第拾壱集
(また時代の違う服装を身に着けた存在、か)
旗袍が一般に着られるようになるのは近代に入ってから。
古代から中世にかけては大袖華服という、広げた際に裾に向かって台形のようになる腰から下の布がたっぷりとられた服が常服として用いられていたはず。
「さぁ、どうぞこちらにおかけになってください」
香砂は促されるまま、赤い漆塗りの美しい木製の椅子に腰かけた。
目の前には同じ意匠の丸い机がある。
室内はこげ茶色の家具で統一されており、丸い窓には木枠で格子模様が表現されており、とても雅だ。
壁には百味箪笥のようなたくさんの引き出しの有る棚が隙間なく配置されており、それぞれにラベルが張られ、管理されているようだ。
家具も売り物なのだろうか。いくつかには値札が付いている。
色とりどりの怪しいガラス瓶などもあるが、店内を見回しても、呪具を売っているようには見えない。
「私の服装がそんなに珍しいですか? 仙子の若旦那」
「……わたしが仙子だとどうしてわかったのです?」
「香りです。とても清浄でいらっしゃる。古代の人間は普通そんなにすがすがしい匂いはしないものですからね」
「……あなたは何者です?」
「私は……そうですね。なんと申し上げればよいのか、適切な呼び方を知らぬのですが……」
そういって美青年は袖をまくり、自身の腕の内側を小刀で小さく切って見せた。
「あ、赤い煙……」
「ええ、そうです。私は仙子族と人間族の混血なのです。葦原国では珍しいでしょう? あなたは若くして外に出られているようですが、この国の仙子たちはある程度成長しないと聖域から出られませんものね。でも、華煉国では学校さえ卒業すれば簡単に人間の世界へと出られるのですよ」
「あ、あなたはおいくつなのですか?」
「八十二歳です。魔道具屋を始めてかれこれ六十年ってとこですかね。おっと、名乗り忘れておりました。私の名は劉 浩龍。浩龍とお呼びくださいね」
普通の人間ではないと思ったが、まさか妖精族だとは想像もしていなかった。
「自己紹介どうも……。わたしは桂 香砂です。〈取り替え子〉のため、あまり聖域については詳しくはありませんが、妖精です」
「なんと! 素晴らしい伝統を授かった方だったのですね! それはそれは……。ご両親にとっても、聖域にとっても誉れ高い存在でしょう。そんな方と知り合えるとは……。私は幸運だ」
「そんなに褒められるようなことはないと思いますが……。あの、聞きたいことがあるのですが」
「なんでございましょう? この出会いに感謝して、なんでも一つ、無償でお答えいたします」
「では……。あなたがアステカのコインを売った巫蠱を全員教えてください」
「なるほど……。ではお答えします。どなたにも売っておりません」
「な! でも、そんなはずは……」
「売ってはいませんが、使いましたよ。なぜなら、香砂様が探している巫蠱は私ですから」
「……は?」
「依頼を受けてやっただけのこと。これも仕事です。とても貴重な品を頂けるとのことだったので……。ほら、これです。翡翠の勾玉。皇帝家に伝わる神器の正統なレプリカなんですよ。二代前の斎宮様が祈祷してくださったらしく、とても力の強い……」
香砂は椅子と机を蹴飛ばし、素早く立ち上がると、浩龍に杖を突き付けた。
「今すぐ公主様にかけた呪を解かないと、わたしの姉に殺されますよ」
「……対価は?」
「この期に及んで取引できるとでも?」
「冗談です。では、さっそく解呪しましょうか」
「……え」
「何をしておられるのです。早く放してくださいまし。呪は刻一刻と公主様のお命を削っているのですよ。まぁ、昨夜はあなたに邪魔されましたが」
「か、解呪していいのですか? 雇った人に何かされたりとか……」
「人間が私やあなたに何が出来ましょう。それに、私は商人。利益がある方に付きます。つまり、香砂様、貴方だ」
「利益……? わたしに……?」
香砂は呆けた顔で浩龍を放すと、蹴飛ばした椅子を直し、再び席に着いた。
「私は今の雇い主と貴方の価値を比べたのです。まぁ、比べるまでもなく、貴方の圧勝ですが」
浩龍は百味箪笥からいくつかの魔道具や素材を取り出すと、てきぱきと煎じ始めた。
「雇ったのは皇帝家の者ですか」
「知りたがりさんですねぇ、香砂様は。ええ、そうですよ。来たのは使者ですが」
「名前はわかりますか?」
「そこまでは……。あちらも万が一に備えているのでしょう。中宮様のお子を狙うのですから、バレた時にご自身の名前までたどり着けないようにするのは定石でしょうね」
「まぁ、そうですよね……」
香砂は溜息をつきながら浩龍の手際の良い調剤を眺めた。
「そういえば、質問、けっこう答えてくれますね。一つって言っていたのに」
「それだけ香砂様の価値が高いということです。存在自体が尊いのです。伝説の龍が何千年も守ってきた得難い宝玉のような……」
「え、ちょ、言いすぎじゃないですか? 浩龍さんは妖精と人間の混血なんですよね? と、いうことはご両親のどちらかは純血の妖精なのでは?」
「まぁ、そうかもしれませんね」
「そうかも?」
「私は聖域内の山岳にある寺院に捨てられていたのです。拾ってくれたのは導師様で……。やめましょう、こういう湿っぽい話は。私は結果的に頑固で善良な養父に育ててもらったのです。それで満足です」
「そうですか……」
妖精でも子供を捨てることがあるのか、と、少しショックを受けたが、香砂はその気持ちを飲み込むことにした。
本人が今を満足しているなら仕方ないことだ。
「よし、出来ましたよ」
浩龍が渡してきたのは、小さな紙で封がしてある卵だった。
「これは……?」
「よく洗った卵の殻の中に解呪薬が入っております。気がひけるでしょうが、この卵を公主様にぶつけて割ってください。そうすればすべての呪は解けます」
「二つともぶつけるのですか?」
身目麗しい公主に卵をぶつける様子を想像すると、たしかに気がひけた。主上には絶対に見られたくない光景だ。
「いえいえ。一つで十分です。もう一つはサービスですよ。香砂様のお姉様にお渡しください。私の命を奪わぬよう、念押ししてくださいね」
「用意周到ですね。もう二度と皇帝家の人間を傷つけるような依頼は受けないと約束してくださるのなら、姉から命を救ってあげましょう」
「ふむ。香砂様は商人に向いているやもしれませんね。わかりました。皇帝家には手は出しません。ただし……」
浩龍は魅惑的な笑みを浮かべると、特段甘い声で言った。
「お友達になってください、香砂様」
「と、友達ですか」
極端に友達という存在が少ない香砂にとっては、こういった申し出はかなり動揺してしまう。
そもそも、共通の趣味もなさそうな浩龍と何をして過ごせばいいというのだろうか。
「ええ。一緒にお茶を飲むだけでいいんです。どうでしょう? そうすれば、私がよからぬことをしようとしないか監視も出来ますよ?」
香砂の戸惑いを察したのか、浩龍はわかりやすい提案をしてきた。
「ううん、うううう。まぁ、それはそうですね……。わかりました。今日から友達です」
「ふふふ。ありがとうございます」
香砂にはなぜだか浩龍にとって一番良い条件で取引が終了したような気がしてならなかった。
さすがは商人。人生経験の浅い香砂では上手にあしらうことは難しそうだ。
香砂は浩龍に「じゃぁ……また来ますね。お茶を飲みに」と告げると、急いで公主が住む邸に向かった。
公主の夫は近衛中将。邸もとても立派だ。
家の女房に連珠を呼び出してもらい、浩龍からもらった解呪薬を渡して使い方を説明した。
すぐに実行され、公主は呪にかかっていたのが嘘のように回復し、いつもの華やかな笑顔に戻った。
連珠には「そいつ、殺しに行くから場所を教えなさい」と言われたけれど、もう一つの解呪薬のことや、流れで友達になったこと、情報屋として有能だということを伝え、なんとか浩龍の命を護ることができた。
連珠は一応もう一晩公主の側に仕えるという。
香砂は公主の邸をあとにすると、その足で大内裏へと向かった。
すると、いくつかの建物は立ち入りが禁止されていた。
そこらへんにいた文官に聞いてみると、冬に向けて床下に蒸気管を通し、いわゆる床暖房を作る工事が始まっているとのこと。
武官はしばらくの間、右兵衛府で仕事の割り振りを聞くことになったらしい。
(羽林府は優先的に工事してもらえるのか……。さすが、待遇が違うわ。わたしには床暖房とかあまり関係ないけれど)
香砂は大人しく右兵衛府に向かった。
すると、掲示板のようなものが設置されており、何百もの木簡がかけてあった。
(ん? 場所と名前……ああ、シフトか)
香砂の名前は『穢土』の欄の『夜間』のところにかかっていた。
すでに陽は頂点から傾き始めている。思い出したように腹も鳴った。
「帰って夜勤まで寝よ」
香砂はさっそく仕事が入っていたことに少し落胆したが、そんなこと、武官たちが集まっている場では口が裂けても言えないので、挨拶を交わしてから家へと戻っていった。
あいさつした武官の中には、昨日、あの運動場にいた者もいた。
(監視しないとな。寧鶴さんと寧燕さんにも伝えよう)
香砂は大きなあくびを噛み殺し、大内裏の外にある木陰から檜扇に乗って空へと飛びあがった。
秋が深まりつつある空はとても高く、雲の少ない青空はとても清々しくていい香りがした。