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第拾肆集

 布団の中でなかなか眠れずに過ごした昼頃、香砂(こうしゃ)はあることを思い出し、精神的な頭痛をもよおした。

「課題出さなきゃ……」

 自室の机の上にある真っ白な計画表に愕然とした香砂(こうしゃ)

 周波数渡航者フレクエンティア・トラベラーの子供は学校に通うということができない。

 では、どうやって義務教育を終えるかと言うと、それは所属する魔法学校から出される課題を自主的にこなし、期限までに提出して単位をもらい、卒業するのだ。

 九歳で入学し、十二歳で中等教育課程に進み、十五歳からは高等教育課程をおよそ四年。

 十九歳からは人間の子供と同じ、大学という専門的な研究をする機関へ進学してもいいし、就職してもいい。

 香砂(こうしゃ)は十五歳。高等教育課程へ進んだばかり。

 きっちり四年間で卒業できるよう、最初からつまずいている場合ではないのだ。

「えっと……ああ、なるほど。一番厄介なのはレポート提出か。『現在地の衣食住のうち一つについて調査し、レポートを作成』ね……」

 食事も住居も住んでいる場所や時代に合わせるつもりのさらさらない桂家では、選択肢は一つしかなかった。

「衣、つまりは装束か。全部調べると頭痛くなりそうだから、皇帝家の婚礼衣装あたりにしとこうかな」

 こうして無事に課題のテーマも決まったところで、香砂(こうしゃ)は直衣に着替え、忍兄弟が仮眠しているリビングへと向かった。

「お、おはようございます香砂(こうしゃ)さま!」

 ソファに正座し、そわそわしている寧鶴(ねいかく)と、テレビや本を眺めながらトコトコと歩き回っている寧燕(ねいえん)

 寧燕(ねいえん)香砂(こうしゃ)に気づくと、素早く近づき、深々とお辞儀をした。

「そういう挨拶はいいですから。こう、ぺこっとするだけで十分伝わりますよ」

 寧燕(ねいえん)は頭を上げると、香砂(こうしゃ)の手をぎゅっとつかみ、コーヒーメーカーのところへ連れて行った。

「これが気になるんですか?」

 寧燕(ねいえん)は思いっきり頭を上下に振ると、好奇心で零れ落ちそうなほど瞳を輝かせ、香砂(こうしゃ)を見つめた。

「いいですよ。でも……お二人とも珈琲(コーヒー)飲めるかな……」

 嬉しそうにソファへと向かう寧燕(ねいえん)と入れ替わるように、申し訳なさそうな顔をした寧鶴(ねいかく)が近づいてきた。

香砂(こうしゃ)さま、すみません。弟がはしゃいでしまって……」

「全然かまいませんよ。むしろ、もっと暴れてくれてもいいくらいです」

 微笑む香砂(こうしゃ)に安堵したのか、寧鶴(ねいかく)もホッとしたように胸をなでおろした。

 ただ、一瞬の暗い表情を、香砂(こうしゃ)は見逃さなかった。連珠(れんじゅ)のように人の心を察することはできないが、顔色を窺ってしまう癖がある。

「あの、もし話したいことがあれば……」

 寧鶴(ねいかく)はテレビのスイッチを入れて流れ出した動く絵にキャッキャとはしゃいでいる弟に聞こえないよう、小さな声で話し始めた。

小燕(しょうえん)は……。誘拐から取り戻した後、精神的に退行してしまったのです。忍としての腕は鈍ってはいませんでしたが、心は……」

「でも、無邪気って感じですよ?」

「そう、ですね……。でも、それはこういう楽しい場だけではないのです」

 寧鶴(ねいかく)は瞳にうっすらと涙を浮かべ、そっと指で拭った。

「我々忍には避けては通れない、残酷な任務というものもあります。その中でも、暗殺は本当に心を殺さないと出来ないほど、辛い任務です。ですが、小燕(しょうえん)は……、誘拐から助かった後の小燕(しょうえん)は、それを楽しむようになってしまったのです」

 香砂(こうしゃ)の中で何かが繋がった気がした。

 人間に魔力を与え、狂人化させる妖魔(もののけ)由来の薬。

 それを作っている魔法使いたち。

 そして、今まさに薬の原料にされている妖精族。

妖魔(もののけ)の生体物質が人間を狂わせることができるなら、それよりも強い力を持っている妖精族の生体物質なら、魔法族を狂わせることが可能なのでは……?)

 珈琲豆が挽かれる甲高い音が香砂(こうしゃ)の思考に速度を与えていく。

(誘拐された妖精族は、原料にされるのとは別に、薬を与えられ、実験体にされているんじゃ……)

 目の前の世界が崩壊していくような、そんな気分だった。

(きっと寧鶴(ねいかく)も薄々気づいているんだ。寧燕(ねいえん)は、もう以前の寧燕(ねいえん)では無いってことに……。それも、心だけのせいじゃないってことにも……)

 だから、涙を浮かべたのだろう。寧鶴(ねいかく)の性格ならば、「弟を支えて生きていきます」と元気よく言いそうなものだ。……心だけが問題の場合は。

(でも、そんな危険な薬、なんのために……)

 それだけではない。妖精族を素材にして作った薬を、あろうことか妖精族に与えるなど、悍まし過ぎる。

 香砂(こうしゃ)は吐き気がした。

 挽かれた珈琲豆を通るお湯の音。漂う良い香り。煮えたぎった怒り。悲惨さに冷たくなる心。

香砂(こうしゃ)さま……? どうされました? こんな話をしてしまってすみません……」

 香砂(こうしゃ)は無理に作った笑顔で「大丈夫ですよ。一緒に解決していきましょう」と言い、すべてを飲み込んだ。

 寧燕(ねいえん)が妖精由来の薬を飲まされたなど、まだ仮説にすぎない。

 言うべきではない。伝えるべきではない。例えこの先、証拠が揃ったとしても。

 香砂(こうしゃ)は出来上がった珈琲とミルク、砂糖をトレーに乗せ、リビングへと持っていった。

「お二人は飲めますかね?」

 恐縮する寧鶴(ねいかく)と楽しそうな寧燕(ねいえん)に「とても苦いですよ」と言い、初心者はミルクと砂糖で調節して飲む飲み物だと教えた。

 お手本に、苦いものが苦手な香砂(こうしゃ)がたっぷりのミルクと砂糖で甘くしたものを二人にふるまった。

「どうですか?」

「……ふ、不思議な味ですね。でも、美味しいです! もう少し苦くても飲めそうです」

 寧燕(ねいえん)にはちょうど良かったようで、香砂(こうしゃ)が作ったカフェオレを嬉しそうに飲んでいる。

 そんな弟を愛おしそうな目で見つめながら、時折、悲しい顔を見せる寧鶴(ねいかく)は、まるで連珠(れんじゅ)のようで、香砂(こうしゃ)は胸が苦しくなった。

(こんなにも仲の良い兄弟を苦しませていいわけない。それを許していいわけがない)

 珈琲の豊かな香りが漂うリビングで、香砂(こうしゃ)は震える指先に「ごめん、ごめんね、自分」と小さな声で言いながら、一つの決意をした。

 妖精族として生まれたこの力を、家族のためだけではなく、妖精族のためにも使おう、と。


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