第拾参集
逃げ帰った香砂と寧鶴、寧燕は、ひとまず落ち着くために香砂の家へと向かった。
すでに時間は明け方。もしかすると、連珠が帰ってきているかもしれない。
香砂は庭からリビングへ向かおうとしたところ、まさに庭で今度は山猪を解体している連珠に会ってしまった。
「な、なんでこんな早朝から……」
「だって、公主様のお邸菜食しか出ないんだもの。公主様の快復を神仏にお祈りするために全員粗食にすべしって近衛中将殿が……。本当、非科学的よね」
「あ、うん……そ、そうだね」
「で、何があったの? その子たちは誰? 隠しても無駄だってことは幼いころからよくわかっているわよね?」
連珠のコミュニケーション能力は伊達ではない。人の顔色を読むのが昔から得意で、連珠に隠し事をするのは、藁の中に一本だけある針にはるか上空から糸を通すよりも難しい。
「あの……。実は……」
香砂が恐縮していることで、寧鶴と寧燕もまるで叱られた猫のようにシュンとしてしまっている。
すべてを連珠に話し終えると、香砂は目の前が真っ暗になった。
それは精神的な意味ではなく、文字通り、真っ暗になったのだ。
「ね、姉さん⁉」
「黙って抱きしめられてろ馬鹿弟」
戸惑いが大きかったのはほんの一瞬。香砂は連珠のあたたかさとやさしさに、涙が止まらなくなった。
それを見ていた寧鶴と寧燕も再び泣き出した。
「偉いぞ。よく頑張った。よく帰ってきてくれた。私に何ができるかわからないけど、内裏は庭みたいなもの。出来る限り探ってあげる」
「う、うう、あ、ありがとう、ね、姉さん」
「うん。まかせとけ」
頭をなでられた。よくわからないけれど、眠気がした。
これが、〈安心〉というものなのかもしれない。
「さぁ、三人とも。お風呂に入ってきてちょうだい。傷つけるつもりはないけれど、汗臭くて頭痛がしそうよ」
「え、そんなひどい……」
「事実だもの。さぁ、入ってらっしゃい」
香砂は少し名残惜しかったが、連珠から身体を放し、寧鶴と寧燕を風呂場へと案内した。
「先に入ってください。わたしはこの狩衣燃やしてくるので」
「え! 私たちは水で禊をしますので、お、お湯なんて贅沢なもの……」
「いえいえ。お風呂に入ってください。じゃないと、姉に何されるか……」
「入ります。すぐに入らせていただきます」
寧燕も首がもげるほど縦に振り、すぐに脱衣所で忍装束を脱ぎ始めた。
「服、洗ってもいいですか?」
「そ、そのようなことまで! いけません! ご迷惑に……」
「わたしが姉にどやされます。お客様を汚れた服のまま帰したなんて知れたら……」
「……くっ。お、お洗濯、よろしくお願いいたします……」
ふんどし姿のまま丁寧に畳んだ忍装束を差し出してくる兄弟は、とても可愛らしく、年上には見えないくらいだった。
「では、ごゆっくり」
「はいっ」
香砂は二人の服を洗濯機に入れ、無香料の洗剤を選んでスイッチを押した。
忍の服に良い香りを付けたらさすがにまずいだろう。
そのあと、逆側の庭に出た香砂はドラム缶に脱いだ狩衣を入れ、火をつけた。
死霊の怨念はしつこい。洗濯ではおとせないのだ。
燃え盛る炎を見ながら、香砂は昨夜見たことを思い出していた。
今なら姉に抱きしめてもらったおかげで、冷静に考えることができる。
(時系列的にはこんな感じかな。太門を開く前からいた下位の妖魔が偶然燃料になることに気づいた人間。それならば、と、太門をいくつか開き、中位から高位の妖魔を燃料として採取。そして燃料作成時、偶然合成麻薬が出来た。それをつかうと一時的にだが魔法が使える。じゃぁ、もっと高次元の存在を素材にしたらさらに魔法が使えるようになるのでは? と考えるように他の地球から来た何者かに誘導された、とかかな)
つまり、最初は明善親王が黒幕だと思っていたが、もっと裏にさらに悪い奴がいる可能性が出てきた。
それも、別の地球の存在。
(わたしたち家族と同じ、周波数渡航者なのかもしれない)
そうだとしたら、相手は〈人間族〉ではなく、間違いなく〈魔法族〉だ。
(すでに魔法が使える魔法使いがなぜわざわざ〈人間〉を魔法使いにしたがるのかな……)
現時点では情報が少なすぎて理由は何も思い浮かばない。
(良い予感はしないけど)
香砂は炭化していく布をぼーっと眺めながら、今自分がパンツ一枚で庭に立っていることを思い出した。
幸い、誰も覗いてはいないようだ。
エースに呼ばれ、寧鶴たちの次に香砂も風呂へと入った。
寧鶴と寧燕には、服が乾くまでの間Tシャツと短パンを履いてもらっている。
さすがにふんどしは持っていないので、新品のパンツを用意して脱衣所には置いておいた。
二人は初めて見る服に驚いていたが、きっとまだ動揺することは多いだろう。
リビングを見てどう思ったか、あとで聞いてみようと香砂はほくそ笑んだ。
「ぷはぁ……。お風呂最高」
本当なら、身体を洗ってから湯船に入るのだが、このあと誰が入るわけでもないので、湯船に飛び込んだ香砂。
風呂は檜で大きい。大人が五人は入れる広さがある。
これは父の趣味で作られたもので、家族みんなが気に入っている。
夜に入ると、ちょうど窓から月が見え、時間があるときは本などを持ち込んで読みながら入ることも多い。
香砂は、今はこのあたたかさを享受しようと、頭から雑念を放り出し、ただただお湯に身体を浮かべて楽しんだ。