1.出会い
「・・・・ということでよろしいでしょうか?」
漆黒の髪に赤い瞳、ルンダール辺境伯特有の色を纏う方が柔らかく微笑んだ。
少しだけ下がった目尻が、整いすぎた顔立ちによる怜悧さに僅かに柔らかさを加えている。
-この方が、私を『買われた』のだ。
カスティナ子爵令嬢であるリンディは、沈んだ気持ちを悟られないように、顔に笑顔を貼り付ける。
カスティナ家は、王都の西の端の特産物もない痩せた領地を治める下級貴族である。ただ、この領地は、さほど広くはないのだが、地の利だけはあり、西の大国と王都を結ぶ街道、つまり交易路となっている。そのため、領地収入は通行税が主となり、その経営も通行税に頼りきってしまっている。
祖父の時代まではよかった。この地の利を生かし、曾祖父、祖父は交易品を取り扱う商いを行っていたため、下級貴族ではあるが、比較的裕福であった。しかし、リンディの父の代になり、家は傾きだした。もともと商才のない父が、門外漢の事業に手を出し、負債を膨らませていき、リンディが16歳になった頃には、すっかり没落していた。
商才のない父、更に、嫁いだ時の栄華が忘れられず贅沢を好む母により、坂道を転がるように負債はさらに膨れ上がり、領地、王都のタウンハウスをすべて売り払っても、まだ負債が残る様な惨状であった。
どんよりとした雰囲気が続いていたある日、父が非常に機嫌よく帰ってきて、母を伴い書斎へと入っていった。ちょうど、庭園の手入れから戻ってきたところであったリンディはいぶかしげに、二人の消えた扉を見つめた。既にほとんどの使用人が出て行ってしまっているため、庭園の手入れもリンディが行っているのだ。タウンハウスにある祖母の愛した庭園は、華やかさはないかもしれないが、可憐な花が四季折々に咲き、季節問わず青々とした芝などが心を穏やかにしてくれ、リンディのお気に入りでもある。リンディを愛し、慈しんでくれたリンディの祖母は、花を大層可愛がっていた。時には楽しそうにおしゃべりするくらいに。リンディの記憶が確かであれば、祖母は精霊士ではなかったはずだ。だが、祖母は精霊を見ることができる人であった。
・・・そういえば、たった一度だけ、私もおばあ様と一緒に精霊さんに会ったことがあるわ。あれは、どこだったかしら・・・
2人がいつもとは違っていたため、リンディは、その場を立ち去りがたく、祖母との幸せだった過去を思い出しながら、じっと扉を見つめ立ちすくんでいた。突如、部屋から母の甲高い笑い声が聞こえ、その瞬間、扉が開いた。
扉から出てきた父は、リンディと目が合うと、喜色満面で手招きした。
「リンディ。ちょうどいいところに。こちらに入りなさい。」
いやな予感がする・・・と思いながら、おそるおそる書斎へと入ると、父にソファに座るようにと手で示された。
「リンディ。よい話だ。お前に求婚者が現れたぞ。」
「求婚者、ですか・・・?」
没落貴族となり果てたカスティナ子爵の娘に求婚?
何故?との思いが強く湧いた。
「そうだ。王都の北のルンダール辺境伯様からだ。ルンダール辺境伯と言えば、我が帝国北の要所の守護者で、魔法士であり、騎士であり、更に精霊士でもある非常に優秀なお方だ。年は少し離れているが、またとない良縁だ。もちろん、お前に否やはないな。」
「本当によいご縁があってよかったわ、リンディ。幸せになれるわ。」
リンディが口を開くより前に、更に、母が追い打ちをかけた。父と母からは、断らせないという圧力を感じた。
母が嬉しくてたまらないといった笑みを口元に浮かべた。この時の母の真っ赤な唇がリンディの頭にこびりついて離れなくなった。
目の前の方へと意識が戻る。
笑顔ではあるが、ぼんやりとしているリンディに気が付いたのか、ルンダール辺境伯は心配そうに目を眇めた。
「王都から遠方のこちらまでの馬車の旅でお疲れですよね。気が利かず、すみません。
この辺境の地まで貴方が来てくれたことが嬉しくてね。年甲斐もなく、浮かれてしまっているのです。」
「恥ずかしいな。」と小さく漏らしながら、ルンダール辺境伯は口元を手で覆いながら、照れたような笑みを浮かべた。年甲斐もなくと言ってはいるが、ルンダール辺境伯は、今年で29歳と聞いている。リンディとは年が離れている上、一般的な貴族の結婚年齢としては遅い方ではあるが、見目は年齢よりも若々しく、とても秀麗だ。
何とも言えず、リンディがあいまいな微笑みを返すと、ルンダール辺境伯はリンディが座っているソファの傍らに来て、優雅な仕草で手を差し出された。
「部屋までお送りします。必要なものは部屋に運び終わっているようですから。
もし、お嫌でなければ、本日の晩餐をご一緒していただけませんか?」
「・・・・喜んで。ルンダール辺境伯様。」
リンディは、差し出された手の上に軽く手を重ねるとソファから立ち上がり、ふわりと微笑んだ。部屋に入れば、とりあえず一人になれるとの安堵の気持ちで、思いの外、柔らかい微笑みになっていた。
「貴方が可愛らしすぎて困りますね。こんなにも無防備だと、今までも今後も心配になってしまいます。」
「私の理性もつかな。」とぼそりと漏らした声はリンディには聞こえていない。
可愛らしい?私が?
この国では珍しい祖母譲りのシルバーの髪を褒められることはあったが、顔立ちは特筆すべきところはなく、醜悪ではないが、秀麗でもない、よくある見目というのが、リンディの自己評価だ。さらに言えば、恐ろしいほどに整った造作のルンダール辺境伯に言われても現実味が全くないというのが本音だ。
「ルンダール辺境伯様が心配なさるような・・・。」
リンディの言葉を途中で遮るように、ルンダール辺境伯はコホンっと一つ咳払いをした。
「貴方と私は婚姻することになるのです。・・・・ですので、家名ではなく、名前で呼んではいただけませんか?
是非、アレンで。私もリンディと呼んでもよいでしょうか?」
「アレン・・・辺境伯様?」
「辺境伯はいらないね?」
リンディの呼びかけに、秒の速さでルンダール辺境伯が言葉をかぶせた。
「・・えっと、では、アレン・・・様?」
あまりの速さに驚きを隠せないリンディは、おそるおそるという感じで、少し小首をかしげながら呼びかけた。
「・・・仕方ないか・・・。それでいいですよ、リンディ。」
ルンダール辺境伯は、がっかりしたかのように肩を落としたかと思うと、リンディを見て、嬉しそうに目を眇めた。