プロローグ
季節はもう夏に入ろうというのに空は暗い。定時で上がれていれば空はまだ少し明るいはずなのだが現時刻は深夜の0時を回っている。入社する前の面接では「就業時間は9時から18時までで残業はあっても1時間!これ以上は残業は絶対にさせません!」と聞いていたのだが蓋を開けてみれば完全にブラックだった。しかもこれが明日で30連勤目ともなると生きる気力は沸かず足取りも覚束ない。
「さすがに転職しないとな~」
等とぼやきつつもその気力すら沸いてこない。今はとにかく体を休めることが優先事項だと意識がそっちに持っていかれてしまうためだろう。自分の身の回りのことをやろうとしてもその時間が取れない。これがブラックの手口だと気が付いた時にはもうすべてが手遅れなのだ。
そんなことを考えていると家の近所のコンビニが目に入る。当然家の冷蔵庫には何も入っていないので晩御飯を買いにコンビニに向かう。
朦朧とした視界の中コンビニの光だけを頼りに歩を進める姿はまるで虫のようだなと心の中で自笑する。あとはコンビニの前の信号を渡れば食料にありつけるという所まで来ると、赤色の光が目に入ったので足を止めようとする。しかしなぜか足が止まらずそのまま道路に身を出してしまった。足を止めることができないほど疲れていたのか、それとも一日ご飯を食べていなかったから空腹が先を急がせたのか、はたまたその両方か。もはや理由は分からないがこういう時に限って車は来てしまうもので、避けるという選択肢もないまま俺はあっけなくトラックに轢かれてしまったのだった。
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「......ここは?」
意識が戻ると俺は真っ白な空間に立っていた。壁もなくどこまでも真っ白な神秘的な場所だ。
「俺は確かトラックに轢かれて......」
この展開は社畜になる前によく漫画やアニメで見てきた異世界転生のお約束と似ている展開だと気づく。
「目が覚めたようだな」
後ろからえらく低い声が響き、今ここには自分の他にも誰かいることを知る。異世界転生ものだと神様や女神といった存在にチート能力を与えられて異世界に転生させられるのが定石だ。
まさか現実にそんなことが起こるはずがないと知りながらもこの状況に期待せざるを得ない。なぜならここからはチート能力で異世界無双が待っているから。それだけじゃなく美少女にモテて何人もの女の子を侍らせて金に困らないウハウハな生活が待っているのだから。それが定石なのだから。
大いなる期待を胸に後ろを振り向く。低い声だったからおじいさん系の神様かな。美少女女神じゃないのがちょっと残念だったなと、罰当たりな思考になりつつも期待は収まらずドキドキしながらその姿を目に捉える。
先ず目を奪われたのが頭に生えた立派な二本の角。次にどこを見ているのか分からないけれど確実にこっちを見ていると分かる真っ白な鋭い目。さらに筋骨隆々としたたくましい体に真っ黒な肌。極めつけにはどす黒いオーラすら放っている始末。
「いや、邪神じゃねーか!!」
そう。目の前にいたそいつは神は神でも明らかに邪神と呼ばれてそうな風貌をしていたのだった。こういうのって普通もっと神さまっぽい人のはずだよな?と心の中で訴えても仕方がない。
「確かに吾輩はあの世界では邪神と呼ばれている」
予想は確証に変わりさらに絶望する。俺の異世界生活終わったかもしれん。てかそもそも異世界に行けるかもわからん。
「で、俺はこれからどうなるんですか?」
「貴様にはこれから今まで住んでいた世界とは異なる異世界に赴いてもらう」
素朴な疑問を投げかけると意外な返答が返ってきた。よかった地獄とかじゃなくて。
「そしてその異世界で勇者を撃退して欲しいのだ」
「勇者を......?」
邪神の話はこうだ。先ず世界には善神と呼ばれる神がいること。そいつらは異世界に勇者を召喚し魔王討伐を命じている。そうすることで神としての格を高めているとか。
そして邪神はその魔王を守るために存在しているらしい。しかし自分で直接異世界に干渉することは出来ないから善神と同じように異世界人を召喚しようとしたらしい。それが俺だ。
なんでも、異世界で死んだ魂はユニークスキルというものを持っているらしく、逸材がいれば善神はすぐさま異世界に勇者として召喚しているという。ではなぜ俺は勇者として召喚されなかったかというとどうやら俺ははずれスキルだったようだ。
「因みに俺ってどんなスキルだったの?」
「貴様のユニークスキルは『彫刻士』だ。魂なきものに魂を与えるスキルである」
なんだか凄そうなスキルじゃないかと思ったが、そもそも善神は戦闘向きのスキルしか採用していないから俺はスルーされたようだ。
しかし『彫刻士』か。前世での影響だろうか、俺は趣味で造形士をやっていたことがあったのでその経験に影響されて『彫刻士』というユニークスキルが生まれたのだろうか。ま、そんなこと考えても詮無き事。だとしたら邪神の要求は難しい。何しろ戦闘向きではないスキルで魔王を守れというのだから。
「まあ、ぶっちゃけ魔王を守れというのは建前で、貴様には異世界生活を満喫して欲しい。魔界には時折勇者が攻めてくるが魔王は強いしそう簡単にやられはせん。何より吾輩のもとに来る魂は久方ぶりでな、もはや息子のような愛着がわいておる故、善神どものような捨て駒扱いはしたくないのである」
え、邪神ってもしかしてめちゃくちゃいいやつなのでは?見た目で判断は出来ないもんだな。肩書きわるそうだけど。
「それと少しばかりだが吾輩から四属性魔法をプレゼントしよう」
「四属性魔法?」
「うむ、普通は一人一属性が限度だが貴様には地水火風の属性が使えるようにしておこう。ただし初級までしか使えんがな」
「えー」
「文句を言うでない。今異世界の力は善神サイドに傾いている。それにより吾輩が与えられる力も限られているのだ」
「そうか、ならありがたく頂戴するよ」
くれるだけでもありがたいしな。受け取らない理由もない。
「あとは、初めての異世界生活は不安だろうから、お供をつけておこう。困ったことがあれば頼るといい」
「おお、まさに至れり尽くせりだな。ありがとうパパん」
「パパん......最後に建前とは言ったが、本当に魔王がピンチに陥ったら助けてやってほしい。あれも吾輩の息子のようなものなのだ」
と、頭に邪が付くが神という存在に頭を下げて頼まれるとさすがの俺でも恐れ多いという気持ちが勝つ。頭をお上げくださいとはこういう時にいうセリフか。
「魔王があんたの息子なら、俺にとっては兄みたいなものだろう。だったら助けない理由はない。もしピンチになったら必ず助けるよ」
「かたじけない......そろそろ時間のようだな。では異世界に送るぞ」
これからいよいよ異世界での生活が始まるのか。きっと大変なことも多いだろうけど今度の世界では絶対に過労などしてやるものかと心に誓う。と、そこである大事なことを聞きそびれていることに気が付いた。俺を転生するための準備は進んでいるらしくすでに体が白く発行している。間もなく意識が遠のきこの場所から消えるだろう。
薄れゆく意識の中俺は邪神に問いかけた。
「あんたの名前は?」
すると邪神パパは目を少し細め(黒目は無いが)何処か懐かしむように言う。
「吾輩の名はアルガードである」
「そうか......俺は岩國聡介。行ってくるよ」
そこで俺の意識は途切れ、異世界へと送り込まれたのだった。