第拾伍集
〈精霊族〉、それは自然の力の集合体であり、多次元にわたる波長。どの世界にも同時に存在し、その記憶はすべて引き継がれる。
悪魔や天使、そして〈神〉がこれに含まれる。
すべてを知りながら、何にも干渉しない。興味や好奇心はあれど、善行を信仰する倫理観は持ち合わせていない。
彼らはなによりも自由であり、〈理〉に縛られている。
一ツ、『〈人間〉を傷つけてはならない』
一ツ、『〈人間〉に与えてはならない』
一ツ、『〈人間〉から奪ってはならない』
一ツ、『世界を〈固定〉してはならない』
一ツ、『破りしもの、波長を失い、多次元の記憶を消却処分にする』
この〈精霊族〉に属するのが、香砂の恩師、霊凰だ。
もともと華煉国に太古から住まう大妖怪の長だったのだが、その行いが〈理〉に評価され、三千年前に多次元波長を与えられ、〈精霊族〉の仲間入りを果たした存在。
いくつかの国を巡って悠々自適に暮らしていたが、現在は華煉国の山奥にある仙境に居を構えている。
華煉国の〈華煉〉は、『華一族が治める煉国』という意味。
葦原国からは毎年『遣煉使』という使節団が送り込まれ、より進んだ文化や技術を学びに華煉国へ行っている。
「顔見知りの文官も行っていたはず……。バレないようにしないと」
香砂は一連の出来事――妖魔や妖精族の生体組織から薬が作られている――に対する助言をもらおうと思い、霊凰のもとへと行こうと決心したのだった。
その間、京の警備は附子と麻黄にまかせ、情報収集は寧兄弟に託すことにした。
問題は、すでに遣煉使として派遣されている顔見知りにバレないようにすることである。
通常、華煉国の首都永安までは、航路と陸路合わせて半年から一年ほどの距離。
遣煉使の派遣には莫大な時間と金がかかるため、その計画は綿密に練られた上で実行されている。
見慣れない葦原人がいたとしても煉人はどうとも思わず接してくれるが、同じ葦原人はそうはいかない。
「どうやってここまで来たんだ⁉ 金子はどう工面した⁉ 船は⁉ 馬車は⁉」と、酷く質問攻めに遭うことになり、最悪の場合、国府に向けてなんらかの書状を送られてしまう。
それだけは避けなくてはならない。
人間は陰陽術や占いは信じても、空を飛ぶ魔法や妖精については信じるどころか警戒し、妖魔扱いする。
そうなっては、今の生活を壊すことになりかねない。
香砂はその対策を考えなければ、華煉国には入国できないのだ。
「今回も大気圏の中を歩いていくしかないかな」
香砂が妖精女王アルネメティアから授かった能力は〈正常呼吸〉というもの。どんな場所でもどんな環境でも安全に安定した呼吸が出来る能力だ。
誰にも見つかってはいけない状況でどこか遠くへ行くとき、香砂は大気圏か海の中を移動することにしている。
「華煉国の農村部近くの森にでも降り立てば誰にも見られないかな……」
香砂はさっそく支度をし、華煉国の一般的な装束に着替えると、杖に跨り、すぐに空へ向かって飛び立った。
華煉国の装束は昔葦原国の朝廷服に取り入られていた歴史がある。
たっぷりとした布で作られており、裾に向かって広がる意匠となっている。
そのため、空を飛ぶとかなり布がはためく。はるか昔の人々は魔法使いのことを〈天女〉などと呼ぶこともあったらしい。
大気圏を移動したり、途中よくわからない山中にエンジェリックガーデンを開いて休むなどして三日。
目的の地、華煉国へとたどり着いた。
葦原国ならばもうすでに人々が眠りについている時間。華煉国の首都永安の花街は色とりどりの華やかな提灯で彩られ、まさに不夜城といった趣。
街中にあふれる華美な香りは、人々の揺れ動く衣服と興奮に煽られ、内裏の中よりも激しく匂っている。
人々は屋台で売っている美味しそうな食べ物や飲み物を手に持ち、店を行き来しながら思い思いに楽しんでいる。
美しく着飾った女性に腕をひかれてまんざらでもなさそうな顔で微笑む男性や、地味な身なりで隠してはいるがその気品あふれる所作から貴族であることが丸わかりの人々などもいる。
ここでは身分などあってないようなもの。誰もが煌びやかなまやかしの中、それを受け入れて楽しんでいる。
「栄えてるなぁ」
まだ十五歳の香砂にはまったくわからない世界だ。
「えっと、霊凰さまがいるのは……」
「おや? 赫夜族の小僧ではないか」
突然、頭のはるか上から声が降ってきた。低く甘い酒焼けしたような声。
「れ、霊凰さま⁉」
深紅の布には金の糸で孔雀の刺繍がはいっており、最初はその凄艶な姿しか目に入らなかったが、首を後ろに曲げ、見上げると、そこには長い黒髪を金銀財宝がついた簪や櫛でまとめた妖艶な霊凰がニヤニヤとしながら立っていた。
「かっかっか! お前、まだ花街に足を踏み入れて良い齢ではないだろう」
「ちが! そんなつもりでここに来たわけではなりません! それに、わたしは赫夜族ではなく、周波数渡航者ですって何度言えばわかってもらえるのでしょう」
「香砂もなかなかしつこいなあ。赫夜の『赫』は周波数のこと。『夜』は越えゆく宇宙のこと。お前たち周波数渡航者のことを、古くはそう呼ぶのだと何度も教えてやっただろうに」
「いったい何千年、いや、何万年前のことですか……」
「おいおい、女性の年齢を推測するなど、野暮なことをするでない」
「性別無いでしょうに……」
「かっかっかっかっか!」
目的の人物を簡単に見つけることができた、というよりも、目的の人物の方から歩いてきた、と言った方がいいかもしれないが、とにかく、会うことはできた。
聞きたいこと、話したいことはたくさんある。
「ふむ、どこか店にでも入るか。さすがに子供をこんな夜更けに連れまわしていると、数少ない酔っぱらっていない人間に咎められてしまう」
「子供って……。まぁ、そうですけど」
香砂は霊凰の案内で比較的落ち着いた茶屋へと連れて行ってもらった。
ここは遊び疲れた大人がしばしの休憩をとるための、いわゆる古代版喫茶店のようなところ。
部屋の中には低めの机とふかふかの座布団が四つに、花器とそこに飾られた季節の花。
控えめな香炉からは緑茶に似た香りが漂っている。
いくつかある座敷は旅人のための仮眠室としても機能しており、簡単な宿も兼ねている。
その中の二階にある一室を借り、香砂と霊凰は香り豊かな茉莉花茶を注文した。
「で? 何用で会いに来た」
霊凰の目に、好奇心とは別に、香砂の心の内を見透かすような、そんな不思議な光が浮かんだ。
香砂は単刀直入に話すことにした。霊凰には連珠と同じ、何も隠すことはできない。
「実は……」
深呼吸をし、まっすぐと霊凰の顔を見て、話し始めた。
「実は、葦原国で妖精が薬の材料にされ、さらには、その薬の実験体にされているかもしれないのです」