはわたしのお家で休んでいていいから」
子供たちは泣き止むとキョトンとした顔をした。
「あぁ……。その、わたし、なんて言ったらいいかな……。良い意味の妖術使い、というかなんというか……」
子供たちはさらにわからないといった顔をした。ただ、香砂の袖をつかみ、小首をかしげながらニコリとしているので、悪い人ではないというのはわかってくれたのだろう。
「じゃぁ、今から目の前に扉が出てくるから、その中に入ってね。そうすると、ちょっとした庭があって、そのすぐ前に薄荷色のお家があるから、その中に入って寛いでいてね。わからないことは中にいる銀色をした蒸気機巧妖精のネムが教えてくれるから」
香砂はさっそくエンジェリックガーデンの扉を出すと、子供たちを中へと招き入れた。
葦原国でも何度か子供を助けたことがあるので、普段家の管理をしてくれている蒸気機巧妖精のネムも察してくれるだろう。
子供たちは霊凰に預ければ安心だ。見た目は派手で得体のしれない怖さはあるが、とても面倒見がよく、勉強の仕方を教えるのがとても上手い。
様々な世界にいくつも寮付きの学校を持っているのもその性格によるものだろう。
香砂も一年間世話になったことがある。
入学した学校に馴染めず、不登校になりそうだったところを、視察に来ていた霊凰が声をかけてくれたのが始まりだ。
あれからずっと感謝している。だから今回も助けを求めに来たのだ。
香砂は再び飛び上がると、少し冷たい空の空気を胸いっぱいに吸い込み、地図に記された場所めがけて進みだした。
なんとなく、速度を上げて。