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3.疑惑

 空が白みはじめ、微かな光が部屋に差し込む。寝ているリンディの瞼が僅かに震え、ゆっくりと目を覚ます。

 初めての場所であることといつもの習慣でリンディは夜明けとともに目が覚めてしまったようだ。ほんの少し逡巡した後、リンディはそっと足を寝台の下へと下ろし、ちらりと寝台の脇にある台の上のベルを見遣る。まだ、夜が明けてすぐの時間であり、侍女達も準備をし始めるかどうかというところだろう。そんなところを呼び出すのはあまりにも迷惑だ。

 「一人でできることは一人でしなくてはね。」と独り言ちると、リンディはそっと隣の衣裳部屋へと移動する。家から持ってきた衣装はそれほどないが、どれも、侍女の手を借りなくても一人で着れるようなものばかりのため、今日のようなときには非常に助かるのだ。

 昨日のマッサージの後、エルマは、アレンからの贈り物だというドレスを持ってきてくれた。青銀色の柔らかな素材でできたそれは、今までリンディが見たこともないような美しいドレスであった。

 あのような素敵なドレスで晩餐を頂くことができるとは、今までのリンディであれば夢にも思わなかったことだろう。料理長が腕によりをかけたという数々の品はどれもとても美味しく口に入れるたびに幸せの微笑みが止まらなかった。そんなリンディを見てアレンは感嘆の溜息を止めることができなかった。アレンのそのあまりにも残念な様子に、ミスタは生ぬるい視線を向けていたのだがリンディは気が付いていなかった。

 「アレン様も感動されるくらいですもの、本当に皆様よくしてくださっているのね。」と昨夜のアレンのことを思い出しながら、衣裳部屋の中に入ると、そこには、色とりどりのドレスが所狭しとかけてあった。リンディは目をぱちくりしながら、呆然とそれを眺めた。


 「これは一体、どういうことなのでしょうか。」


 リンディの口から思わず疑問が漏れる。「ここは本当に私の衣裳部屋なのかしら・・・。」と訝りながら、そろそろと近づくと、手前の方に、リンディが持ってきた衣装がかけてあった。他のドレスに比べると、とても質素なものであったが、何日もトランクの中に押し込めてあったとは思えないくらい皴もなく、丁寧に荷ほどきをしてくれたことがはっきりと分かる状態になっていた。その中の一着を手に取ると、リンディは部屋へと戻り、ささっと着替えを済ます。

 応接間にあるソファにそっと座ると、リンディは細く息を吐いた。まだ一日も経っていないのに、あまりにも歓迎されているような出来事が多すぎ、戸惑いが隠せない。


 微かなノック音がしたかと思うと、僅かに扉が開き、エルマが部屋へと入ってきた。エルマはソファにリンディが座っているのに気が付くと、驚きに目を見張った。


 「リンディ様。もうお目覚めになっていらっしゃったのですか?・・・それにお着替えもされていらっしゃる・・・?」


 エルマの語尾がだんだんと小さくなり、目をうるうるとさせてリンディを見つめてきた。


 「もしかして、昨夜のお着替えに不手際がありましたでしょうか?だから、ベルを鳴らしていただけなかった・・・・。」


 「ち、違います、エルマ。あまりに早い時間でしたので、ご迷惑をおかけしてはいけないと思って。エルマに不手際なんて全くありませんから。本当です。」


 リンディはぷるぷると首を横に振りながら焦ったように答え、ぽつりと「・・・慣れていないのです。」と呟いた。エルマは、心底ほっとしたようなため息をつくと、にこりと笑った。


 「迷惑なんてとんでもございません。迷惑どころか、リンディ様のお世話ができることが私は嬉しくて仕方ないのです。そのようなお気遣いは無用です。・・・ですから、ベルで呼んでいただけないほうが、つらいのです。私のためにも何かあったらすぐ呼んでくださいませ。そして、慣れてくださると嬉しいです。・・・リンディ様に呼んでいただけていないなんてことが旦那様に知れたら、私・・・・。」


 リンディは、エルマがアレンから叱責を受けるのだと誤解し、これからは必ずベルを鳴らすとエルマに約束したのだった。エルマの言葉が、「あんなに大見得切っておいて、全く頼りにされてないではないかと大笑いされます。」と続くとは、リンディは知る由もなかった。


 「あの、エルマ。折角早く目が覚めたので、少し外を散歩してもよいかしら。」


 その言葉にエルマの瞳がきらりと光ったが、リンディは気付いていない。


 「もちろん構いませんよ。あぁ!この時間であれば、旦那さまや辺境伯の騎士団が練武場で朝訓練をされていると思います。庭園を見ながら、そちらに行かれるのはどうでしょうか?」


 話し方は台本を読むようである上に、更にわざとらしくパチンとエルマは手を打った。少し不思議には思ったが、アレンの訓練の様子を見てみたいという好奇心には勝てず、リンディはエルマの提案を受け入れることにした。


 それぞれの季節の名を冠する4つの庭に区切られた庭園は、リンディの祖母の愛したカスティナ家の庭園と趣が似ていた。特に、庭園に敷き詰められた青々とした芝はカスティナ家と同じものだと思われる。朝の爽やかな空気と花々の香り、芝の青さにリンディの心は和んだ。

 その庭園を抜けると、練武場の入口が見えてきた。近づくにつれ、騎士達の気合の声や息遣いが聞こえてくる。入り口をくぐり、そっと練武場の中を除くと、他の騎士達に交じって、アレンが剣を振るっているのがわかった。すらりとした体躯で軽々と剣を操り、他の騎士の剣を捌いているいる額には少し汗が浮かんでいるようではあるが、汗とともに漆黒の髪が動きに合わせてさらりと流れ、赤い瞳には射すくめるような鋭い光がある。リンディはアレンから目を離すことができず、見惚れてしまった。昨日の柔らかな微笑みを湛えたアレンとは別人のような鋭さに、リンディの胸がとくりと鳴った。

 リンディの父も兄も貴族としての嗜み程度で剣術を習っていたらしいが、自身の腕に全く自信がないためか、領地などへ向かう際の護衛が非常に多かった。そのため、剣を振るう男性というものにリンディはあまり免疫がない。「きっと、見慣れないからね。こんなに胸がきゅっとなるのは。」とリンディは独り言ちる。

 しばしの間、リンディはアレンの訓練をじっと見つめていた。他にも大勢の騎士達が剣を振るっていても、リンディの視線はアレンから外れることはなかった。

 リンディの視線に気が付いたかのように、ふとアレンの視線が入口近くへと向いた。リンディを見つけたアレンは驚きに目を見張ったかと思うと、相対していた騎士に片手を振り、剣の手を止めさせた。アレンは近くにいた騎士に剣を渡すと、リンディのもとへと足早に近づいてきた。


 「どうかされましたか?慣れない環境であまり疲れをとることができなかったのでしょうか?」


 アレンが心配そうにリンディの顔を覗き込む。そんなアレンの顔を見て、リンディの胸はさらにきゅぅっと高鳴り、ほんのりと頬が色づく。リンディは胸元できゅっと両手を握ると、はにかみながら、アレンを見上げた。


 「皆様にとてもよくしていただいたので、ゆっくりと休むことができました。あの・・・アレン様、本当によくして頂いて感謝いたしております。ありがとうございます。

 いつもの習慣で早くに目を覚ましてしまいましたので、少し散歩をさせていただきました。エルマからこちらを勧めてもらいましたので、見学をしておりましたが、お邪魔だったでしょうか?」


 「リンディが過ごしやすいと感じて頂けているようで安堵しました。それに、見学頂くのも問題ありません。ただ、刃先をつぶしてあるとはいえ、剣先などが飛んで、貴方がお怪我されるといけませんので、いらっしゃったら、私にお声をかけて下さいね。」


 アレンの瞳が優しく細められると、不安そうに揺れていたリンディの瞳が嬉しそうにきらめいた。


 「朝からリンディに会えるというのはこれほど嬉しいことなのですね。これが毎日続くと考えると、幸せ過ぎますね。」


 アレンが更ににこにこと嬉しそうに続ける。リンディは気恥ずかしくなり、更に頬を赤く染めながら、少し俯いた。「アレン様はなぜこんなにお優しいのかしら。とても私を『買われた』とは思えないわ。それどころか、心を寄せていただいているように錯覚してしまうほど。」リンディは胸が高鳴るとともに、もやもやとした不安でほんの少しだけ心が陰るのを覚えた。


 「そろそろ屋敷に戻りましょうか。朝食をご一緒しませんか?

 本日はお疲れかと思いましたので、ゆっくりと起きていただければと、昨夜はお誘いするのを控えてました。よろしければ、これからは、朝も昼も夜も、私が屋敷にいるときはご一緒していただけますか?リンディと二人であれば、幸せ過ぎて、何を食べてもおいしく感じられそうです。」


 話しながらアレンはエスコートのために手を差し出そうとして、はっとしてその手を止めた。


 「すみません。訓練後なので、汗臭いですね。それに、土埃で汚れてしまいますよね。」


 「うーん。」と首を捻りながら、アレンが出しかけの手をどうしようかと悩んでいると、リンディの小さな白い手がそっと、アレンの手の上にのせられた。


 「あの・・・エスコートしていただけると・・・嬉しいです。」


 頬だけではなく耳まで赤く染めたリンディがぽそりと答えた。「か、可愛すぎる。」とにやけてしまう顔をエスコートとは反対の手で覆い天を仰ぐアレンはリンディの視界には入っていなかった。



 リンディにとって、それからの毎日は、宝物のようにきらめく幸せの日々だった。約束したようにアレンは、屋敷にいるときは常に食事を共にしてくれ、また、時間が取れる時には午後のお茶にも誘ってくれた。いつでもリンディを優しく見つめ、気遣ってくれるアレンに対する思いが日に日に大きくなっていった。そして、それと同時に、不安な気持ちも大きく膨れ上がっていくのであった。



 ルンダール辺境伯領に来て1カ月が経ったある日の晩餐で、アレンが街に観光を兼ねて、買い物に行かないかと提案した。リンディが辺境伯領を訪れる少し前に、隣国との境界でちょっとした小競り合いがあったため、その後処理で仕事が立て込み、休みをとることができなかったが、それにも目途が立ったことから、明後日であれば、時間が取れるとのことであった。

 久しぶりにゆっくりする時間が取れるのであれば、体を休めたほうがよいのではないかとリンディははじめ遠慮したが、アレンは、「リンディと一緒にいることが何よりのご褒美なのですよ。」と優しく微笑んだ。頬を染めながら、リンディは「お出かけしたいです。」と頷いたのだった。

 既に部屋着に着替えたリンディは応接間で一人ぼんやりとしていた。エルマには就寝の挨拶をして、寝台へと入ったのではあるが、アレンからのお出かけのお誘いが嬉しく、興奮してしまい、なかなか寝付けなかった。そのため、そっと、寝台を出て、今に至る。


 アレンは、こんなにも素敵なのだから、結婚を求められたら、どんな女性でも求めに応じてもらえるだろう。それなのに、何故なにゆえ、わざわざたかが子爵家の娘であるリンディを『買われた』のだろうか。例えば、リンディに特別な力でもあれば分かるが、特段美しくもなく、魔力もさほどなく生活魔法が使える程度だ。もちろん騎士でもなく、精霊士でもない。リンディを求めた理由が何も思い当たらず、このままこの優しさに甘え続けてもよいのだろうかと考えてしまう。この辺境伯での日々で募らせていった思いは、きっと、おそらく『好き』ということなのだと理解してしまうと、理由が思い当たらないアレンの優しさやリンディを愛してくれているのではないかと誤解してしまうような言動は、ほんの少しばかりの後ろめたさを感じてしまう。そして、一度経験してしまうと、それを失うことが怖く、更に、独り占めしたいという邪な思いまで持ってしまう。


アレンは、一度も結婚式について言及したことがない。それが、リンディは不安を増長させるきっかけにもなっていた。


 リンディは、ふるふるっと頭を振ると、不安な気持ちを押し出した。

 火の消えた応接間は少し肌寒く、体とともに心の中も温めたくなった。

 「温かい飲み物をもらってこようかしら。」と呟くと、ストールを羽織り、そっと扉の外へと足を踏み出した。それほど遅い時間ではないので、まだ人がいるはずだ。リンディは、この1カ月で屋敷の人達とは顔見知りになったので、エルマを呼ばずともいる人にお願いすればよいのではと考えていた。




――――――――――その夜のルンダール辺境伯の執務室


 「しかし、変態に好かれてしまうとはリンディ様も災難ですよね。」


 「変態?あぁ、あのドーウェンとかいう豪商の跡継ぎか。可愛すぎるというのも考えものだな。」


 眉根を寄せて真剣に考えこむアレンに対し、「自覚なし・・・?」「いや、旦那様しかいないでしょう。」とミスタ、エルマが声をそろえて突っ込み、カーラ、マルクは頭を抱えた。


 「ドーウェン家のご子息は、見た目も態度も変態さに溢れていますので、判りやすい変態なのでいいのですよ。・・・旦那様のような粘着・・・ゴホン、執着・・・ゴホン、腹黒?・・・まぁ、何でもいいですけど、それに比べたら、よっぽどかわいいものです。」


 ミスタはオブラートに包もうとして包み切れず、諦めた。自分が悪いのではなく、アレンが変態だから悪いのだとミスタは割り切ることにしたようだ。


 「それにしても、これほど長い間思いをこじらせるくらいでしたら、ドーウェン家が出てくる前に、さっさと、求婚されたらよろしかったのではないですか?どちらに転んでも変態に好かれる災難は避けられなかったとしても、ご家族から心無い言葉を言われてつらい思いをするような・・・・。」


 ミスタは一旦言葉を止め、アレンを睨みながら続けた。


 「ひどい状況にはならなかったのではないかと思いますが?」


 「どうしようもなかったのだ。・・・・大恩ある先代のカスティナ子爵夫人、リンディのお祖母様とリンディとの婚姻に関しては約束していたからな。そうでなければ、このような状況を受け入れることはなかった。」


 「恩義があるのであれば致し方なかったのかもしれませんが、リンディ様に取り繕いながら接するのは、旦那様もそうですが、私共もだいぶ厳しくなってきております。」


 遠くで微かにカタリと音がしたような気がして、マルクは耳を澄ます。耳を澄ましても他の音は聞こえず、「気のせいか?」と軽く首を振る。その間も、アレンとミスタの話は続く。


 「本当にそうですよ。旦那様の残念なところを隠して、取り繕ってますけど、ちょいちょい怪しい言動されるじゃありませんか。あれでは、そろそろ、ばれます。隠すことも厳しいです。それに、あの優しいリンディ様に隠し事しているっていうのが、なんだかだましているような気がして、良心が痛んで・・・。ずっとおそばにはお仕えしたいので、末永くお幸せにと言いたいところですが、本当に、旦那様でリンディ様が幸せになれるのか、一抹の不安があり、複雑な心境なんですよね。」


 エルマが腕を組みながら、うーんと唸るとミスタも追い打ちをかける。


 「確かに、リンディ様の視点で考えるとそうではありますが、ここは、ルンダール辺境伯としての平穏を考え、リンディ様にはこの旦那様をもらい受けて頂かないと。リンディ様を逃したら、間違いなく、ルンダール辺境伯は旦那様で途絶えます。そういえば、旦那様、いい加減、結婚式についてリンディ様とお話しして決めてください。」


 アレンは机に突っ伏して、頭を抱えながら、ぼそぼそと答えた。


 「こちらに来てくれたのだから、大丈夫だとは思うのだが・・・思うのだが!それでも、もし、ちょっと待って欲しいとか、イヤそうな顔をされてしまうかもしれないとか考えると、なかなか切り出せないのだ・・・。」


 「わぁ、ヘタレすぎて、何も言えない。」と言いながら、エルマは、「軟弱。意気地なし。図体だけでかい子供。」と悪口を続ける。アレンは机に突っ伏したまま黙っていた。


そんなアレンとエルマを見ながら、ミスタがふと気が付いたように付け足した。


 「そういえば、カスティナ家を見張らせている間諜から、子爵が新たな事業に手を出そうとしていると連絡がありました。子爵夫人も贅沢にいとめがなく、また、令息も今だふらふらされているそうです。負債を返済しても十分なほどの金銭は渡しておりますが、あの状態ではもって数年ですね。リンディ様に無心に来られないように手は打っておくべきでしょう。」


 すると、アレンはがばっと起き上がり、その顔がすっと引き締まった。眉根を寄せると、指先でトントンと軽く机をたたく。


 「リンディに接触する前に、・・・叩き潰すのもよいか。」とくつくつと笑う。


 「わぁ、悪人みたい・・・。リンディ様がいないと黒過ぎますよね。」「リンディ様のことを除けば、悪人かもしれませんが、ちゃんとしてるんですけどねぇ。」とエルマ、ミスタがぼそぼそと話し合うと、カーラ、マルクはお互い目を見合わせて、はぁと深いため息をついた。


次話で完結します。

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